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「……ん……」
なんか……温かい? 優しい温かさ。暖かいじゃなくて温もり。瞼を上げると、整った寝顔が眼前にある。思考が停止した。
「…………え?」
温かいのは抱き締められているからだと気がつく。長い腕が俺の身体に回されている。しかも相手も俺も裸だ。それに、ここはどこだ。
――待て。
この状況、まさかとは思うけれど、まさか……?
身体は重たくてあちこちに鈍い痛みがあるし、肌には赤い跡が散っている。この跡は、あれだ。キスマーク。
――明らかに事後。
まだ眠っている相手を見る。昨夜の男の子だ。一体なにがどうなってこうなったんだ。記憶が曖昧でわからない。お酒がおいしくて、たくさん飲んだ気がする。男の子にもたれかかっていた気もする。夢の中のようにふわふわしていたのは覚えている。それがどうしてここに行き着く? 状況からして、ここはこの子の自宅、だよな……。
「……んん」
「っ……!」
起きた? 起きたの!?
どうしよう……。こんな経験ないから、どうしたらいいかわからない。とにかく逃げよう。これ以上関わらないほうがいい。傷は浅く済ませたい。
「……起きてたんですか?」
「うん……ごめん、俺、もう行かなくちゃ」
重たい身体を動かしてベッドから出る。使ったことのない筋肉を使ったんだろう。痛くなったことのない部分が痛い。
「仕事?」
「あー……うん」
そういうことにしておこう。逃げられればなんでもいい。ぱぱっと服を着てバッグを持つ。
「それじゃ」
男の子の顔は見ないまま、急いで部屋を出た。
まさか、こんな形で初めてを失うなんて……!!
帰宅して、正気を失いそうなくらい混乱した。部屋の中をうろうろして、壁に何回もぶつかった。そして出した結論。
忘れる。
あの失敗はなかったことにして、忘れる。そうする。それがいい、というかそれしかない。それ以外には自分を保っている術が浮かばなかった。
なにもなかった。
そう思い込んでいつもどおりの日々を過ごす。バーには近づかない。なにもなかったけど、近づかない。
いい具合に思い込みが効いてきて一週間が経った。本当になにもなかったんじゃない? と思えるようになった。キスマークは消えたし、なんの痕跡も残っていないんだから、あれは夢だったんだ。
「羽田くん、今日の面接よろしく」
「はい」
店長に声をかけられて返事をする。
和創作居酒屋の副店長だと、面接をするのもひとつの仕事。今日はアルバイトに応募してきた大学生の面接が一件入っている。時計を見ると、面接予定の十分前。まだ来るには早いか、とカウンター席で卓上メニュースタンドを拭く。
「すみません」
店の入り口から声が聞こえて立ち上がる。時計を見ると五分前。来たかな。
「は、い……?」
「本日十三時より面接のお約束をしております、今埜と申します」
そんな、まさか。
そこに立っていたのは、あの男の子だった。
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