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「パン、あったかい…まさか焼いたんですか?」
「ううん、トースターで軽く温めただけ。おいしい?」
「はい。すごくおいしいです」
表面がちょっとカリッとしていて、中はふわふわ。ビーフシチューもおいしいし、今日も最高の晩御飯。
「おかわりは?」
「いただきます」
優しくて料理ができて、しかもかっこいい。背も高い。更に。
「若葉くんはお肉が好きだから、お肉大盛りだよ」
「ありがとうございます!」
甘い。
これって誰にでもなのかなと思って聞いてみたことがあるけれど、会社では冷たいって言われるらしい。謙志さんのどのへんを見たら冷たいと言えるんだろう。
肉大盛りビーフシチューは本当に最高で、肉がとろっとしていていくらでも食べられる。
「今日もすごくおいしいです」
「じゃあ明日もそう言ってもらえるように頑張らないと」
「頑張らないでください。そのままですごくおいしいですよ」
「ありがとう」
優しい笑みに脳みそまでとろっとしてしまう。いけない、また謙志さんに見入ってしまった。
「シャワー浴びていく?」
食べ終えた食器の片付けを手伝っていたら、そう聞かれて首を横に振る。
「自分の部屋で浴びます。そんなに迷惑はかけられません」
「迷惑じゃないよ。シャワー上がりの若葉くんの髪、乾かしてみたいんだ」
「どうしてですか?」
「すごく特別な感じがするじゃない?」
隣人の大学生…可愛くもない男の髪を乾かしてみたいと言う不思議な趣味を持っているんだ…面白い人でもあるようだ。そして、俺の特別なんてたいした特別感もない、平凡な位置だろうに。かっこいい人は一周回ってそういう平凡を特別に感じるんだろうか。謎。
「謙志さん、明日もお仕事ですよね? だからさくっと帰ります」
「残念。若葉くんと一緒に夏休みとろうかな」
「えっ…」
どこまで本気? こういう冗談に慣れていないからどう反応していいかわからない。
「部屋まで送るよ」
「いえ、すぐそこですし」
「いいから」
すいっと手を取られてしまう。慣れてるのかな。慣れてるだろうな…このかっこよさなら、彼女とか彼女とか彼女とか、経験豊富そう。
「おやすみ、若葉くん」
「おやすみなさい、謙志さん。今日もありがとうございました」
「次は寝間着持っておいで」
「……考えておきます」
本当に、どこまで本気なんだろう
自分の部屋も落ち着くんだけど、謙志さんの部屋も落ち着くんだよな。間取りが同じだからかな。
シャワーを浴びて歯を磨き、ベッドにごろん。壁一枚隔てた場所には謙志さんがいると考えるとちょっとどきどきする。胸に手を当てて深呼吸。
だめだ。高鳴るな、心臓。
自分が男性を恋愛対象として見ているとはっきり自覚したのは中学生の頃、副担任の若い男性教師に恋をしたとき。
最初は戸惑ったし、自分自身を受け入れられなかった。でもどう足掻いたって好きになるのは男性ばかりで、自分を受け入れられない状態の苦しさはとても大きく、辛かった。
好きになった相手に告白する勇気なんてない。副担任の先生は結婚したし、好きだった先輩には彼女ができた。俺は年上好きのようで、いつも好きになるのは年上の男性。
つまり、謙志さんはあぶない。
心にバリケードを作って、謙志さんが侵入してこないようにする毎日。ご飯はおいしいし会話は楽しい。だからときどき、ふっと心が持っていかれそうになる。危険なのは俺なのか、謙志さんなのか…。
せっかくのいい関係を壊したくない。だから謙志さんには絶対惹かれたくない。
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