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料理長の部屋は店から歩いてすぐのところにある。コンビニでビールやチューハイなどを買い込んでから行くと、料理長は仕事が終わったばかりなのにおつまみを色々、ぱぱっと作ってくれた。
「たまにはいいな、みんなで飲むの。はい、かんぱーい」
店長が仕切ってる。
みんなで缶をぶつけ合って一気に飲む人、ちびちび飲む人、様々だ。俺は念のためちびちびにする。酒を無理にすすめてくる人達じゃないのも、飲みやすい。
「どうした、日比野。元気ないな」
「そうですか?」
「悩みがあるなら相談乗るぞ」
店長が気遣ってくれるけど、この悩みは颯真にしか解決できない。
「いえ、ほんとに大丈夫です」
「無理すんなよ」
店長がバシバシ俺の肩を叩く。わいわいしてたら落ち込んでいた気持ちが少し浮上した。
「お邪魔しましたー」
二時間にいかないくらいみんなで飲んで解散。俺は自転車通勤だから、自転車を押して帰宅。酒を飲んでるから、自転車に乗るのはまずい。ゆっくり歩いて帰ると部屋の前に誰かいて、ドアにもたれて座り込んでる。
「…?」
腕時計を見ると、朝の四時。こんな時間に誰だ。明るくなってきているけれど、近付かないとわからない。
まさかな、と思いながら部屋の前まで行くと、そのまさかだった。
「…颯真…?」
「おかえり」
「なんで…」
「おまえ、帰りおせーよ」
立ち上がる颯真は呆れ顔。
そして俺に顔を近付ける。
「瑛士、飲んできた?」
眉を顰める颯真。ちょっと怯みながら頷く。
「…少しだけ」
「誰と」
「店の人達と」
「ほんとか」
「本当だよ」
はぁ、と溜め息を吐いてから颯真がドアを指差す。
「とりあえず、開けろ」
「仕事は?」
「今日土曜日だ」
「あ、そっか…」
「おまえは」
「夕方出勤」
「知ってる」
知ってるなら聞かなくたっていいじゃん。鍵を開けてドアを引く。
「お邪魔します」
俺より先に颯真が部屋に入った。勝手に上がってる…相変わらずだ。
「ずっと連絡できなくて悪かったな。出張だったんだよ」
「ううん。いいけど…」
合間に連絡とれたんじゃないの、とか思ってしまう俺って面倒くさい奴だ。
「…連絡したらすぐ会いたくなるのがわかってるから、連絡できなかった」
「……」
なんだよ、可愛いとこあるじゃん。
「そういうことは先に言ってくれたらいいのに」
「なんだよ、寂しかったのか?」
「……別に」
「やっぱ俺がいてやんないとだめか」
「そんなこと言ってないし」
なんでこうなんだろう。どうしてもっと素直に、『連絡欲しかった』ってどうして言えないんだ。
でも、それを言ったらなんだか…そういう……颯真が好き、みたいだから、言えない。好きは好きだけど…そういうんじゃ…。
颯真を見る。
「なに。ほんとに抱いて欲しい?」
「そんなこと言ってない、けど…」
「けど?」
「………」
だからここで一言、素直なこと言えたら可愛いんじゃん? って颯真に可愛いと思ってもらう必要ないか…?
「なにぶつぶつ言ってんだ」
「えっ、あ…近い!」
目の前に颯真が。
「こんなに近付いても気付かねえくらい真剣になに考えてた?」
「……なにか用事があったんじゃないの」
話を逸らす。
颯真はちょっと笑って、まるで自分の部屋のように冷蔵庫から麦茶を出してグラスに注いだ。グラスをひとつ俺に差し出すので受け取る。
「いや…まあ、用事は…あるんだけど」
歯切れが悪いな。なにかあったのか。
「なに?」
「ん、や…実は、大阪の支社に半年行くことになって」
「………」
大阪の支社。
ここは東京。
「………は?」
反応が遅れてしまった。
颯真が麦茶を飲む。
「ん。だから半年間、こっちいない」
「………いつから」
「来月初めから」
「そんな急に?」
「まあ、な」
えっと、これってどうしたらいいんだ。半年間、会えないってことだよな。颯真と半年会えない?
大学入学で颯真がひとり暮らしを始めて、それでも俺はちょこちょこ遊びに行ってたし颯真もうちに遊びに来てくれた。俺がひとり暮らしを始めたときには、心配だからって遠くない距離の場所に引っ越してくれた。半年会わなかったことって今まであったっけ…。
「場合によっては、瑛士を忘れるためにその半年を使う」
「は」
言葉が中途半端に出た。
「……ちゃんと忘れられるかはわかんねえけど」
俺を、忘れる。
俺を……忘れる。
「これが最後だ。瑛士、俺を好きになれ。抱かれたから付き合ってもいいとか、そういうんじゃなくて、俺がいいって…俺のそばにいたいから付き合うって、そういう選び方をしてくれ」
最後。
これを断ったら、もう颯真は離れて行ってしまう。心がぐらぐらしている。このまま離れてしまっていいのかと、叫んでる。
「颯真…」
「困らせるつもりはないけど、俺のことで困ってくれるのは、正直嬉しい」
「颯真…わ!」
真剣過ぎる颯真の視線に捕まって、手の力が抜けた。麦茶の入ったグラスを落としてしまう。グラスは割れなかったけれど、服が濡れてしまった。
「大丈夫か」
「うん……」
「気を付けろ。割れて怪我したら大変だ」
優しい颯真。あって当たり前だと思っていた優しさ。でも、そうじゃない。人生になにひとつ当たり前なんてないんだ。
「…シャワー浴びてくる」
「じゃあ俺、帰るわ。一応用事は済んだし」
「………」
グラスをテーブルに置いた颯真の手を握ると、その手がぴくっとした。
「……シャワー、浴びてくるから」
「ああ」
「だから、……ベッドで待ってて」
「………いいのか」
頷く。
なぜだろう。心がすごく素直に、颯真のものになりたいと言っている。
「わかった」
その答えを聞いて浴室に向かう。心臓がすごい勢いで脈打ってる。顔が熱い。
でも、絶対後悔しない道を選びたい。その答えがこれだった。
シャワーを浴び終えて寝室に行く。寝室は薄暗い。
「颯真…」
ベッドに近付こうとして、違和感に照明をつける。
颯真はいなかった。
◇◆◇◆◇
夢だったのかと思ったけれど、確かに颯真はいた。グラスもふたつ、洗って片付けてあった。つまり、帰ったんだ。
「日比野、昨日よりひどい顔してんな。二日酔いか」
「…そんなに飲んでません」
「店長、飲ませ過ぎだよ」
「だから違います…」
店に行くと店長と料理長が俺の顔を見てちょっと引いていた。失礼な。
でも、ひどい顔にもなるだろう、あんなことされたら。
連絡を取ろうとしてもまた既読にもならない。俺のメッセージだけ無視していると思われる。
いや、仕事とか、大阪に行く準備とかが忙しいだけかも…。そんな希望を持って、またメッセージを送る。
『なんで?』
なにが悪かったんだ。…素直に、颯真のものになるってことだったのに。
考えたって答えは出ないんだけど、考えてしまう。メッセージの返信はない。なんなんだよ、もう…。
もやもやする。こういうときは張り切って仕事をしよう。
そんでさ、そういうときに限ってお客さま少ないんだよね。
もっとガンガンこき使われてクレームとか言われたりして、頭の中のぐちゃぐちゃを追い出して欲しい。
颯真が頭に浮かんでは消えてまた現れて。捕まるつもりなんてなかったのに、俺から捕まえたくなった。でもそうしたら逃げられた。
やな奴……もっと嫌な奴だったらよかった。
…苦しいよ、颯真。
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