「かわいい」よりも

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◇◆◇ 翌朝、マンションの前に羽海が立っていた。 「おはよう、誉」 「おはよう…どうした?」 なんだか不機嫌だ。 「…誉と同じにおいにならない」 「は?」 「洗剤も柔軟剤も同じの使ったのに、違う」 それでむすっとしているって、どれだけ同じにおいにしたかったんだ…。 そんなに好きなにおいなのか。 「枕カバーが誉のにおいなら膝枕みたいだと思ったのに、違うにおいで悲しい夜だった」 「!?」 「ねえ、誉。今夜はいい? 抱き枕にしたい」 なにを……膝枕? 今夜はいい?って聞かれても、そんなに俺を抱き枕にしたい理由もわからない。 「誉、お願い」 「……」 羽海のお願い顔は反則だ。 これで頷かないなんてできないだろう。 「……しょうがないな」 「ありがとう!」 抱きついて来ようとする羽海を避けると、また不満顔になった。 「なんで?」 「夜まで待て」 「わかった。待つ」 羽海はぎゅっと唇を引き締めたかと思ったら、どんどん口元が緩んでいく。 そんなに嬉しいか…おかしな奴。 俺が歩き出すと、羽海も隣を歩く。 「誉、今日の帰りは何時くらい?」 「七時には帰れると思うけど…」 「俺はバイトだから十時半頃になりそう」 「十時半?」 前にバイト帰りだったのは八時頃だ。 「うん。あ、誉と会った土曜日はヘルプで入ったからいつもより早い時間だったんだよ」 「大変だな」 「誉のほうが大変そう。でも今夜はきっとゆっくり眠れるよ」 「期待してる」 なんとなく言った言葉に羽海がぱあっと表情を明るくする。 その後、ちょっと頬を赤らめた。 「どうした?」 「誉って、えっち」 「えっ……ち?」 「夜を期待してるって言うのは可愛過ぎる!」 俺の手を取ってぎゅっと握るので、そっと離させる。 「俺は可愛くないだろ」 「可愛いよー誉可愛い! 昨日みたいに抱き締めていい?」 「だめだ」 こんな道端で…絶対だめに決まってる。 でも羽海はめげない。 「夜はたくさん抱き締めるから」 「……」 俺が顔を背けると、羽海がぐっと顔を覗き込んでくる。 見られたくなくて俯いたら、更に覗き込まれた。 「誉、真っ赤」 「…うるさい」 「可愛い」 抱き締められるのにも慣れていない俺をからかって楽しいんだろうか。 「いいから行くぞ。遅刻する」 「そうだね」 並んで歩いて、視線はちょっとずらして羽海が視界に入らないようにする。 だってそうしないと顔がどんどん熱くなってきて、どうにもならなくなる。 こんな真っ赤な顔で会社に行けないし、電車に乗るのも恥ずかしい。 羽海はそれをわかっていて、たまに俺の顔を覗き込む。 「…『可愛い』はやめてくれ」 「じゃあ愛らしい」 「それ、似たようなものだろ」 俺がちょっとむっとすると、頬をつつかれた。 馬鹿みたいなやりとりなのに心がふわんと浮くような感覚に戸惑う。 なんだか心も身体もむずむずする。 電車に乗ると、また羽海のにおいがする。 でも今日はムスクじゃない。 フローラルの優しいにおい、羽海のにおい。 ああ、そうか。
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