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「いらっしゃい、ユキくん」
「靖司さん、こんばんは」
翌週、俺は靖司さんがバイトをしている居酒屋に一人で飲みに行った。まだ心は拓斗を追いかけているけれど、でも大丈夫。いつかは忘れられる。
サービスドリンクでゆずサワーを持ってきてくれた靖司さんは、作務衣のような制服が似合っている。店はチェーン店ではなく、隣の駅にもう一店舗あるだけの個人経営の店だった。
「飲みすぎないようにね」
「うん」
優しい……。こういう言葉がけをしてくれる人なんだな、と靖司さんを一つずつ知っていけることにほっとする。もっと性急に付き合う話に持って行かれたらどうしようかと思っていたから。陽太くんが言うとおり、とてもいい人なんだろう。
「ユキくんはどんな食べ物が好き?」
「なんでも食べられるけど、しいて言うなら和食が好きかな」
「そうなんだ。じゃあ今度おいしい和食屋さんに一緒に行こう?」
「うん……」
拓斗は俺の好みが渋すぎると昔から言っていたっけ。二人でファミレスに行って俺が和食の御膳を頼むと、拓斗はオムライスとかスパゲティを頼んでいた。シェアしたりして楽しかったな。
「あ……」
「どうしたの?」
「ううん、なんでもない。このサワーおいしいね」
はっとして意識を思い出から現実に戻す。無意識に拓斗のことを考えていたことが靖司さんに申し訳ない。ちらりと靖司さんを見る。拓斗より少し背が高くて、微笑み方が穏やかで、同い年なのに落ち着いた雰囲気。
「……」
また拓斗と比べてしまった……。そんなに拓斗が好きなら、早く気づけばよかったのに。そうしたら今頃拓斗の隣にいたのは――。
馬鹿な想像をしてしまってため息をつく。
「ユキくん、大丈夫?」
「え?」
「なにか考えごと?」
靖司さんが首を傾げているので、慌ててゆずサワーを飲んでごまかす。でも勢いよく飲みすぎてむせてしまった。
「そんなに慌てなくても大丈夫だよ」
「うん……ごめん」
背中をさすってくれる優しさにも素直になれない。拓斗だったら、拓斗なら――、そんなことばかり考えてしまう自分の愚かさに、むせたからではなく目に涙が滲む。
「もしかして、拓斗くんのこと考えてた?」
「っ……」
ぴくんと身体が強張る俺に、靖司さんは微笑む。
「あたりかな?」
「……」
俺の拓斗への気持ちのこと、陽太くんが話したんだろうか。靖司さんを見上げると、困ったような表情をされた。
「ユキくんのことだとは言ってなかったけど、陽太から『拓斗を好きな人がいて、負けるかも』って聞いたんだ」
「そんな……」
負けるなんてこと絶対にない。だって拓斗はあんなに優しい瞳で陽太くんを見つめるし、好きだという気持ちが丸わかりの微笑みを向ける。
「拓斗くんモテるから気のせいじゃない? って聞いたんだけど、陽太は難しい顔してたよ」
「……」
「あ、無理して話さなくていいから。ただの雑談」
「雑談って……」
つい笑ってしまうと、靖司さんはほっとしたように一緒に笑ってくれた。
「そう、雑談ね」
「店長!」
靖司さんの背後から腕がぬっと伸びてきて肩を抱く。店長は四十代くらいの明るい笑顔の人で靖司さんの頬をつねりながら、にかっと笑う。
「そういう笑顔をきみ目当てのお客さまにも振りまこうね」
「嫌ですよ」
困ったような表情で店長の手と腕をどかそうとする靖司さんが、先程までの落ち着いた感じから急にかわいらしい雰囲気になって、思わずまた笑ってしまう。
「ユキくん、ごめんね。ゆっくりしていって」
「うん」
「ほら、そういう笑顔!」
「嫌ですってば」
言い合いながら戻って行く二人を見てなんだかほっとする。店長がああいう感じの人だから店も堅苦しくないのかもしれない。初めて来たのに馴染みやすくて、靖司さん以外の店員もみんな穏やかそうな人ばかりだ。
「……ふぅ」
息を吐き出すと心が少し軽くなっていて、拓斗の影が薄れている。
あの日、拓斗の告白を受け入れていれば、と後悔する気持ちがあるけれど、いつまでも拓斗を想っていてもあいつにはもう陽太くんがいる。
靖司さんを好きになれるかもしれない……拓斗を忘れられるかもしれない。
心の舵を切った。
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