理想の当て馬との出会い

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理想の当て馬との出会い

 庭でマリエットとお喋りを楽しんでいると、侍女がやって来てダニエル殿下の到着を知らせた。 「マリエット!」  婚約者の姿を見つけた殿下がパッと表情を明るくした。マリエットのことを本当に大切にしてくれているのが分かる。  紳士なダニエル殿下は、マリエットとのデートに割り込んできた私にも嫌な顔一つすることなく、むしろ楽しげな様子で挨拶してくださった。 「クロエ嬢にもお会いできて嬉しいです」 「私こそ、ご一緒できて光栄ですわ。お邪魔でないといいのですが……」 「そんなことありませんよ。実は僕も今日、側近を連れてきているので、ご一緒させてもらってもよろしいですか?」 「あら、そうなのですね。もちろん私は構いません」 「ありがとうございます。──ノア」  殿下が呼ぶと、すらりと背の高い男性が姿を現した。  光に透けるような綺麗な銀髪に淡い青色の瞳が、ブルーを基調とした装いによく似合う。  芸術的とも言えるほどに整った顔は、無表情なせいか少し冷たい印象だ。 「……初めまして。ノア・ランベールです。お目にかかれて光栄です。よろしくお願いします」 「初めまして。クロエ・フォンテーヌと申します。本日はよろしくお願いいたします」  初対面の挨拶の後、四人で揃ってテーブルにつくと、すぐに温かな紅茶が運ばれてきた。  そうしてお茶やお菓子を口にしながら、最近読んだ本の話や、巷で話題の食べ物、夜会で誰それがこんなことを言っていたなど、あれこれお喋りを楽しむ。  ダニエル殿下は話し上手の聞き上手で、会話を大変盛り上げてくれた。  ノア様はクールな印象どおりお喋りは苦手なのか、たまに質問に答えてくれたり相槌を打ったりするくらいで、ほとんど黙ったままだった。  そうして、しばらく語り合ったところで、マリエットがダニエル殿下に何か目配せをした。  殿下が頷いて咳払いをする。   「すみません、少しマリエットと二人で話したいことがありまして、庭を歩いてくるので二人はこのままお茶でも飲んで待っていてもらえますか?」  やはり婚約者同士、二人きりにもなりたいのだろう。私は笑顔で了承した。 「ええ、分かりましたわ。どうぞごゆっくり」 「ありがとうございます、クロエ嬢。ノアをよろしくお願いします」  そんな風にノア様の話し相手を頼まれると、殿下とマリエットは庭にあるバラ園のほうへと行ってしまった。   「…………」 「…………」    二人が席を立った途端、会話のリード役がいなくなったことで妙な沈黙が訪れる。  しかも初対面なので何を話したらいいのか見当もつかない。  私は気まずさを誤魔化すために紅茶でも飲もうとティーカップを手に取りつつ、なんとなくノア様のほうをチラリと盗み見た。  本当に美しいお顔立ちで、何時間でも飽きずに見ていられそうだ。  実はエルフです、と言われても私は納得してしまうだろう。  何やら難しそうな表情をされているけれど、そんな顔も様になっている。  ついついボーッと見入っていると、ノア様がふっとどこかに視線を向けるのが分かった。 (あら、バラ園のほうを気にされてる……?)  ノア様の視線は、すぐ側にあるバラ園に向いていた。  ダニエル殿下とマリエットが何か楽しそうにお喋りして笑い合っている姿が見える。  そして、そんな二人を、ノア様は睨みつけるように見つめていた。 (えっ、ノア様……もしかして……)  私は気づいてしまった。  ノア様が向ける眼差しの意味に。  四人での談笑の間も、時おり悩ましげな表情をしていた理由に。 (……ノア様は、マリエットに恋をされているのね)  マリエットは姉の贔屓目なしに見ても、美人で愛らしい子だ。地味な私とは違って、昔から男の子にとてもモテていた。  だから、ノア様がマリエットを好きになるのもまったく不思議ではない。  ……とは言え、一つだけ問題はあった。  マリエットには、ダニエル殿下という絶対的な婚約者がいることだ。  殿下はロマンス小説でたまに見かける頭の弱い王子のように、突然ぽっと出の男爵令嬢や庶民の娘さんに懸想をして勝手に婚約破棄をなさるような方ではない。  余程のことがない限り、この婚約が覆ることはないし、想いが報われる可能性はほぼゼロに等しい。  でも、そんなこと、殿下の側近という立場であればよく理解しているはずだ。 (つまり、それでもマリエットのことが好きなのね……)  ノア様の悲恋にしみじみと感じ入ったその瞬間、私は重大な事実に気がついた。 (ちょっと待って! つまりこれって、ノア様が不憫な当て馬ってことでは……!?)  私の頭の中で、ノア様の背景情報が次々と展開される。  ランベール公爵家の嫡男という、ダニエル殿下とも近しい身分。  容姿の素晴らしさでも知られ、王国で五指に入る美貌だと吟遊詩人にも謳われているとかいないとか。  もちろん見目がよいだけでなく、剣術に優れ、政治や経済などさまざまな分野に精通した文武両道であると評判だ。  恋人とするにはまったく申し分のない……というか、むしろ凄すぎて恐縮してしまうほどの好条件。  さらに、愛する人にはすでに婚約者がいる。しかも自分の主君である王子殿下。裏切るわけにはいかない。この想いを遂げようとしてはいけない、諦めなくてはならない。そう思う心とは裏腹にどんどんと募っていく恋心──。 (なんて最高の当て馬シチュエーションなの……!)  ついさっき、現実にも素敵な当て馬がいたらと思ったばかりだったが、まさかこんなに近いところに百点満点の当て馬が存在していたとは。 (神様! ありがとうございます!)  これはもう、ノア様の切なく不憫な片想いを側から存分に楽しませていただくほかない。  彼が最高の当て馬なら、私はさしずめ最低なじゃじゃ馬かもしれないが、余計な邪魔はしないから許してほしい。  かと言って、マリエットには殿下と幸せになってほしいので、手助けすることもできないけれど……。  心の中で謝りながら、ティーカップをソーサーに戻そうとしたところ、あまりの興奮で手が震えていたせいか、ガシャンと大きな音を立ててカップを倒してしまった。飲みかけの紅茶がテーブルに溢れる。  片付けをしてもらおうと侍女を呼ぼうとすると、それよりも早くノア様が立ち上がってハンカチを差し出してくれた。 「大丈夫ですか?」 「あ、ノア様。失礼いたしました。今、侍女を呼びますので……」  ノア様の上等なハンカチを紅茶で汚してしまうわけにはいかない。やんわり断ろうとすると、ノア様は「失礼します」と言って私の手を取った。 「……手に紅茶が」  そう言って、手にかかってしまった紅茶をハンカチで拭いてくれる。  その手つきがとても優しくて、私は思わずどきりとしてしまった。 (さすが最高の当て馬……! さりげない優しさがポイント高いわ)  やはり、ノア様の当て馬としての素質は相当に高そうだ。  そんなことを考えているうちに侍女がやって来て後始末をしてくれ、また新しい紅茶を持ってきてくれたところで、マリエットと殿下も戻ってきた。 「おかげさまで貴重な時間が過ごせました」 「本当に楽しかったわ」  殿下もマリエットもとてもいい笑顔で、きっと綺麗なバラでも眺めながら、二人きりで素敵な時間を過ごしたのだろう。  私も思いがけず逸材とも呼べる素晴らしい当て馬を見いだせて、とても気分がいい。 「ノア様も楽しくお過ごしいただけました?」 「……まぁ」  にこにこと微笑みながら尋ねるマリエットに、ノア様が一言答える。  少し照れているようにも見えるのは、やはり想い人に笑顔で話しかけられたのが嬉しいからかもしれない。  ほんの一言会話ができただけでも浮き足立つ心。  好きな人が自分に笑顔を向けてくれる幸せ。  報われないと分かっているけれど、それでも気持ちに嘘はつけない……。 (本当にごちそうさまです……!)  一日分、いや一週間分の栄養を摂取できた私は、殿下とノア様が帰られるまでずっと上機嫌で過ごしたのだった。
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