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1.ふざけたイベントとなくなった指輪
堀尾は血だまりに沈む遥の脇に膝をつき、その細い手を握りしめる。細さは変わらない。けれど、沈丁花のごとく白かった指先は今や、禍々しい赤にべったりと汚れている。
彼女の手を握りしめたまま、堀尾は視線を投げる。
薄い腹部に深々と突き立ったナイフの柄に。
「なんでこんな……」
「堀尾……」
堀尾と遥を囲むように立つのは、いずれもゾンビメイクとコスチュームに身を包んだ男たち三人。
そのうちのひとりが堀尾の肩にそっと手を置く。
「もう、亡くなってる。警察に電話しよう」
「ちょっと待てよ、警察?!」
頓狂な声を上げたのは、三人のゾンビ男のうちのひとり、こときれた遥の体を挟んで向かいに立った男、吉田だ。
「警察はやめようぜ! だってなんて説明するんだよ? ここ入れたのは俺たちだけだろ? そうだよな、神山」
大声で怒鳴りながら同意を求めるように自分の隣に立つ男に視線を向ける。神山と呼ばれたゾンビ男は血のりに汚れた顔を歪めながら頷いた。
「確かに警察沙汰は困る。勝手にここに入り込んだことがばれたらここのバイト、クビになっちまう」
「神山、そんなこと言ってる場合か? 人がひとり死んでる。バイトどころじゃ……」
「お前にはわかんないよ。野宮」
神山が向かいに立つ男、野宮をぎりり、と睨み付ける。思わず口を噤む野宮に向かい、神山は吐き捨てた。
「法学部トップで出てさ、今は弁護士事務所で研修中だっけ? 今月の家賃払えるかなあ、とかさ、そんな心配したこともねえんだろ? そんなだからバイトどころじゃないとか言えるんだよ」
野宮がふっと言葉を飲み込む。だけど、と態勢を立て直そうとした野宮を遮るように、吉田が叫んだ。
「俺も警察は困る」
「吉田! お前までなんで」
「いやあ……だって警察はまずいよ……」
「まずいとかまずくないとか言ってる場合じゃないだろう。遥が死んでるんだぞ?」
「わかってるよ? わかってるけど。いろいろ警察に突かれるのはちょっと……」
「ちょっと、って……いや、だからそんなこと言ってる場合じゃ……」
「ない!」
野宮が言葉を継ごうとした瞬間だった。うなだれていた堀尾が唐突に金切り声を上げた。
「遥に……遥に渡した指輪が、ない……!」
「指輪?」
「婚約指輪だよ! ピンクダイヤの……! ここに入る前にはしてたのに……! なんで……」
「犯人が盗ったってことか」
神山の声にぴりり、と空気がひりついた。吉田が周囲を見回しながらこわごわと声を発する。
「ここ一本道だろ。堀尾と遥の後ろには野宮がいたし、先には俺と神山がいた。非常口はあるけど外からは開かないし……え、ってことは……」
「このお化け屋敷の中には俺たちしかいなかった」
吉田の言葉を野宮が引き取る。沈黙の中、神山が嘆息した。
「じゃあ、俺たちの中に犯人がいるって?」
「……やっぱり、そうか……」
わなわなと肩を震わせた堀尾が立ち上がる。握られていた遥の手が支えを失い、ぱたり、と床に落ちたが、激昂した堀尾はそれに気づいていないようだった。
「俺は見たんだ! 遥に襲い掛かるゾンビ男を! お前らの中の誰かがやったんだろ! 遥を刺して……指輪を盗んだやつがいるんだろ!」
沈黙が重苦しくその場を包む。慌てたように声を上げたのは吉田だった。
「いや、俺は違うよ? 動機なんかないし」
「そうかな?」
神山の声に吉田の肩がびくっと震える。神山はメイクで形作られた赤黒い瞼を撫でながらにやりと笑う。
「お前、遥に金、借りてたよな。結構な額。在学中からさ」
「神山、なんで……」
「何回か見たから。お前が遥に金借りてるとこ。まあ、遥は老舗着物問屋の一人娘だし? 金貸すくらい痛くもかゆくもなかっただろうけどさあ。その分、吉田への当たりはきつかったよなあ。吉田、完全に小間使いだったし。遥だけじゃなくて、遥と付き合ってる堀尾にまでいいように使われてさあ」
「そういうお前はどうなんだよ?! 遥にまとわりついてたけど、全然相手にされてなかったよな。その遥が結婚だぜ? しかも相手は貧乏学生のお前とは真逆の大企業の御曹司の堀尾。セレブ同士、お似合いのふたりの結婚だ。もうお前の入る余地なんてない。絶望したお前は遥をブスっと……」
「やめろ! 吉田!」
野宮が声を荒らげる。その野宮に向かって吉田が挑発するように顎を上げてみせた。
「野宮だって動機、あるよな?」
「は? なに言ってる。そんなのあるわけないだろ」
「野宮ってさ、遥の元彼だろ。高校のとき、遥と付き合ってたんだろ。それが大学に入るなり、あっさりと他の男に乗り換えられた。俺はいつも冷静沈着です、みたいな顔をしてるけど、本心ではどうなんだよ? はらわた煮えくりかえってたんじゃねえの?」
「そんなわけないだろう。もしそうならこんなふざけたイベントに参加なんてしない」
ふざけたイベント。
その言葉が全員の心にずっしりとのしかかった。
遥、堀尾、神山、吉田、野宮。
五人は大学時代からの友人同士である。在学中は五人でよくつるんで遊んでいたが、卒業後はそれぞれの生活に追われ、会うことも減っていた。
しかし、堀尾と遥の結婚が決まった祝いに、お化け屋敷好きの遥を喜ばせようと遊園地でアルバイトをしている神山が企画し、久しぶりに集まったのだ。
全長100m。細長いお化け屋敷の建屋内でゾンビに扮した神山、野宮、吉田がそれぞれ身を隠す。堀尾は遥の手を引いて彼らをかいくぐりながら出口を目指す。
ただ、それだけのふざけたイベント。それだけだったはずなのに。
「わかっていることは……遥が死んでいるということ。そして指輪がない、ということだ。俺たちの中に犯人がいるかどうかまではわからない」
「いや! お前らの中にいる! だって俺は見たんだ! 遥を刺したゾンビ男をな!」
「それを証明はできないだろう」
野宮が苦い顔をしたときだった。いや? と神山が声を上げた。
「遥の悲鳴が聞こえてから俺たちが集まるまで1分とかかってない。もしも犯人が指輪目的で遥を殺したのなら、ポケットにまだ指輪が入ってるんじゃないの?」
ざっと空気が凍り付く。堀尾が目を血走らせて立ち上がった。
「お前たち……ポケットの中、見せろよ」
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