「うん、逃げよう!」 〜幼馴染と距離をおこうと思ったのに、なぜか上手くいかない…〜

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このままではダメだ。 私から離れよう。 「バイバイ、航大」 手紙の隣に、光り輝く指輪を彼の部屋にそっと置く。 そうして私は、幼馴染の前から立ち去ったのだった……… 私の名前は宮寺歩夢(みやでら あゆむ)。 幼馴染の黒薮航大(くろやぶ こうだい)とは交際中で、昨夜、なんと彼にプロポーズされてしまった。 正直、まだ学生なのにプロポーズ…?って思ったりもした。 けれど彼は学生でありながら起業している。 収入に問題はないし、私が学生のうちは子どもも作らないようにする。 だから、すぐにでも結婚して欲しいと口説き落とされてしまった。 断ることが……出来なかった。 ……あの時と同じだ。 彼に交際を申し込まれた時も、断る事ができなかった。 航大の事は大好きだ。 だからこそ、彼には幸せになってほしい。 でも、彼を幸せに出来る女性は私じゃない。 彼は勘違いしているだけだ。 幼馴染としての好きと、恋愛対象としての好きの違いがわからないだけなのだ。 ただの幼馴染でしかない私を、恋愛対象として好きだと間違えているのだ。 何度もそれを伝えようとした。 けれど、彼と目が合うとそれを言えなかった。 だって!! 航大はかっこいいのだ!!! 目が合ってしまったら、世界中の女の子が惚れてしまうんじゃないかと思うほどにとんでもないイケメンなのだ。 あれはもう、国宝級だと思う。 この国の宝と言っても過言では無いはずだ。 あの目で見つめられて、断れる女の子なんて果たして居るのだろうか。 とてもじゃないが、私にはできなかった。 こうなったら、私から離れるしかないよね…… そう思った矢先のプロポーズだった。 結婚をしてから彼と離れてしまうと、彼の戸籍にバツを付けてしまう。 それは嫌だ。 彼には、本当に好きな人と結婚してほしい。 その時に私との離婚歴がある状態にはしたくない…… そして、思いついたのだ。 「よし、逃げよう」と。 手紙を書いて、昨日受け取ってしまった婚約指輪を彼に返そう。 そうして彼から離れようと決める。 私がいなければ、彼は私への思いが恋心じゃなかった事にようやく気がつくかもしれない。 『本当に好きな人と幸せになってほしい』と書いた手紙と指輪を残して、彼の前から消える事にしたのが冒頭である。 急ごう。 航大は頭が良くて、勘も鋭い。 早くここから離れないと、彼に見つかってしまうかもしれない。 待たせておいたタクシーに急いで乗り込む。 「お待たせしてすみません。駅までお願いします」 直後、動き出すタクシー。 まずは手紙と指輪を残して航大の家から離れた。 どんどん離れていく彼の家をタクシーの窓から見つめる。 直接言えなくてごめんね、航大。 さよなら。 心の中でそう呟いたのと同時に、彼の家が見えなくなってしまった。 ゆっくりと座り直して、手に持っていた鍵を見つめる。 ついさっきまで、このキーチェーンには彼の家の鍵も付いていた。 今は私の家の鍵が一つだけだ。 航大から預かっていた鍵は、彼の家のポストの中へと入れてきた。 これで航大に家の鍵を返す事もできた。 あとはもう、彼から離れるだけなのだ。 とはいえ。 どれくらいの期間、離れていればいいのだろうか。 さすがに時間がなくて、移住するほどの準備はできなかった。 夏休みが終われば学校だってあるし、そればかりは簡単にできることではなかった。 アルバイトして貯めてきた所持金が尽きるまで、どこかに長期滞在する程度の事しか出来ないだろう。 それまでに彼が私を好きだなんて勘違いに気がついてくれるといいのだけど…… 「んーーーー!!!!!!海だあーーー!!!」 両手をいっぱいに広げ、どこまでも広がる青空に向かって叫ぶ。 誰も居ない海。 今は、私だけだ。 「ふふっ。海のにおいがする」 やや強い風が、心地いい。 私にとって、生まれて初めての大冒険だった。 こんなに遠くまで、一人でやって来たのは初めてだった。 今までも遠くへお出かけした事は何度もあった。 けれど、いつもは航大と一緒だった。 考えてみると、私はいつも航大に頼りっぱなしだった。 いつだって私を助けてくれて、守ってくれた。 私という存在は、どれほど厄介なものだったのだろう。 幼馴染として一番近くに私が居たせいで、航大は本当の恋心に気がつく事が出来なかったのだから。 でも、もう大丈夫だよね。 私が居なくなれば、航大は本当の恋を知る事が出来るだろう。 これであの子の事も見てくれるようになるのかな……… 航大から離れるという事は、自分の足で歩かなきゃいけないんだ。 彼に頼らずに生きていけるようにならなくちゃ。 大丈夫。 きっと、大丈夫だ。 「………あれ?この部屋で合ってるのかな……」 案内された部屋を見て、思わず呟く。 え……? だって、いくらなんでも部屋が広すぎる。 格安ホテルで検索して来たハズなのに……? ……ベッド、大きいな。 窓からは海も街並みも見れて、景色が綺麗だ。 実は、最初のホテルに着いた時にちょっとした事があった。 何かの手違いがあったらしく、泊まる予定だったホテルからこのホテルへと案内された。 料金はそのままなので、このホテルに泊まるようにと。 けど……いくらなんでも、この部屋は格安から程遠い部屋な気がするんだけど……? どう見ても一人部屋では無さそうだし。 うーん……でもまあ、いっか。 泊まれる宿があるのだ。 それでいい。 まずは一週間このホテルに泊まって、次の行き先を考えようかな。 「暇だ」 一人のホテル暮らし。 2日で飽きてしまった。 どうしようもなく暇だ。 連泊じゃなくて、あちこち行くプランにでもすれば良かったのかな。 そんな事を思いながら街の中を散策する。 いっそバイトでもしたいけれど、あと3日しかこの街には滞在しない予定だ。 こんなにも単発のアルバイトなんて無いよねぇ…… 「………え?」 そんな時に目に入ったのは、超短期のアルバイト募集の張り紙だった。 え? こんなに都合のいい話があるだろうか。 ………うん! 暇だしやってみよう。 勢いでお店の中に入ると、その場で面接となって即採用された。 「ねえ、今日からなの?」 そう言ったのは、お店のお客様だった。 「え?……私ですか?」 「うん。そうだよ」 「はい、そうです。今日からです」 「そうなんだ。短期?長期?」 「超短期です」 「え!?そうなの?なんだよ〜!!こんな可愛い子がずっと居てくれるのかと期待して聞いたのにー」 心底、残念そうに言うお客様。 「ふふっ。可愛いなんてお世辞、ありがとうございます」 そう言いながら、ニコッと笑う。 「いやいやいや。お世辞じゃなくて事実だから」 お世辞をこんなにもサラリと言えるとは。 この人、女の子を口説き慣れている人なのかな? 私は可愛いなんて男の人に言われた事がないから耐性がない。 慣れてないから、こんな時に返す言葉のバリエーションが無くて困る。 航大にだって言われたことがない。 彼の周りの男子にも、もちろん言われたことがなかった。 せっかく可愛いの大サービスをしてくれているというのに、なんて返せばいいのかわからない。 「ねえ、彼氏いるの?」 彼氏………? 航大には別れの手紙を置いて来た。 今の私に彼氏はいないという事でいいのかな……? いや、でも……一応、彼から了承の返事をまだ貰っていない。 つまり、まだ別れた事にはならないという事なのかな? 「えっと……はい」 「………あー!!!やっぱ、いるのかー!!だよなぁ、こんなに可愛いのに男が放っておくわけが無いよなー」 この人、本当に『可愛い』を大サービスしてくれる人なんだなぁ… あと何回、『可愛い』と言うのだろうか。 数えてみればよかったかな。 そんな事を考えていると、お店の扉が開く音が聞こえて来た。 「いらっしゃいませ!何名様で………」 来店したお客様の顔を見た瞬間、それ以上の言葉が出てこなくなった。 そこにいたのは、国宝級のイケメン男子。 「見つけた」 そう言いながら店の中へ入ってきたのは、なんと航大だった。 …………航大? 「………え?なんでここに………!?」 どうして……? いや、それどころじゃない。 彼が激怒しているのは、見て明らかだった。 マズイ。 逃げなきゃ。 そう思って慌てて走り出す。 目指す場所は、スタッフルームだ。 けれど。 スタッフルームへ辿り着く前に、航大の腕の中に囚われた。 すっかり忘れていた。 彼が元バスケ部エースで、今でもとても足が速いということを。 力強い腕の中に閉じ込められて、動けなくなる。 「へぇ……まだ俺から逃げるんだ」 いつもよりも、ずっと低い彼の声。 より強く、私を抱きしめる航大。 それはそうか。 話し合いもなく、私は居なくなったのだ。 心配をかけたのだろう。 それに関しては申し訳ないと思っている。 「あれ?黒薮くん、早かったね」 そう言ったのは、このお店の店長さんだった。 黒薮くん……? 何……? 店長は航大の事を知っているの……? 「店長。俺の妻を捕まえてくれてありがとね」 「いやいや。黒薮くんには助けられてばかりだからね。っていうか、こっちこそ彼女に働いてもらえて助かったよ」 「コイツ、連れてっていい?」 「うん。いいよ」 「また後で来るから」 「わかったよ」 妻? 捕まえててくれてありがとう? 連れてっていい? …………ん? 何の話なのだろうか。 「歩夢。お前の荷物はこれだけ?」 そう言いながら、私の荷物を手にする航大。 「え?えっと、うん」 「ふーん……じゃあ、行くぞ」 行くって、どこに? そう思ったのと同時に、私の身体が浮いた。 なぜ!? 「え?ちょっ、航大!?」 私の身体は、なぜか航大の肩に担がれていた。 「航大!おろして!!」 そう言いながら抵抗するけれど、無駄だった。 私が何をしようとしても、力の強すぎる航大にはどうしたって勝てない。 このまま航大の家まで連れ戻されるのかと思ったけれど、彼がたどり着いたのは私がひっそりと宿泊しているホテルだった。 航大も、このホテルに泊まるのだろうか…? 「黒薮様、お待ちしておりました」 ホテルの中に入ると、航大を見つけたホテルの人が彼に声をかけてきた。 「お久しぶりです。急に無茶な事を言って、申し訳ありません」 「いえいえ。大丈夫ですよ。このホテルが存続しているのは貴方のおかげなのですから。このくらい協力させてください。こちら、ルームキーとなっております」 「………ありがとう」 そんな会話をしながらルームキーを受け取る航大。 やはり、航大もこのホテルに宿泊するようだ。 彼は何階の部屋なのだろうか。 私を担いだまま、エレベーターに乗る航大。 っていうか、もういい加減におろしてくれないかな…? そんな事を思っていると、航大が宿泊する部屋の階に到着したらしい。 ゆっくりと開くエレベーターの扉。 ここ、何階なのだろう? ふと見ると、私が宿泊している階と同じだった。 部屋が近いのだろうか? そうしてたどり着いた部屋の鍵を開ける航大。 彼に担がれたまま、部屋の中に入る私。 彼の部屋で話し合いという事なのだろうか。 まあ、そうだよね。 やっぱり黙っていなくなるのはダメだよね。 私なんかじゃなくて、ちゃんと好きな人を見つけてくださいと言おう。 ……でも、この国宝級の顔を見て言えるのだろうか…? あんまり自信ないなぁ…… ふと、視界の端に見慣れた物が入る。 ………ん? ……あれ? あのキャリーバッグ、私のと似てる…? っていうか、私の……? あれ? この部屋、もしかして私の泊まってる部屋? ここに航大も泊まるの? いや、いやいやいや。 もう別れる男女が同じ部屋は無いだろう。 もしも彼がこの部屋に宿泊するのなら、今からでも他の宿を探した方が良さそうだ。 「航大…ここに泊まるの?」 「うん」 「そっか。あの、私のバッグからスマホ取ってくれる?」 「………なんで?」 「なんでって……同じ部屋で泊まるわけにはいかないし、私は他の宿……を………?」 突然。 視界がぐるりと回った。 な……に………? 背中には柔らかなベッドの感覚。 視界に入るのは部屋の天井だったけれど、それは一瞬のことだった。 天井を遮るように、私の目の前には航大の顔がある。 なんて整った綺麗な顔なのだろうか。 いや、今はそんな事を考えている場合では無い。 なぜ、私はベッドの上にいるのだろうか。 なぜ、航大は私をまるで押し倒しているかのように覆い被さっているのだろうか。 なぜだろう……? 「同じ部屋でいいだろ。俺たち、結婚するんだから」 俺たち結婚するんだから…? ん? あれ? 「あの…航大?」 「何?」 「………手紙…読んでない?」 「手紙………?」 彼はあれから家に帰ってないのだろうか。 私の手紙を読んでいないのだろうか。 そうだとするのなら、まだ結婚するつもりでいるのも納得できるのだけど… 直接、彼の顔を見て言うことは出来ない。 そう思ったから手紙を残してしまった。 けれど、それじゃやっぱりダメだよね。 ちゃんと自分の口で言わなくちゃ。 「………航大。あのね、話があ……んぐっ……」 私の口を塞ぐ航大の大きな手。 ちょっ……なんで………? 私の口を塞ぐ彼の手を掴んで離そうとしてみるけれど、彼の手はびくともしない。 これでは話し合うこともできない。 「お前の気持ちが俺に向くまで、ずっと待ってたのに」 そう言ったのは、航大だった。 私の気持ち……? ずっと待ったって……? 「とりあえず結婚して完全に囲って、それからゆっくり落とせばいいと思ってたのにな………」 結婚さえしてしてしまえば、時間ならいくらでもあると思ったのに。上手くいかないもんだな……っと続ける航大。 「お前の意思なんて関係なく、手を出すことだって出来た。でも、それをやっちまうとお前の心は一生手に入らない。それがわかってたから我慢してた………でも、こうやって逃げられるくらいなら俺のモノにしてもいいよな?」 私に問いかけているのだろうか。 でも、彼に口を塞がれていて返事など出来ない。 口を塞がれていなかったところで、何と答えるのが正解かもわからない。 その時。 彼のスマートフォンが震えた。 小さく舌打ちをすると私の口から手を離す航大。 そうして、彼はポケットからスマートフォンを取り出して画面を確認する。 何かメッセージでも届いたのだろうか。 しばらく画面を見ていた彼が私を見た。 「…………何を話してた?」 何を話してた……? って……? 「え?何が?」 「さっきの店で客の男と話してたんだろ。何を話してた」 「ああ………」 あのお客様の事か。 可愛いの大サービスが止まらないお客様の事だよね?きっと。 「何って…バイトは長期なのか短期なのかって聞かれて超短期ですって話と……」 「あとは?」 「……………」 お世辞とはわかっていても、『可愛い』って言われたと自分で言うのはどうなのだろうか…… 「おい。答えろ。何を話してた?」 そう言いながら私の顎を掴む航大。 そんなことしなくても別に逃げないけど…… 「………なんか……可愛いってたくさん言われた。それがお世辞だって、もちろんわかってるよ」 「…………他には?」 「他……?………あ、彼氏がいるのかって聞かれた」 「もちろん、いるって答えたんだよな?」 「………まあ、うん」 「彼氏って、俺のことだよな?」 「そう……だね。まだ航大から返事もらってなかったし…」 返事を貰うのなら、今だよね。 「ねえ、航大」 「ん?」 「あのね。手紙を読んでないみたいだから言うけれど…」 「手紙って、俺の家にあったコレの事を言ってんのか?」 そう言いながら航大がポケットから何かを取り出した。 それは、私が彼に宛てた手紙だった。 別れて欲しい事、突然いなくなることへの謝罪、本当に好きな人と幸せになって欲しい事を書き記した手紙。 あ………あれぇ? 「え?読んだの?」 「……………」 私の質問に否定もしなければ、肯定もしない航大。 好奇心旺盛な彼の事だ。 たぶん、読んだのだろう。 読まずにいられたとは思えない。 「あのね、航大。航大は私の事が好きって言うけれど、多分それ勘違いだと思うの。私がずっと航大のそばから離れなかったせいで、友だちとしての好きと恋愛対象としての好きの違いがわからなくなっちゃったんだと思うの」 航大は何も言わずに私を見下ろしている。 黙って話を聞いてくれるつもりのようだ。 「航大の事はもちろん好きだよ。でも、私の好きは航大と同じで『友だちとしての好き』だと思うの。告白されたのも嬉しかった。だから付き合った。プロポーズも嬉しかったよ。でもね、やっぱり結婚は本当に好きな人とするべきだと思うの。………付き合って、プロポーズも受けちゃってごめんね。航大の時間を奪うべきじゃ無かったって反省してる」 そこまで言うと、深呼吸をしてゆっくりと航大を見上げる。 「航大。別れてください。お互い、ちゃんと好きな人を作って幸せになろう」 そう言いながら、彼と過ごした時間を思い出す。 幼稚園の頃から、ずっと一緒に過ごしてきた彼との時間を。 楽しいことも、苦しいことも、たくさんあった。 たくさん喧嘩もしたし、そのたびに仲直りだってした。 かけがえのない、大切な時間だった。 一緒にいられて幸せだった。 一緒に過ごせて良かった。 心残りなのは彼の大切な青春時代を私なんかが奪ってしまったことだ。 航大なら、私なんかじゃなくて可愛い彼女を作れたことだろう。 幼馴染の好きと恋愛対象の好きがわからなくなる事も無かったのだろう。 「航大の大切な時間を…奪ってごめんね」 やばい。 なんだか泣きそうだ。 これ以上はここにいられない。 「ごめん。すぐに出ていくね」 そう言って最後に彼に向けて精一杯の笑顔を向ける。 急いでベッドから起き上がると、部屋の隅にまとめてあった荷物に手を伸ばす。 けれど…… 私の手が、その荷物に届く事はなかった。 私の身体が、伸ばしたその手が、後ろから彼に捕らえられた。 私の腹部に片腕を回し、もう片方の手は私の片手を掴んでいる。 予想もしてない彼の行動に戸惑って動けなくなる。 けれど、ハッとする。 いや、ダメダメ。 もう別れたんだ。 航大から離れなきゃいけないんだ。 そう思って彼の腕から離れようとする。 でも………びくともしない。 なんって力なのだろうか。 本当に動かない。 全く。 少しも。 全然動かない。 彼の腕はびくともしない。 「あの、航大?私、もう行くから離れてくれる?」 「行くってどこに?」 どこって…… それは…… 「えっと……これから決める…かな」 とはいえ、これから宿なんて取れるのだろうか。 うーん……出来れば野宿は避けたいなぁ…… まだ最終の列車が動いてる時間だろうか。 自宅に帰る事が出来るかな。 間に合うのなら家に帰ろうかな。 もう、逃げ回る必要などないのだ。 ちゃんと別れの言葉を彼に伝える事が出来た。 航大が私を追ってくる理由だって無くなった。 もう、遠くへ行く理由などない。 そうだ。 まだ間に合うのなら帰ろう。 「ねえ、航大。いま何時何分?最終の特急列車にまだ間に合うか…………」 そう言いながら振り返ると、私の唇に航大の唇が重なった。 え………? あれ? なんで!? 口と口がぶつかっちゃった……!!? 「………んっ!!」 慌てて離れようとするけれど、航大に強く抱きしめられていて離れられない。 離れるどころか、より強く抱きしめられる。 な……なぜ……!? これじゃまるで、キスしてるみたいじゃないか。 私たちは、もう付き合っていない。 付き合ってないのだから、これはキスじゃなくて口と口がぶつかったって事だよね? ダメダメ。 離れなきゃ…………!!! 必死で抵抗するけれど、少しも距離が広がらない。 どんな力を持ってるのか。 航大がなかなかの怪力だとは思っていたけれど、私が想像するよりもよっぽど力が強いらしい。 無理無理。 女子の平均並みにしか力の無い私には、とてもじゃ無いけれど対抗できない。 やっと唇が離れたと思ったら、今度は彼に左手を掴まれていることに気がついた。 ん? 何だろう? 不思議に思っていたその時。 左手の薬指に何か違和感を感じた。 え? 何……? ふと自分の左手を見ると、薬指に真新しい指輪がはまっていた。 「…………ん?……え?」 見たことのない指輪がハマっている事に気がつき、思わずぼーっと見つめてしまう。 ん……? 何これ? 数日前に航大の家に置いてきた婚約指輪とは違う指輪だよね………? 「航大………?」 「あの指輪、気に入らなかった?それなら言ってくれれば違う指輪にしたのに。これも気に入らないか?それなら、他にも買ってあるから帰ったら好きなの選べよ」 「………え?」 「昔、お前が桜が好きって言ってたから桜をモチーフにした指輪を中心に選んだけど、今はそんなに好きでもないのか?婚約指輪が選びきれなくて20個くらい買ってあるから、帰ったら好きなの選べよ」 「……………?」 え? なんて? 婚約指輪を20個くらい買った? 何のために? 航大がプロポーズしたい女の子が20人くらいいるということなのだろうか……? あれ? そんな相手がいるのなら、私が逃げる必要なんて無かったんじゃ……? なーんだ。 ちゃんと好きな女の子を自分で見つけられたんだね。 さすが航大。 やっぱり、何をやらせてもできる男なんだなぁ。 「なーんだ、ちゃんと航大にも好きな子がいたんだね。そっかそっか。こんな所まで来たのは、私と向き合って別れ話をするためだったんだね」 そう言いながら彼を見上げると、ひどく冷め切った瞳の航大と目が合う。 え……? なに? 怒ってるの………? 「ああ………居るよ。もうずっと、長い事好きな女が。ガキの頃から、絶対に逃さないって決めてる」 「そうなの!?じゃあ、なんで私に告白なんてしたの!?ダメだよ、その子に告白しないと!!まって…その子に誤解されてるんじゃ……!?大丈夫!!私からも言うから!!私と航大はキス以上の関係になった事ないって、ちゃんと伝えるよ!!」 大丈夫!私に任せて!っと彼を見上げると、より冷め切った視線を私に向ける航大。 「……………はー………もう、メチャクチャに犯してもいいかな。いい加減にゆるされるよな……?」 っと、どこか遠くを見て航大が呟く。 ん? 何の話をしてるんだろう? 「よし、とにかく家に帰ろう!」 そう言って笑うと、航大も小さく笑う。 そして。 くるりと私の向きを変えて、少し強い力で私の肩を押した。 真後ろにあったベッドの上に落ちる私の身体。 ん? またベッド……? なんで……? 「歩夢。結婚式の日時が決まった」 そう言いながら、起きあがろうとした私を押し倒す航大。 結婚の日時が決まった……? ん?航大の好きな子と航大の結婚式ってことだよね? あれ?まだ告白してないんだよね? さすがにそれは気がはやくないかな!? 「え?もう?相手の女の子から返事貰ってないんじゃないの?っていうか、そもそも告白もまだなんだよね?順番おかしくない?」 「返事なら貰った。俺が告ったら付き合うことに同意してくれた。まあ、同意するしかない状況に追い込んだのは俺だけど」 「おお……なんだ。告白したんだ?」 …ん? いつの間に? 私と付き合ってたのに告白したのか…? それとも別れの手紙を見た後に告白したのだろうか? まあ、私と航大は別れたんだし。 もうどっちだっていいか。 「プロポーズもした。それも同意するしかない状況に追い込んだのは俺だけど」 「へぇ…この短期間でプロポーズの同意まで得たんだ……やるね、航大」 「強引なやり方だとは自覚してた。けど、まさか逃げられるとは思わなかったけどな」 「………ん!?え!?逃げられたの!?ちょっ、ちょっと!!こんなとこにいる場合じゃないでしょう!!はやく追いかけて捕まえないと!!」 「そうだな。だから捕まえに来た」 そう言いながら私の両手を掴む航大。 ん………? 「いや、私じゃなくて。そのプロポーズした子を捕まえに行きなよ。どうするの、逃げられた先で他の男の人に取られたりしたら」 「そうならないように宿泊予約していた宿から、俺の監視下におけるホテルに変更させた。ホテル生活に飽きて次の場所に行こうと計画しないように、この近辺に短期バイト募集の貼り紙をするように指示もした」 ………ん? 何の話をしてるのだろう? 「本当ならすぐに追いかけて捕まえたかったんだけどな。両家の挨拶、引っ越し、仕事と結婚式の日程調整があってすぐには無理だった。だから、俺がここに来るまでお前を常に監視するように頼んでおいた」 ん? 私を監視? 私を監視してどうするのだろう。 航大の好きな子はどうしたのだ。 「………んっと……よくわからないんだけど…つまり航大は、その子を捕まえられたの?」 そう問いかけると、私を掴む彼のその手に力が入る。 ちょっと…… 痛いんだけどなぁ…… 「物理的には捕まえた」 「物理?」 ん??? 何だろう。 高校とかで習う教科の話? 「でも、心は捕まえてない」 「………心?」 「どうしたら捕まえられる?もう、俺……どれだけ我慢したかわかんねぇよ」 ………? どういうことなのだろう? 付き合ってて、プロポーズも受けてもらえて、結婚もするんだよね? で、彼女のことは捕まえた。 けれど心はまだ捕まえられない。 どうしたら彼女の心を捕まえられるのかもわからない、と。 「………らしくないよ、航大!!」 そう言いながら、彼を見上げる。 「航大は、勉強も運動も何でもできて。いつだって自信満々で、バスケがすっごく上手で、ちょっと口が悪い所があるけれど本当はすっごく優しくて。小さな頃からいつだって私を守ってくれて、すっごくかっこよかったよ。そんな風に落ち込むなんて、航大らしくないよ!!」 「……………」 「大丈夫。きっといつか、その子も気がついてくれるよ」 「いつかっていつだよ。もう、待つのも限界なんだけど。今すぐに襲いたい」 「ちょっ………」 なんて事を言うのだ。 いくら国宝級のイケメンだからって、ゆるされることとゆるされないことがある。 イケメンは無罪放免になる事が多いけれど、同意がないのはやっぱりダメだと思う。 というか今ここに居るのは私なのであって、航大の好きな女の子ではない。 相手が違うだろう。 っていうか、相手って…… 「ねえ。航大の好きな子って、航大の会社の秘書課の遠野さんだったりする?」 そう言った途端、鋭い視線を私に向ける航大。 あれ? 違うのかな……? 航大にプロポーズされる数日前。 泣き腫らした顔をした彼女が『プロポーズされるのは私のはずだったのに……!!!』っと言っていたのを思い出す。 プロポーズされるのは遠野さんだったわけではないのだろうか? 彼女は勘違いをしただけであって、他に航大の好きな人がいるのだろうか。 「…………やっぱ、あの女に何か言われたのか。アイツ……もっと早くに消すべきだったな……」 そう言いながら怖い顔をする航大。 消すって…何をだろう…? 「歩夢。黙って聞けよ」 「……え?うん」 「俺が好きな女はお前だ」 航大が好きな女は私………? え? 「いや、だからそれは……むぐっ!!!」 っと言いかけた私の口はまたしても彼の大きな手で塞がれた。 「黙って聞けっつってんだろ。犯すぞ」 我慢の限界なんだよっと怖い顔をする航大。 おか………!? 何だというのだ、一体。 「俺がガキの頃から好きなのはお前だ。他の誰でもなく、俺はずっと歩夢が好きだ。お前は自分が離れなかったせいで俺の女を見る視野が狭くなってると思ってんだろうけど、離れなかったのはお前じゃない。俺だ。俺がお前から離れたくなかったんだよ」 真っ直ぐに私を見つめて彼が言う。 離れなかったのは私じゃなくて、航大……? 「お前のそばから離れなかったのは俺の方なんだよ。お前に近付く男は、片っ端から片付けた。使える権力は全て使って排除してきた。お前の周りに男が居なかったのは俺のせいだ」 ……………? へぇ……? よくわかってなさそうな私に気がついたのだろうか。 どこか呆れた顔をして航大が私を見ている。 「何でそんな事すんのかわからねぇって顔だな」 その言葉に、小さく頷く。 彼に口を塞がれたままなので、返事はできない。 「お前が俺以外の男と恋に落ちないようにするためだよ」 私が航大以外の男の人と恋に落ちないため……? 「歩夢が好きだから、お前が他の男と恋に落ちるのなんて見たく無かった。他の男に取られるくらいなら、相手の男を消して、お前を道連れに死ぬしかないと思ってる」 道連れに…… 死ぬ……!? え? この人、本当に航大だよね…!? 思わず目をぱちぱちと瞬きして彼を見上げる。 うん。 間違いなく航大だ。 でも、とても航大のセリフとは思えない言葉が………? 「俺はお前無しじゃ生きられない。頼むから俺のモノになって、歩夢」 そう言いながら、私を包み込むように優しく抱きしめてくれる航大。 そうして塞がれていた私の口が自由になる。 彼の弱った姿を見た事は何度もある。 けれどそれは、幼い頃の話だ。 中学を過ぎた頃からそんな姿はパッタリと見なくなった。 どこか弱々しい彼が、懐かしくて。 何だか愛おしくて。 その大きな背中に腕を回す。 そうして、その背中を優しく撫でた。 「…………歩夢。俺のモノになるって言えよ。じゃなきゃ道連れだからな」 道連れに死ぬ……ってこと……? 「……………それは……よくないね」 「だろ?(まあ、ここで死ぬ気は無いけどな)言っておくけど、俺のモノになるって言うまでこの部屋から出さねぇからな」 何時間でも、何日でも、何年でも、っと呟く航大。 「…………それは………私に選択肢はないのでは?」 「もちろん無い。こんなとこまで俺から逃げてきた時点で、お前を捕まえたら二度と逃がさないって決めてたから」 「………本当に私が好きなの…?幼馴染としてじゃなく…?」 「好きだよ。逃げられないように今すぐにでも孕ませて、責任とって結婚したいくらいに」 「……………」 今のは、聞かなかったことにしてもいいだろうか。 理解しきれない言葉が飛んできた気がする。 ………気にしないでおこう。 うん、それがいい。 「歩夢。俺のモノになるって言って。俺、絶対に幸せになれるから」 「幸せになるのは私じゃなくて航大なの?」 「うん。お前が俺のモノになってくれれば、俺は絶対に幸せになれる。歩夢が幸せになれるかどうかはわかんねぇけど、幸せにできるように死ぬ気で努力はするよ」 私の両頬に手を添えて、彼が優しく笑って言う。 本当に私でいいの? 料理は得意だけど、掃除は苦手だよ。 また喧嘩になって、好きから嫌いになっちゃうかもしれないよ。 そうなったとしても、後悔しない? 私自身の気持ちはどうなのだろう。 航大の好きと私の好きはきっとまだイコールでは無い。 でもそれは、いつかイコールになるかもしれない。 それが今日か、明日か、10年先か、もっと先か。 それはまだ、わからない。 それでもいい? 聞きたい事は、たくさんあったはずなのに。 彼の顔を見ると、何も聞けなくなってしまった。 「歩夢。俺と結婚して、家族になって」 そう言いながら、私の指に自身の指を絡める航大。 その手が複雑に絡んだ糸のように、ほどけなくなる感覚に陥る。 ああ。 きっともう、逃げられない。 観念したように頷くと、見た事がないほど嬉しそうに笑う彼に強く抱きしめられた。 END
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