第五話 行き先の変更(一)

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第五話 行き先の変更(一)

__ヨスニル共和国ドンクルート市ウィルズマリーホテル__555年8月22日  昨夜は襲撃のせいで寝つけず、窓の外が白むまで考えごとをしていた。そのわりに寝起きがスッキリしているのは回復力の高いイモゥトゥだからだろうが、眠る前に結論を出したおかげかもしれない。ソトラッカ行きを先延ばしにし、ザッカルングに向かうことに決めたのだ。  そう考えるに至った発端は、昨夜あの男が『オト』と名乗ったこと。あの時はただの失言だと思い笑ったが、むしろ新月の黒豹倶楽部への脅しだったのではと考えたのだ。おまえの仲間は把握しているぞ――と。それに、あの男はジュジュの名前も口にし、新月の黒豹倶楽部という組織の名前も知っていた。  では、どうやってその情報を得たのか?  真っ先に思いついたのは交霊だった。あの男がダーシャを追っていた(やつら)の仲間だと仮定すれば腑に落ちることは多い。ジュジュが『やつらは捕まえたイモゥトゥに交霊させてるかもしれない』と言っていたが、実際そうなのだろう。  交霊が厄介なのは、一人顔が割れると芋づる式に交霊対象を広げられることだ。ダーシャはすでに目をつけられていたから、関わりの深かったジュジュやオトのことが知られたのはそれで説明がつくし、おそらくパヴラもダーシャと面識があったのだろう。問題はどこまで知られたか。  もしかしたら、ダーシャの過去を交霊で見られたのかもしれなかった。エイツ家の使用人だったと知り、ダーシャがヨスニル共和国へ向かったと考えた。そして、チェサだけでなく研究所やエイツ家の周辺にも人を配していたとしたら、鉄道記念館で見かけたあの青年はエイツ家を見張っていてわたしの後をつけてきたのかもしれない。  わたしは謝罪として支配人から贈られた最高級のアイスワインをちびちび舐め、星空を背負った白神の峰を見上げてため息を漏らした。  冷静に思い返せば、侵入者は鉄道記念館で見た青年と背格好がよく似ている。部屋に押し入った時にカツラをかぶっていたのは、わたしに一度姿を見られているからだろうか? そう考えると、にわかに同一人物だという確信が湧いてきた。  それにしても、あの男の身のこなしは尋常ではなかった。咄嗟に反撃したわたしも普通とは言えないが、あれは無意識だからできたこと。ダーシャは護身術を体得していたとジュジュから聞かされていたけれど、それがこんな形でわたしを救ってくれるとは思ってもみなかった。  しかし、素人目にも男は体術や武術に優れていると思えない。不意をついて力任せに押さえつけようとし、簡単に背後をとられた上に、最後は逃亡。その逃亡の仕方が人間業ではないのだ。戦闘が専門ではなく特殊訓練を受けた諜報員といった印象だった。  あの男の目的は、わたしがイモゥトゥかどうか確認することで間違いないだろう。急なソトラッカ行きに対応して豪華列車に乗り、仲間を使ってわたしに怪我をさせ、確認役として一人(かどうかわからないが)列車内に残ってホテルまでついて来た。あの酔っ払い二人があっさり下車したのは役目が終わったからだ。  オトに話したら「また仮定の話ばかり」と笑われそうな気がするけれど、今回の推理は的中しているのではないだろうか。  やつらは七千万クランのイヴォンではなく、無差別に――いや、無差別というよりも新月の黒豹倶楽部の中心メンバーを狙っている。束ねる者がいなくなれば新月の黒豹倶楽部は機能しなくなり、他のイモゥトゥを捕らえるのも容易になるのだから。  オトは新月の黒豹倶楽部の中心メンバーとは言えないが、ダーシャと同室で寝起きしていたのだから勘違いされても不思議ではない。だからこそ胸騒ぎが収まらないのだ。もし交霊でオトの姿が見られたのなら、左腕の特徴を目印に後をつけられている可能性だってある。  なんにせよ、新月の黒豹倶楽部の住所は知られている前提で動く段階にきていた。ザッカルングではすでに移転準備が進んでいるし、おそらくジュジュも何らかの対応をしているはずだ。彼らが今の拠点を捨てるのであればわたしが研究所で連絡の中継点となるべきかもしれないけれど、無事に峠を越えて研究所にたどり着けるとは思えない。  道は整備されているが民家も人の姿もない林道がずっと続き、中腹あたりでは少しでも車輪が外れたら崖下まで真っ逆さまという箇所がいくつもある。つまり襲撃に適した場所で、隠蔽も簡単ということだ。そのためドンクルート周辺の宿泊客は同行者を募って数台の車列を組み、財布に余裕があれば護衛を雇って峠を越えるのだが、もしやつらがわたし目当てに襲撃を仕掛けてきたら無関係な人を巻き込んでしまう。 「……クソッタレ」  わたしは薄っすらと白み始めた空を見上げて吐き捨てた。残っていたアイスワインを全部グラスに注いで一気に飲むと、甘ったるさとともに一瞬だけふわりと酔いが回る。眼の前には、使用人のお仕着せを着たユフィの姿があった。 『ねえ、ユフィ。今のってロアナ語? どういう意味?』  わたし(・・・)の声はずいぶん幼い。 『あっ、お嬢さま。ええっと、今のは聞かなかったことには――、できないみたいですね』  ユフィはくしゃっと顔をゆるめ、悪戯を企むような笑みで手招きする。そして、わたしの耳元でコソッと囁いた。 『わたしが教えたっていうのは内緒ですよ。今のロアナ語の意味は――』     彼女の声は途中で途切れ、その姿もスッと消えてなくなる。わたしは自分で「クソッタレ」と答え、その瞬間ザッカルング行きを決めたのだった。そうしないと気が済まないから。  結論が出て眠りにつき、目を覚ますとアカツキからメモ書きと封書が届いていた。メモはオールソン卿と別館のラウンジにいるという朝食の誘い。封書の方はある程度予想していたことだが、オールソン卿にわたしの正体が知られたということが書かれていた。アカツキははっきりした返答を避けたようだが、否定しても意味はないだろう。    身支度を整えて別館に向かっている途中、受付のところで支配人が警官二人の相手をしているのを見かけた。そのまま通り過ぎようとしたが意図せず警官と目が合い、支配人はわたしに気づくと小走りに駆け寄ってきた。 「おはようございます、アッシュフィールド様。昨夜の件で警察が少し話を聞きたいとのことですが」  警察沙汰になってしまったのは面倒だが、ホテルとしては逃亡した男が捕まらない限り安心はできないのだろう。警官の一人が「時間はとらせません」と、支配人とわたしの間に割って入り手帳を広げた。 「昨夜部屋に押し入られたそうですが、特に被害はなかったということでよろしいですか?」 「ええ。突き飛ばされて転びましたが、特に怪我はしていません」 「何か心当たりは? 知り合いではありませんでしたか?」  警官は支配人から聞いた内容と照らし合わせているようだった。ならば、昨夜話したままのことを言えばいい。 「顔を隠していたのでわかりませんが、声に聞き覚えはありませんでした」 「男はなんと言ったのです?」 「大声は出すなと。でもその時にはもう声をあげた後でした。廊下から足音が聞こえてきて、男は慌ててベランダから逃げたんです。あの、もういいですか? 連れを待たせているので」 「ええ、結構です。ただ、男はあなたを狙った可能性がありますので、あまり一人で行動しないほうがいいですよ。それと、もし峠越えをされるのでしたら十分注意してください」 「ご心配ありがとうございます。実は、気持ちが落ち着くまで数日ここに滞在しようと考えているんです。警備を強化してくださったので、安心して過ごせますから。その間にあの男が捕まるかもしれないでしょう?」 「そうですね。われわれも尽力いたします」  お互い口先だけの会話だった。警官は被害も出ていない事件の犯人を真面目に探すとも思えないし、わたしがここに滞在するというのはやつらに行き先変更を悟られないための嘘だ。    そのあと外廊を通って別館のラウンジに向かうと、数組の客が朝食をとったり紅茶やコーヒーを飲んだりしていたがアカツキとオールソン卿の姿は見当たらなかった。近くにいた給仕にケイ卿はどこかと尋ね、案内されたのは庭に面したテラス席。外にいるのはわたしの連れ以外には一組だけで、席もずいぶん離れており、内緒話をするには最適の場所だった。  わたしは勧められるがままホテルの人気メニューだというパンケーキを注文し、二人が気にしている腕の傷について話を切り出したのは、皿が空になった後だ。 「オールソン卿はお気づきになったんですよね」  そう言ってレースの袖をめくり、跡形もなく癒えた腕を見せるとテーブルには束の間の沈黙が落ちる。オールソン卿は周囲をうかがい、気まずそうにわたしから目を逸らして「はい」とうなずいた。 「オールソン卿がそのような顔をされることはありません。知られてしまったのはわたしの落ち度ですし、むしろ打ち明ける機会ができて良かったです。昨夜、あの男はわたしのこの傷を確認するために来たようでした」  昨夜は支配人がいたこともあってその話はしていなかったため、二人とも「えっ」と驚きの声をあげたが、周囲の視線を気にしてすぐ表情を取り繕った。わたしは新月の黒豹倶楽部については伏せたまま、以前イス皇国で襲われたこと、急行列車の酔っ払いがおそらく男の仲間だということ、男は鉄道記念館で後をつけてきた男と同一人物である可能性について説明した。 「それから、男はわたしの仲間についても把握しているようでしたので、研究所行きは中止してザッカルングにいる仲間のところに向かいます」  言うべきことを言ってスッキリしたのはわたしだけで、ふたりは唖然とした顔でこちらを見ていた。
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