本当に必要なもの

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 一歩進むごとに虚しくなりながら帰宅した。身体が冷えきっているのですぐに暖房をつけ、スマホを充電しようとバッグの中を見るけれどスマホがない。ポケットにもない。どこかで落としたんだろうか、と考えて、ジャケットを脱ぐまでそのポケットにスマホを入れていたことを思い出し、ため息を一つ。 「最悪だ……」  自宅に固定電話はないし、公衆電話は駅前まで行かないといけない。最悪だ、ともう一度呟いて部屋を出た。  部屋を出て少ししてから、上になにか着てくればよかったと後悔したけれど、戻るのも面倒でそのままの薄着で公衆電話まで行った。小銭を入れて自分の番号に電話をかけると、コール音が鳴る。 『はい』  通話になって聞こえてきた声は、先程の男性のもの。 「すみません、そのスマホの持ち主ですが」 『ジャケット押しつけていった?』 「……そうです」  事情を説明して、どこかで会えないかと聞くと、男性は俺の最寄り駅まで来てくれると言う。 「それは申し訳ないので、俺が――」 『駅どこ』 「……」  聞く気はないという声で最寄り駅を聞かれて、仕方ない、と駅名を答える。 『そこなら十五分くらいで着けるから、わかるところで待ってて』 「わかりました。よろしくお願いします」  受話器を戻して駅に向かい、改札前で待っているとちょうど十五分であの美形男性が来てくれた。俺を見て眉を顰めるので、なんだろうと首を傾げる。 「寒くねえの?」 「あ……」  そういえばこんなに寒いのに薄着のままのことをすっかり忘れていた。 「スマホのことばかり考えていたので……」  男性は呆れた、という表情で俺を見る。というかこの反応は正しいだろう。 「これ、スマホ」 「ありがとうございます」  男性からスマホを受け取るとほっとした。スマホがないと落ち着かない。 「新手のナンパかと思った」 「ち、違います! 俺、男ですし……!」 「ほら」  ジャケットもこちらに差し出す男性に、首を横に振る。 「それはあなたが着てください」  似合わない人間が着たって仕方ないし、服だって似合う人に着てもらいたいだろう。 「いや、脱ぎっぱなしで渡すとかわけわかんねえ」 「じゃあクリーニングに出してからまた渡します」  確かに脱いだものをそのまま渡したのは失礼だった。あのときはそこまで頭が回らず、思ったまま行動してしまったけれど、それも申し訳ないことをした。男性からジャケットを受け取ろうと手を伸ばすと、ひょいと取り上げられた。 「そんな着込んでる感じもないから、まだ新しいんじゃねえの? なんで簡単に人にやるようなもの買ったの?」 「それは……その、人気ドラマで着用と書いてあったので買ったんです」 「欲しかったなら着ればいいだろ」 「もともと好きなデザインではなかったのと、どう考えても俺には似合わなかったので……」  男性がため息をつく。 「好きなデザインじゃないものをなんで買うの? まさかドラマで着てたって書いてあったからじゃないよな?」 「……そのとおりです。ドラマで着用って書いてあったから買いました。俺、流行りものとか人気のものとかを買うのが趣味、みたいなものなので……」 「意味わかんねえ」 「……」  思いきり呆れ顔をされて、俺は縮こまる。確かにそういう感覚がよくわからない人には「意味わかんねえ」だと思うけれど、俺にはこれしかないし。 「それであなたを見た瞬間、こういう人が着るための服なんだなと思って」 「押しつけた?」 「……そうです」 「わかんねえ」  男性はまたため息をつく。 「あの、あなたは」 「新堂(しんどう)」 「え?」 「俺の名前。新堂。『あなた』とか言われるの鳥肌立ちそうだからそっちで呼べ」 「はあ……」  呼べ、って命令か。でも、相手が名乗っているのに俺が名乗らないわけにはいかない。 「小越です」 「じゃあ小越、とりあえずこれな」  新堂さんは押しつけたジャケットを俺の肩にふわりとかけた。 「え……嫌」 「寒いから今はおとなしく着とけ」  強引にジャケットを着せられてしまう……どう見ても似合っていないのに。近くをとおっている人達も、ちらちらとこちらを見ている。似合わないジャケットを着た俺への冷たい視線か、恰好いい新堂さんへの好意の視線か。 「それじゃ、とりあえずこの辺案内して」 「案内?」 「ここ、いつも通過するだけで降りたの初めてだから」  そう言ってさっさと歩き出してしまう新堂さんを慌てて追いかける。特にこれと言って見る場所はないんだけど、と思いながら駅の周りを歩く。 「で、なに?」 「え?」 「さっき、『あなたは』ってなにか言いかけてた」 「……そうでしたっけ」  記憶を巻き戻してみるけれど思い出せない。なんだっただろう、と立ち止まって考える。 「パンうまそう」 「えっ」  俺が考えているのを無視して新堂さんはパン屋に入って行く。初めて入る店なので少しわくわくしながら新堂さんを追いかけると、イートインもできて、店内は小さなカフェのような雰囲気だった。 「パン、なに食いたい?」 「俺が払います」 「いいから」  パンを選んでレジに並ぶ。新堂さんはレジ横の冷蔵ケースに並ぶローストビーフサンドもトレーに載せた。  会計を終えて二人がけのテーブルに向かい合って座る。新堂さんが明太フランスを食べているのを見ながら、俺もシュガーフレンチトーストを食べる。女性の店員さんが頬を赤く染めながら新堂さんをちらちら見ている。 「新堂さんかっこいいから、すごく見られてますね」 「どうでもいい」  恰好いい人の自信だな、と思うと、なんだか自分がみじめに感じる。俺が見られているわけではないのに、視線が気になって仕方ない。 「そんなんで疲れない?」 「え?」 「人の目気にして、流行りもの追いかけて」  フレンチトーストにまぶしてある砂糖が急に苦く感じた。たぶん俺自身なにか引っかかるものがあるからだろう。 「楽しいですよ」  まさか新堂さんを見て落ち込んだなんて言えない。 「そのわりに楽しそうに見えねえけど。ジャケット着せれば嫌がるし」 「それは……今はたまたまです」 「いつでも楽しい顔してられるような趣味にしたら?」 「……そんなの見つけられません」  自分に自信がないから流行りを追って、それで結局うまくいかない。どこまでも俺には平凡が似合うんだ。 「まあいいけど」  新堂さんは徐にスマホを取り出し操作する。メッセージかなにかだろうか。シンプルなクリアケースに入れただけのスマホは新堂さんのようだ。流行りに左右されない。 「連絡先」 「……?」 「教えろ」 「はあ……」  なんでだろう、と思いながら俺もスマホを出してメッセージアプリを操作する。連絡先を交換して、どうして、と聞こうとスマホから新堂さんに顔を向ける。 「パンうまかった」 「えっ」  俺が聞くより前に新堂さんは立ち上がるので、慌ててコーヒーの最後の一口を飲む。 「それ、今度会ったときにまだ気に入らなかったらもらう」  新堂さんが見ているのは俺、ではなくて俺の着ているジャケット。だから連絡先を交換したのか、と納得。  パン屋を出て、近くの地域広場に置いてあるプランターの花を見て、酒屋を覗いて、リサイクルショップを見て。一通り見て回って新堂さんは満足したのか駅へと足を向けた。改札前で、結局おごってもらったパンとコーヒーのお礼を言う。 「人にどう見られてるかに左右されて生きると苦しいぞ」  そう言って新堂さんは改札をとおって行った。その背を見送り、ため息をつく。  新堂さんの言うことは正しいかもしれない。だからって人目を気にせずにいられるほど強くなれないし、ときどき落ち込んでもやっぱり流行りを追いかけるのが好きだ。それでいいじゃないか、と駅を後にした。
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