17人が本棚に入れています
本棚に追加
追いかけた背中が見えてくる。
「拓斗!」
声をかけると、二つの背中が振り返った。
「幸尚……」
驚いた様子を見せる拓斗と、隣の陽太くんは不安そうな表情をしている。
「拓斗……俺、拓斗が好きだ」
息を整えることもせずに、心にある気持ちをそのまま拓斗にぶつける。拓斗は俺から目を逸らし、足元を見た。
「そんな、今更……」
「気づいてなくてごめん。ずっと好きだった……拓斗に陽太くんができてはっきり自覚した」
「幸尚……」
「ずっと自分の気持ちがわからなかった。あの日、拓斗が告白してくれたときから、拓斗のことを考え続けた」
一呼吸置き、陽太くんに頭を下げる。
「ごめん、陽太くん。やっぱり俺はどうしても拓斗が好き」
「ユキくん……」
「本当にごめんなさい。殴ってくれていいし、なんでも受け入れる」
「……」
顔を上げると陽太くんと一瞬目が合って、すぐに逸らされた。拓斗を見る。
「拓斗の気持ちはもう俺にはないかもしれないけど、でもさっきの、嬉しかった。無意識でも俺のことを考えてくれてありがとう」
「……」
拓斗が目を泳がせ、その視線が俺と陽太くんを行き来して俺に留まった。
「悪い。俺にはもう陽太がいる」
まっすぐな答えにぐっと胸が苦しくなって、意図せずぽろりと涙が零れた。それを見て拓斗が表情を強張らせたのがわかり、慌てて俯く。
「そう……だよな。ごめん。でもどうしても俺の気持ちを伝えたかったんだ」
「幸尚にだって、靖司がいるだろ」
「別れたから、いないよ。じゃあ、俺帰る」
駅に向かおうと思ったけれど、拓斗と陽太くんも駅に向かっていたのを思い出し、方向転換をしてまたバイト先の店のあるほうに足を向ける。なるべく早足で歩いて、二人から距離を取る。そのうち走り出して、さっきいた場所に近づくとそこにはまだ靖司さんの姿があった。
「ユキ……」
「振られたよ」
「そう」
靖司さんは寂しそうな表情でこちらを見て、それから微笑む。
「じゃあその背後霊はなに?」
「え?」
背後を覗き込むような靖司さんに首を傾げて俺もうしろを向く。
「え……」
「幸尚、そんなに足速かったか?」
「拓斗……?」
息を切らせた拓斗が背後に立っている。どうして、と思うより先に抱きしめられた。
「陽太に振られた。『そんな目で俺以外を見てる男なんて振ってやる』って」
「え」
「俺、陽太が好きだし、陽太が大切だ」
「……うん」
抱擁を解き、拓斗に顔を覗き込まれてどきりとする。
「でも幸尚は誰とも比べられないくらい好きだ」
「……でも俺、もう拓斗が好きになってくれた俺じゃない……。靖司さんを傷つけて……陽太くんを傷つけて、人への思いやりなんて全然ない……」
「変わらない。幸尚は幸尚だ」
視界の隅にちらりと靖司さんが映って、目が合うとひらひらと手を振られた。その背は駅のほうに向かって歩き出す。
「我儘だけど、俺のものにならないなら幸尚は一生誰も選ばないで欲しかった。だから陽太が靖司を紹介したときも二人が付き合うことになったときも、混乱したし腹が立った」
「それは……拓斗を忘れたかったから……」
「それでも、幸尚にはずっと誰のものにもならないでいて欲しかった。……悪い、本当に自分勝手な考えで」
首を横に振ると、拓斗が優しく微笑んだ。その笑顔がまた俺に向けられていることに胸が甘く高鳴る。
「無理矢理でも、もう吹っ切ろうと思った。だから陽太だけ見るようにしたのに、あんな風に告白されたら――」
「……ごめん」
「いや、気持ちをごまかしたまま陽太と付き合っていたら、いつかは振られてた」
そんなことはないだろう。陽太くんは拓斗が好きで、俺に靖司さんとくっついて欲しいと思うくらい、別れたくないと強く願っていた。だから陽太くんが拓斗を振ったのは、きっとすごくつらかったはず。
「他の誰かを傷つけてまで人を好きでいていいのかわからないけど、俺も幸尚が好きだ」
「拓斗……」
「俺のものになってくれ。今度こそ本当に、俺だけの幸尚に」
「うん……ありがとう」
俺達が付き合うことで、間違いなく傷つく人がいる。それがわかっていても止められない。
「靖司は? さっきいただろ」
「駅のほうに行ったから帰ったんじゃないかな」
「そうか……。靖司にも悪いことをした」
「うん……」
あんなに優しく愛してくれたのに、俺はその気持ちを裏切る結果になってしまった。何回謝っても許されないし、許されるべきではない。
「俺達も帰るか」
「そうだね。そういえば拓斗と陽太くんはどうしてここにいたの?」
陽太くんの名前に拓斗は切なげな眼差しを遠くに向ける。その視線の先を辿ってみたけれど拓斗がなにを思っているかはわからなかったし、そこは俺が踏み込んでいい場所ではない気がした。
「……陽太が、幸尚のバイト先に行ってみたいって言い出して……。陽太はなんだかんだで幸尚に懐いていたから」
「うん」
「……」
「……うん」
言葉は続かなかったけれど、拓斗が言いたいことはなんとなくわかった。まさかこんなことになるとは思わなかったんだろう。拓斗も陽太くんも、靖司さんも……俺も、想像もしなかった。
「靖司は? どうしてここにいたんだ?」
「店に食べに来てくれたんだ。と言うより、俺に会いに――」
つい先刻まで俺の恋人だった人の優しい声が耳の奥に響く。
――ユキと一秒でも長く一緒にいるために引っ越すの。
――そうだよ、愛してるよ。
あんなに俺を思ってくれたのに、なんで俺はこんなに自分勝手な結末しか選べなかったんだろう。涙がじわじわと視界を滲ませ、ついには頬を伝い落ちた。
「幸尚……」
「ごめ……っ、でも俺……」
「わかってる」
抱き寄せられて、ごめんなさい、と心の中で靖司さんに謝る。きちんと愛せなくてごめんなさい、振ってしまってごめんなさい、傷つけてしまってごめんなさい――次々に「ごめんなさい」が浮かんできて、しゃくり上げながら拓斗にしがみつく。
「拓斗……っ」
「大丈夫だ。なにも言わなくていい、けど」
背中をとんとんと軽く叩かれて、その優しさに涙がどんどん溢れてくる。
「……他の男を思って泣いている幸尚を抱きしめるのは、複雑な気分だな」
それでも俺を受け止めてくれる拓斗にも、心の中で「ごめんなさい」を一つ言う。口に出したら拓斗はきっと、謝る必要なんてない、と言うだろうから。
「っ……もう、平気。帰ろう?」
身体を離して笑いかけると、ぎゅっと眉を寄せた拓斗がもう一度きつく抱きしめてくる。それを受け止めてから歩き出す。
「今日、幸尚の部屋に泊まってもいいか?」
「え……いや、今日は……」
「もちろんなにもしない。ただ昔みたいに幸尚と手を繋いで眠りたい」
拓斗を見上げると、まっすぐ前を見ていた視線がこちらにちらりと向けられた。
「……そうだね、そうしよう」
手を繋いで、朝まで一緒に。
俺達は昔から、そうだった。
最初のコメントを投稿しよう!