当て馬を摂取したい

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当て馬を摂取したい

 それから一週間後。  先日のお茶会で摂取した栄養がそろそろ切れそうだった私は、愛読書のロマンス小説を読んで、なんとか栄養不足を補っていた。 (でも、小説の当て馬もキュンキュンするけれど、やっぱりノア様という最高の当て馬を知ってしまうと、どこか物足りないのよね……)  一度、現実の当て馬の良さ──しかも最高峰の逸材を目の当たりにしてしまうと、そのあまりの刺激の強さに、これまで私の推し当て馬だったアンドレもファビアンも霞んで見えるようになってしまった。  今や、ノア様が私の最推し当て馬だ。 (ああ、今度はいつノア様にお会いできるかしら。でも、いくら側近とはいえ、毎回殿下とマリエットのデートについてくるとは限らないものね……)  ノア様の心境を思えば、愛するマリエットが自分ではない男と楽しそうにデートする姿など見たくないはずだから、一緒にいないほうがいいのだろうけれど、当て馬好きの私としては、そこを何とかご一緒してもらえるようお願いしたい。  そして私も完全に邪魔者だけど、またデートに同席させていただきたい。 (最悪、同席できなくても、こっそり陰から覗き見させてもらおうかしら……)  そんなことを真剣に検討していると、コンコンとノックの音が聞こえ、マリエットが部屋に入ってきた。 「お姉様、実は今度ダニエル殿下と街でお忍びデートをするのだけど、よかったらまた一緒にどう?」  な、なんと、デートに同席したいと思っていたら、あっさり願いが叶ってしまう展開になった。思わずガッツポーズしそうになってしまったが、一つ大切なことを確認しなければならない。 「そ、それって、もしかしてノア様も一緒にいらっしゃるのかしら……?」  ノア様がいらっしゃらなければ、私がついていったところでお邪魔虫になるだけだし、行く理由がない。真っ先に聞いておかなければならないことだ。  こちらの不純な意図を悟られないよう、できるだけ何でもない感じで聞いたつもりだったけれど、マリエットは驚いたように数回ぱちぱちと瞬きをした後、パッと輝くような笑顔を浮かべた。 「ええ、ノア様もいらっしゃるわ!」 「そ、そう。なら私もご一緒させていただこうかしら……?」 「ふふ、では三日後だから、ちゃんと予定しておいてね」 「分かったわ。楽しみにしているわね」  手を振って出ていく妹を見送った後、私は我慢していたガッツポーズを盛大に決めた。 (やったわ! また最高の当て馬を堪能できるなんて……! 神様、ありがとうございます!)  気の早い私はウキウキでお忍びデートの支度を始めるのだった。 ◇◇◇  そして三日後のお忍びデートの日。  ダニエル殿下がノア様と一緒に我が家まで迎えに来てくださった。 「お忍び」なので、馬車はいつもの豪華な王宮仕様ではなく、そこそこのグレードのもので、お二人の服装も貴族っぽさのない裕福な平民といった感じだ。  もちろん、私とマリエットも平民の少しいいところのお嬢さん的な装いにしている。  ダニエル殿下とマリエットは早速「そういう格好もとても可愛くて好きだよ」とか「ダニエル殿下は何を着てもお似合いですね」などと微笑み合い、付き合いたての幸せカップルそのものだった。  私がすかさずノア様の様子を盗み見ると、ノア様は殿下とマリエットのほうを見ながらわずかに固まり、パッと顔を背けた。  その瞬間、私とばっちり視線が合い、ノア様の頬が赤く染まる。  私は何も目撃していませんよという体を装い、にっこり微笑んで話しかけた。 「今日はよろしくお願いいたします。私、この日をとても楽しみにしていたんです」  本当に、今日が楽しみで仕方なかった。一体どんな切ない当て馬っぷりが見られるのかと思うと興奮して夜も眠れなかったほどだ。  そして当日早々、さっきのような美味しいシーンが見られるなんて幸運すぎる。もうこれからのデートに期待しかなかった。 (ノア様はきっと一緒になんて来たくなかったわよね……。あ、でも、たとえ殿下がいらっしゃってもマリエットと一緒にいられるのは嬉しかったりするのかしら?)  そんなことを考えていると、ノア様は私の目の前に優雅に手を差し出した。 「……俺も楽しみにしていました。さあ、馬車に乗りましょう」  どうやら後者だったらしい。ノア様も楽しみにしていたのだったら、私も変に同情したり恐縮したりする必要はないだろう。このシチュエーションを存分に満喫しよう。  ノア様の手を取り、優しくエスコートされながら馬車へと乗り込むと、先に乗っていた殿下とマリエットが楽しそうな笑顔で迎えてくれた。  街に着いて馬車を降りた後、マリエットが事前に行きたいと希望していた「最近人気のデートスポット」へと向かうことになった。  王国に面する碧く美しいルベール海を見下ろせる小高い場所に、天使の像が建てられており、その天使が掲げる鐘を鳴らすと願いが叶うというのだ。  普段から屋敷に引きこもりがちなせいか、そんなロマンチックな名所があったなんて全く知らなかった私は興味津々だ。 (というか、それってもしかしなくても『永遠の約束を君に』に出てくる聖女ラヴィア像のモチーフでは……!?) 『永遠の約束を君に』には、主人公二人が永遠の愛を誓って聖女ラヴィア像の鐘を鳴らすシーンがあり、作中屈指のロマンチックなエピソードだった。私は当て馬推しではあったけれど、主人公二人のカップリングも好きだし、作品自体のファンでもあるので、聖地巡礼とも言えるこのデートに俄然やる気が湧いてきた。 ◇◇◇ 「はぁ……はぁ……」  今、ものすごく息が上がっているが、別にまた当て馬の妄想で興奮している訳ではない。  デートスポットの天使像へ向かって歩いているのだが、ひたすら階段や坂道が続いていて結構ハードな道のりなのだ。ところどころにベンチが置かれていて、カップルたちが休憩しながらイチャついている。 (くっ……インドア派の私には辛いけれど、他の人たちが休んでいる間に頑張って進めば、聖地を独り占めできるかもしれない……!)  聖地をなるべく人のいない状態で楽しみたいという一心で、頑張って足を動かし続けていると、突然横から大きな手が現れた。真っ直ぐに伸びた長い指が美しい。 「……ノア様?」  手の持ち主を見上げながら、私が首を傾げると、ノア様は少し目を逸らしながら返事をした。 「……お疲れでしょう? ここからは段差が急になりますし、俺の手を支えにしてください」  思いがけない紳士な提案に、私の心臓がまたどきりと跳ねる。  いくら隣を歩いていたからといって、私のようなモブ的存在がノア様に手を繋いでもらうのはだいぶ申し訳ないのではないだろうか。そう思って一瞬断ろうとしてしまったのだが、私はすぐに思い直した。 (待って。もしかすると、ノア様はマリエットの姉である私に親切にすることで、マリエットからの印象を上げようとしているのかも。それか、私と手を繋ぐことで、マリエットに妬いてもらいたいとか……?)  そう考えると、そんなような気もしてくる。  だとしたら、私はノア様の手を取るしかない。  ノア様に当て馬の素質を見いだした際、彼の邪魔は絶対にしないと決めたのだ。  このエスコートがマリエットの気を引く作戦の一環だとするなら、私はその作戦に乗らなければならない。  それが当て馬鑑賞における重要な礼儀、ギブアンドテイクというものではないだろうか。 「……それではお言葉に甘えまして。ノア様、ありがとうございます」 「いえ……」  私がお礼を伝えてノア様の手を取ると、後ろを歩いていたマリエットの視線が背中に突き刺さるのを感じた。  ノア様もほんの僅かながら微笑んでいるように見える。想い人の視界に入れたことに喜びを覚える当て馬。堪らない。  私は片手でノア様の手を取り、もう片方の手でときめく胸を押さえながら、一歩一歩階段を上っていった。
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