ふたりだけの部屋

1/6
前へ
/6ページ
次へ

ふたりだけの部屋

自販機で麦茶を買ってベンチに座って一口飲む。 夜の公園は人がいなくて静かだ。 「……」 『んっ、…っあ…っ!』 『……はぁ』 『…?』 溜め息に祥吾(しょうご)を見上げる。 『(ひじり)さぁ、もっと可愛く啼けないの?』 『可愛く…?』 『もっと女みたいな声出せないのかって言ってんの』 「……」 そんな事言われたって、俺は男だからやっぱり声は低いし、女の人みたいに可愛らしい声は出せない。 でも祥吾がそれを求めるなら頑張らないと。 祥吾に気に入ってもらいたい。 祥吾に捨てられたくない。 いつしかそればかりになっていて、俺は祥吾を好きなのかどうかわからなくなってしまった。 でも祥吾の言う通りにしていれば捨てられないんだから、そうすればいい。 「あー、あー」 声をちょっと高めに出してみる。 でもやっぱり男の声。 これじゃだめだ。 もっと気に入ってもらわなくちゃ。 もっと、もっと。 涙が落ちた。 いつからこんな風になっちゃったんだろう。 告白してきたのは祥吾のほう。 『男同士だけど、それでも聖が好きだ』って告白してくれたのが大学卒業の時。 ずっと仲のいい友達で、でも一般に言う“友達”より距離が近かった。 付き合うようになってから祥吾は変わった。 俺を疑う事が多くなり、スマホをチェックしては怒鳴られた。 そしてすぐに浮気もするようになった。 その時点で別れればよかったのかもしれないけれど、俺は、自分が悪いんだと思って我慢してしまい、『もうしないから』と謝る祥吾に、しょうがないなという気持ちになって許してしまっていた。 そして、たぶん浮気した相手と比べられているんだろうけど、セックスに注文を付けられるようになった。 心の底ではもううんざりしているのに、祥吾から離れられない。 だってこんな俺を必要としてくれている。 祥吾から離れたら、もうそうやって俺の身体だけでも必要としてくれる人に出会えないかもしれない。 また涙が落ちた。 「あー、あー…あー…」 だめだ、こんなんじゃ嫌われてしまう。 もっと可愛く。 もっと女の人みたいに。 「発声練習?」 「!!」 突然の声に顔を上げる。 「………」 「こんばんは」 言葉を失うほどかっこいい男の人が立っている。 背後の満月がすごくよく似合って、一瞬、人ではないなにかなのかと思ってしまった。 と同時に頬を伝っていく涙に気付き、はっと顔を隠す。 「今夜はちょっと冷えるね」 その人はたぶん涙に気付いているのに気付いていないふりをして隣に座った。 俺はさっと涙を拭ってその人の顔を見る。 すごく綺麗な顔立ち。 本当に人間なのかな、とやっぱり思ってしまう。 「役者さん?」 「え?」 「発声練習してたから」 「まさか!」 ただあーあー言ってただけなのに。 もしかしてすごく気を遣ってくれてる? いや、もしかしなくても気遣ってくれてる。 だってこんな暗い公園であーあー言ってる男って怪しいだけだ。 「…ただ、女の人みたいな声が出せるかなって思って声出してただけで」 「女の人みたいな声?」 「あっ!」 つい本当の事をぽろっと言ってしまった。 引かれるかな…引かれるよな。 「いえ、なんでもないです。それじゃ…」 気が重いけど帰らなくちゃ。 ベンチから立ち上がる。 祥吾は心配なんてしてないだろうし、もしかしたらまたどこかの女の人のところに行ってるかもしれないけど。 溜め息が出てしまう。 「帰るの憂鬱?」 「…まぁ、ちょっと」 帰る事自体はいいんだけど、そこにいる人物が憂鬱。 「なにかあったの? よかったら話聞くよ?」 「……でも、知らない人にそんな…」 「俺、中河(なかがわ)(まさき)」 「?」 「これで知らない人じゃないでしょ?」 中河さんは優しく微笑むので、なんだかおかしくて笑ってしまう。 確かに知らない人じゃなくなった。 「……八代(やしろ)聖です」 なんとなく握手をしてもう一度ベンチに座った。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!

35人が本棚に入れています
本棚に追加