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はあ。
今日、何度目かのため息。
どこを見ても、同じようにしか見えない建売住宅。同じようにしか見えない路地。
この家の前をさっきも通ったような。
あの自動販売機、さっきもあったような。
もうどっちから来たのかも覚えていない。
そう。私は方向音痴だ。
もともと方向音痴だという自覚はあったのだけれど、最近はスマホの地図アプリもあるし、この年になるまでに、自分なりに道に迷わない対処方法もいくつか編み出してきた。
だから今ならどこに行ってもまあそうひどいことにはならないだろう、とたかをくくっていた。
だけど、どうもそれは駅前や繁華街などの目印になる建物が豊富な場所でしか通用しないものだったようだ。
結婚した姉の新居を訪問する予定だったのだが、どこを見ても代り映えしない住宅街の真ん中で、私はすっかり方向を見失ってしまっていた。
お姉ちゃん、待ってるだろうな。
ごめんなさい、妹はもうたどり着けないかもしれません。
周りを囲むこの家一軒一軒が、それぞれ誰かの一生をかけた大きな買い物なのだろうけど、残念ながら今の私にはどれもただの障害物ブロックのようにしか見えない。
ああ、標識を出してください。「姉の家こっち」って。
だめだ、とにかく大きな道に出よう。
適当に角を曲がると、目の前の道のずっと先の十字路を車が三台続けて横切っていくのが見えた。
あそこが大通りみたいだ。
そこまで出れば、国道何号線とか何とか通りとか、手がかりになることが書いてあるだろう。それに、目印になる大きな路面店があるかもしれない。
そう期待して私はそちらに向かって歩いた。
けれど、期待は外れた。
出た通りは片側一車線ずつの狭い道路で、両方を見ても小さな商店がいくつかあるだけで目印になりそうなものは見当たらなかった。
だめじゃん、と思ったとき、ふと道から少し入ったところに隠れるようにして交番があるのを見付けた。
交番か。
姉の家の住所は分かっている。
交番でお巡りさんに聞いてみようか。
知らない人に道を聞くのは苦手だけど、交番なら道を教えるのも仕事だし大丈夫な気がした。
よし。行ってみよう。
だが交番を訪ねてみると、間の悪いことに警察官は不在だった。
事務机の上に、「パトロール中」と書かれたプレートが立てられている。
「御用の際は、この電話を」というような説明とともに、机の上には固定電話が置かれていたが、電話で行き方を説明されて分かるくらいなら、こんなところで道に迷ってはいないのだ。
「なんだ、もう」
そう呟いて交番を出ようとしたら、「お、来客か」という声がした。
「え?」
振り返ったけれど、警察官の姿はない。
「何か用かな。本職ではないのであまり大した相談には乗れないが」
「道案内くらいならできるよねー」
「え? え?」
声だけがする。なに、ここ。幽霊交番?
「おうい、どこを見てるんだ。こっちこっち」
その言葉に、ようやく声の主に気付いた。
机のすみっこにぽんと置かれたとりとねこのぬいぐるみが、私に向かってぴこぴこと手を振っていた。
「え? なに?」
ぬいぐるみが、動いて喋ってる。
「け、警察のマスコット的な?」
最近はやりのAIで動くやつ? 無人案内機? あれが交番にも導入されたの?
それにしてはずいぶん間抜けな顔だけど。
「ちがう。我々は落とし物のぬいぐるみだ」
とりがそう言って胸を張った。
「そう。ぼくらは通りすがりのおとしもの」
ねこもふこふこと頷く。
「ここに届けられたので、おまわりさんの留守を守っています」
「え? 落とし物なの?」
何でぬいぐるみと会話してるんだろう、と頭の片隅で思いながら、私は手を伸ばしてとりのぬいぐるみを掴み上げた。
「こら、離せ」
とりは手羽をふこふこと動かして抵抗する。
「ああっ、とりさーん」
ねこも腕をぴこぴこと動かして声を上げるので、なんだか私が悪者みたいになってしまった。
「ごめんなさい」
とりあえずとりを下ろす。
「でも大丈夫なの? 落とし物だったら、持ち主さんが探してるんじゃないの」
「探してるといいがな」
とりがふこりと頷く。
「レイのやつにポシェットごと落とされたんだが、まあ幸い、ここに名前が書いてあるからな」
そう言いながらとりは陰から子供用の小さいピンクのポシェットをずるずると引っ張ってきた。
内側のネームプレートに、女の人の字だろうか、「サワダ レイ」と書かれている。
名前の下には電話番号も書かれていた。確かにこれなら落とし主には届きそうだけど。
「で、われわれの交番に何用かな」
とりがまたそう言って私を見上げる。
われわれの交番って。
よく分かんないけど、今この交番は落とし物のぬいぐるみに占拠されているらしい。
「えっと、道を聞きに来たんだけど」
一応そう口にすると、とりとねこは、うひゃー、と両手をあげて喜んだ。ハイタッチまでしている。
「そういうのを待ってたんだ。どこへ行きたいんだ」
「ええと……」
だめもとで姉の家の住所を伝えると、とりはふこりと腕を組んだ。
「ゆめが丘の三丁目か。この道を真っ直ぐだな」
「そうだね。その住所なら、この道をこっちに真っ直ぐ行ったところのコンビニを右に曲がったところだよ」
ねこがぴこりと腕を伸ばして目の前の道を指差す。
「うむ。コンビニを右に曲がるとすぐに、屋根が斜めに尖ったちょっとおしゃれな建売住宅の一角がある。その住所なら、そこだな」
とりもそう言った。
「屋根の尖った家が何軒か並んでるところが、お弁当の仕切りのバランみたいだからすぐに分かるぞ」
「あ、ありがとう」
私はとりあえずお礼を言った。
「よく知ってるのね。ぬいぐるみなのに」
「この辺はいつもレイに連れまわされてるからな」
とりは少し得意げに答える。
「もうだいたいは覚えてしまった。なあ、ねこくん」
「うん。もうおぼえちゃったよー」
ねこも机の上でくるくる回りながら頷く。
「さあ、行きたまえ」
「あ、はい」
「きをつけてねー」
とりとねこに見送られて、私は交番を出た。
教えられたとおりに道を歩いていくと、小さい女の子を連れたお母さんが急ぎ足で歩いてくるのとすれ違った。
「交番に届いてないかしらね」
「とりあえず行ってみよう」
そんな会話が聞こえて、思わず振り返る。
もしかしてあのぬいぐるみの持ち主さんだろうか。
声を掛けてみようかと思ったが、ためらっているうちに親子の姿はどんどん遠ざかっていってしまった。すごく歩くのが速い親子だ。
二人に声を掛けるのを諦めて、とりとねこの言っていたコンビニを曲がると、確かにバランみたいに並ぶ建売住宅の一角が見えてきた。
あ、あれかも。
そう思った時。
あ。お姉ちゃんだ。
私が来るのが遅いから、心配で出てきたのだろうか。つっかけを履いた姉がこっちに歩いてくるのが見えた。
「お姉ちゃん」
私は手を振りながら駆けだしていくと、こっちを見た姉がぱっと笑顔になった。
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