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「靖司さん?」
「ユキに会いたくて来てみた」
「待って、すぐ席用意するね」
「ありがとう」
俺のバイト先の定食屋に靖司さんが来たので、驚いて持っていたダスターを落としてしまった。二人がけのテーブルに案内してメニューを出す。
「俺もユキと同じところでバイトしたいな」
「でも靖司さん、大学も自宅もこことは全然方向違うよね?」
「うん……引っ越そうかな」
メニューを見ながら呟く靖司さんに少し笑ってしまう。
「バイトするために引っ越すの?」
「違う。ユキと一秒でも長く一緒にいるために引っ越すの」
「愛されてるなあ、俺」
「そうだよ、愛してるよ」
ふざけて言ったのに真顔で返されて、どうしたらいいかわからなくなってしまう。頬が熱くて、同時に脳裏に過ったのが、拓斗は変なところで恥ずかしがるからこんなことさらっと言えないな、という考えでどきりとする。
「ユキ、なにか考えてた?」
「えっ……なにも?」
「そっか」
おてもとを靖司さんの前に置こうとした手をそっと握られて、またどきりとする。先程の悪さをしたような後ろめたい「どきり」ではなく、今度は心臓が甘く高鳴った音。
「バイト、何時まで?」
「あと一時間で交代」
「じゃあ待ってるよ」
「ありがとう」
もう拓斗のことは忘れたはずなのに、忘れられたはずなのに、ふとしたときに思い浮かぶのは靖司さんではなく拓斗。そんな自分が嫌になってきて、靖司さんと別れたほうがいいんじゃないかと思うこともある。でもそういうときに限って靖司さんは俺の心を読んだかのように「大丈夫だよ」と言う。どれだけその言葉に救われているか――。
「ごめん、お待たせ」
「お疲れさま」
店の裏口から出て、表で待っていてくれた靖司さんのもとへ駆け寄ると、頭をぽんぽんとされた。
「……」
拓斗も陽太くんによくこうやってしているな、と頭を撫でられながら考えてしまう。
「まっすぐ帰る?」
「うん、あのさ」
「……?」
珍しく言葉を濁す靖司さんに首を傾げると、熱い瞳でじっと見つめられた。
「ユキの部屋、行ってもいい?」
「え……」
「嫌だったらそう言って。無理強いもしないけど、俺は……ユキがすごく欲しい」
「えっと……」
それはつまり、そういうこと……? 手を取られ、ぎゅっと握られる。俺は嫌だと思っていない、……のに、交錯する思いの中に拓斗の影が交じる。
「……うん。いいよ」
その影を追い払うように靖司さんの瞳を見つめ返したら抱きしめられた。
「ごめんね、ユキ」
「なんで?」
「やっぱり無理強いしたかな、って思って」
「そんなことない」
靖司さんの手に触れ、目を閉じてそっと深呼吸をすると、瞼に柔らかいものが触れた。
「……?」
「優しいね、ユキは」
目の前に靖司さんの整った顔があり、今の柔らかい感触が唇だとわかって頬がかあっと熱くなる。瞼にキスなんて恥ずかしくて顔を伏せると頬を両手で包まれた。
「ユキ……」
顔を少し上げて見ると、柔らかい笑顔が俺に向けられている。それがゆっくり近づいてきて、瞼を下ろそうとしたら視界の端に拓斗がいた。
「え……」
幻覚かとそちらを向くと、外灯の明かりの下に本当に拓斗がいる。その隣には陽太くんもいて、こちらをじっと見ている。
「靖司さ……」
「ユキ」
「あ……」
少し強引な動きで顔を正面に戻され、唇が重なろうとしたと同時になにかが俺の身体をうしろに引っ張った。
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