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先輩とは二、三日に一回くらいのペースでメッセージアプリでやりとりをしている。毎回たいした内容じゃなくても、すべてが楽しい。先輩は優しくて、ジュエリーを扱う仕事なら細かい気遣いが必要だろうと思ったら、その反動からか普段は意外とおおざっぱなところがあったり、それでも気になることはとことん突き詰めたり、やりとりの中で初めて知る先輩がたくさんあって嬉しい。
『今度食事に行かない? 飲みでもいいよ』
何回メッセージをやりとりしたか、もうわからないくらいになった頃に先輩からそんなメッセージが送られてきた。やっぱり心がむずむずして、オーケーするのを迷ってしまう。それでもまた先輩に会えるのは嬉しい、と胸が高鳴る。
初恋の人と大人になってから再会して、二回も会えるなんて……。胸がいっぱいになってその日はなかなか寝つけなかった。
先輩との食事に着ていく服を迷って毎日唸っていたら、あっという間に約束の日になってしまった。ひたすら悩んだ結果、いつもどおりな格好――ダークブルーのシャツにグレーのカーディガン、ブルージーンズにした。張り切っていることを感じ取られるのも恥ずかしかったから。
「あ……」
午後六時の待ち合わせに早めに行くと、先輩はもう来ていた。遠くから見ても目を引く姿に、俺だけじゃなくて周囲の人たちの視線も集めている。本人は慣れているのか、気がついていないのか。
「先輩、すみません……お待たせしました!」
「お、早いな」
ぼんやり見ている場合じゃない、と慌てて先輩に駆け寄り声をかけると、先輩が優しく微笑んでくれた。時計を見て、少し驚いたような表情をしている。
「先輩こそ、早いじゃないですか」
「そうでもないよ」
濃いグレーのシャツにジャケット、黒のテーパードパンツが脚の長さを際立たせている。さりげなく着けた、派手じゃないシルバーのアクセサリーが大人っぽい。
感想、格好いい。
俺、子どもっぽい。
恥ずかしさにじわじわと頬が熱くなってきて少し俯くと、先輩が「いい色のシャツだな」と褒めてくれる。
「先輩はすべてが格好いいですね」
思ったままを言ってしまい、頬がすごく熱くなる。心臓がどくんどくん言っているけど、これは恥ずかしいとか先輩が格好いいとか、それだけのこと。
さっそく、先輩がお気に入りのレストランに行く。カジュアルな雰囲気のレストランはおしゃれな人がたくさんいた。
「森田、好き嫌いある?」
「特にこれといってないです」
「じゃあ俺のおすすめで頼んでいい?」
「お願いします……」
そのほうが俺も嬉しい、という言葉は呑み込んだ。注文を終えた先輩が、くくっと小さく笑うので首を傾げると、優しい笑みを向けられた。
「あれから森田のこと、色々思い出したよ」
また、く、と笑って口元を手の甲で押さえる先輩に「どんなことですか?」と聞いてみる。そんなに笑うようななにを思い出したんだろう、と不思議に思いながら、心のむずむずがどんどん大きくなっていく。
「森田がラケット振ったら、ラケットが手からすっぽ抜けてそのまま飛んでったり?」
「……」
そんなこともあった。頬が熱くなる。
「シューズの紐がほどけてるぞ、って声かけようとしたら、その紐を森田が自分で踏んで思いっきり転んだり?」
「……」
そういうこともあった。更に頬が熱くなっていく。
「森田はずっと真面目で一生懸命だったよな。厳しいこと言われても頑張ってた」
先のふたつの後、突然そんな風に言われたら、なんて返したらいいかわからない。
「先輩はサーブする姿がすごく綺麗でしたね」
口から出たのはそんな言葉で、言ってから「まずい」と思った。
「え?」
案の定、先輩は驚いたような表情をして俺を見る。あの頃の気持ちがばれたかも、と少し焦るけれど、先輩の驚きの表情ははにかむようなものに変わり、「ありがと」と微笑んでくれてほっとする。
注文したものが運ばれてきて、食事を楽しむ。なにを食べてもおいしくて、中でもアラビアータがとてもおいしい。俺がよほど夢中で食べていたんだろう、先輩に「追加でも同じのもうひとつ注文しようか?」と聞かれて、迷うことなく頷いてしまった。
楽しい時間はあっという間で、知らないうちに先輩が支払いを済ませてくれていた。俺はこの時間が終わることを少し寂しい気持ちでいたけれど、そんなことは言えない。先輩とレストランを出た。
駅まで並んで歩きながら、「また会えますか?」の一言が聞けなくて俯く。
「また会える?」
先輩の問いかけに顔を上げる。迷わず頷く俺の目に映るのは、先輩の優しい笑顔。
胸が高鳴る。むずむずは、もうそんな可愛らしいものじゃないくらい、はっきりと心の違和感になっている。
あの日から先輩のことを考えると心の違和感が膨らむばかり。もやもやしたり、寂しくなったり。でも、それが幸せだと感じる不思議な感覚に戸惑う。
仕事が終わって帰宅すると、先輩からメッセージが届いていた。
『また食事に行こうよ』
日付と時間が書いてあって、特に予定もないのでオーケーの返事をする。好きな人との約束、とふわっと思ってはっとする。
「……好きな人?」
呟いた言葉にひとつ頷く。
そう、有川先輩は俺の好きな人だ。
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