田舎で

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田舎で

 僕は、小学生のころ、毎年夏になると父の実家に出かけた。  東京では7月にお盆をするとクラスの友だちに聞いて驚いた。  父の実家ではお盆は8月13日から16日。  小さい頃から迎え火も送り火も一緒に焚いていた僕は、お盆は8月だとばかり思っていた。  父方の祖母に聞くと 「お盆は地方によって違うのよ。でも、いつでもいいの。ご先祖様が年に一度帰ってくる日だからね。お迎えしてあげる気持ちが大事なんだよ。」  と、僕の頭に手を置いて、話してくれた。  父の実家には僕より二つ上の従姉と、一つ下の従弟がいた。  僕には3つ上の姉がいて、いつも4人で遊ぶのだが、僕は何をするにも他の3人に置いて行かれていた。    まず第一に駄目だったのが、僕は虫が苦手だった事だ。  年上の姉と従姉も、一つ下の従弟も田舎にいる虫や、その頃父の実家の仕事の一つでもあった養蚕のお蚕さんに触るのも平気だった。  夏休みと言えばお蚕さんが一番葉っぱを食べる時期だ。午前中に2回、午後にも2回。夏休み中は桑の葉をお蚕さんにあげるのは子供の役目だった。  夜と早朝はさすがに大人が世話をしていたが、とにかく一日4回は子供が桑の葉の束をほぐしながらお蚕さんの棚に広げて、食べやすくしてあげるのだ。  桑の葉を子供の身長くらいの高さに切りそろえたものが、お蚕さんの小屋の近くの日陰に摘んである。  それを両手に一杯抱えて、自分の胸くらいの高さがあるお蚕さんの棚に広げて行く。  その前にあげた桑の葉はもう、枝ばっかりになっている。  桑の葉は早朝に大人が切り出したものだ。  昼間上げてたりなくなれば、また大人が桑畑から切ってくる。  もちろん、僕も手伝ったけれど、とにかくお蚕さんには触りたくなかった。  桑の枝をおっかなびっくり広げて行くのだが、虫が平気な従姉弟や姉にはつかないのに、僕の袖や肩にはかならず一匹はお蚕さんがついているのだ。  桑をあげ終わった後に、とってもらおうとしてもみんな笑っていてとってくれない。  僕は嫌だけれど、ずっと自分にお蚕さんをくっつけておくのも嫌なので、あの、ちょっと粉っぽい感じの案外しっかりしている柔らかい生き物を服からはがす。足が結構しっかり服を掴んでいてしっかり持たないと取れないし、力を入れ過ぎてつぶれるのは最悪だ。  でも、お蚕さんを潰したことはないので、案外丈夫な虫なのだろう。  虫一つでそんな調子の上に、みんなは外で遊ぶのが好きで、僕は家の中で遊ぶのが好きだった。  けれど、一人で家の中にいても、自分の家とは違うので、好きな本もないし、ゲームも勝手にするわけにはいかない。  しかたなく外で他の子供3人と遊ぶのだが、足も遅い僕はいつも置いて行かれて、鬼ごっこをしているわけでもないのに常に鬼ごっこの鬼状態だった。    お盆と言えば盆踊り。その頃は、まだ田舎でも盆踊りが盛んにおこなわれていた頃だった。  少しだけれど、一日だけ出店も出るのだ。  子供4人は、みんな同じ額のお小遣いをもらって、盆踊りの会場に向かった。  昔の事だし、田舎なので街灯も少なく、毎年行っているとはいえ、まだ小学校3年生の年の事だった。  叔母は必ず全員一緒に行くのよ。と声をかけてくれた。  お小遣いの小銭を甚平のポケットに入れて、僕がお祭りに向かおうと、靴を履いている間に、他の3人は僕を置いてさっさと走って行ってしまっていた。  盆踊りの会場までは子供の足だと10分ほどかかる。  真っ暗な道を一人で10分も歩くのは怖かったけれど、僕だって盆踊りには行きたかった。  僕は一人で暗い道を走って、他の3人に追いつこうとした。  暗がりの中、何かに足をとられて思いきり転んでしまった。  手のひらも膝も擦りむいてしまって、見えないけれど、触ってみると血が出ているようだ。  もう、盆踊りの音も遠くに聞こえるばかりになっていた。  僕は半分べそをかきながら父の実家に戻った。  一人で戻った僕に驚いて、大人たちはすぐに傷を洗って絆創膏を貼ってくれた。  父が 『もう一度一緒に行こう。』  と言ってくれたが、僕は、もう、足も手も痛くて盆踊りにはいかないと決め、一人で大人とは別の部屋に行って、メソメソと泣いていた。  そして、そのまま眠ってしまった。  その後帰ってきた姉と従姉弟たちは大層怒られたようだったが、僕は知らずに眠っていた。  翌年、また同じように夏が来て、父の実家に行った。  父の実家は養蚕をやめていた。  元々、叔父と叔母は勤めながらの兼業農家だった。祖父と祖母が主に畑や養蚕をしていたのだが、祖父の具合が悪くなって手が回らなくなったのだそうだ。  僕は嬉しかった。とにかくあのお蚕さんに会わずに済むのだ。  その年の盆踊りには、夕方、まだ少し明るいうちに送りだされた。  去年の甚平はもう着られなくなっていたので新しい甚平を着た。  その年もみんな同じだけお小遣いをもらって出かけたのだが、僕がポケットに手を突っ込むと、去年のお小遣いの分が、僕の甚平のポケットに入っていた。  姉と一つ下の従兄弟は相変わらず僕を置いて行ってしまったが、二つ上の従姉妹は今年はちゃんと僕を連れて行ってくれた。  僕は、一緒に歩いている従姉妹に 「僕の甚平のポケットに去年の小銭が入っている。」  と、正直に言った。    確かに去年はお小遣いを使うどころではなかったが、今年もみんな同じ額のお小遣いをもらっているのに、僕だけ多いのは良くないんじゃないかと思ったのだ。 「きっと、おばあちゃんかお母さんが気が付いて去年出しておいたんでしょ?去年正志君は使っていないんだから、今年の分と合わせて使いなよ。」  そう言ってくれたが、僕はそのお小遣いを独り占めするのはどうにも心苦しくて、アイスキャンディーを4本買って、みんなで美味しく食べた。  父の実家に帰って、お小遣いの事を聞くと、祖母も叔母も 『しらないよ?私たちはお金なんていじってないよ。』  と、声を揃えていわれた。  不思議だったが、みんなでアイスを食べるために使ったので、僕にも変な罪悪感は残らなかった。  そして、大人になった去年の夏の事、久しぶりに父の実家に行って、その時の事を思い出して話していた。  すると、叔母が、 「正志君がお小遣いの事言った後ね、亡くなったお祖母ちゃんと話していたんだよ。甚平も浴衣も毎年、私とおばあちゃんで縫っていたのね。それで、きっと、正志君の前の年の甚平のポケットをそのまま翌年の正志君の甚平のポケットにしたんじゃないかって。」  と、話してくれた。  お小遣いは小銭の500円玉。誰の目にも触れないまま、縫っていた叔母や祖母も気づかないまま新しい僕の甚平に戻ってきていたんだ。  縫っている時に重みで気づかなかったんだろうか。    そんな不思議を残しながら、僕は今は亡き祖母の仏前に線香をあげた。 【了】          
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