当て馬が出来すぎている

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当て馬が出来すぎている

 ようやく天使像のある場所に到着すると、案の定、人はまばらで気兼ねなく聖地の尊さを味わえそうだった。  見晴らしも素晴らしく、眼下に広がる紺碧の海の絶景とほのかな潮の香りが爽やかな気分にさせてくれる。 「なんて素敵な場所なのかしら……!」  深呼吸とともに思わずそんな独り言を漏らせば、ノア様がくすりと笑った。 「この場所が気に入ったみたいですね」 「ええ、とても!」 「よかったら、人が少ないうちに天使像を見に行きませんか?」 「そうですね、今のうちに行きましょう」  天使像は一番眺めの良い場所に建てられていた。石造りの台座の上で、羽を広げて微笑む真っ白な天使像が空に向かって鐘を掲げている。 「これが天使像……。意外に大きいんですね」 「ご存知ありませんでしたか?」 「ええ、実は今日初めて知って……。こうして見ると本当に神々しいですね。何かご利益がありそうな……」  大好きなロマンス小説の聖地だと考えるだけで特別なものに見えてしまうが、そもそもの天使像を彫った職人の腕の良さもあって、本当に願いを叶える力が宿っていそうだ。  太陽の光を反射してきらきらと輝く天使像を、ノア様と並んで見上げる。 「……せっかくなので、鐘を鳴らしてみますか?」 「あっ、そうですね。鳴らしてみたいです」  ここまで来て鐘を鳴らさずに帰るわけにはいかない。  私とノア様は鐘に繋がっている細い鎖を手に取って、一緒に引っ張った。  カラン、カラン、と軽やかな音が響く。 「……ノア様はどんなお願い事をされたんですか?」  鐘を鳴らし終わった後、私はノア様にそんなことを聞いてみた。  何を願ったか聞くなんてマナー違反かもしれないが、私は一つの返事を期待して、不躾にも尋ねてみたのだ。  そしてノア様は、私が望む言葉を返してくれた。 「それは……秘密です」  期待どおりの返事に、期待どおりの表情。  少し切なさの混じった微笑みが不憫な当て馬らしくて、とてもいい。 (秘密にしてても分かってますから……! きっとマリエットとのことを願ったんですよね……!?)  ──胸に秘めた孤独な想い。  いつか、彼女に伝えられたら。  いつか、報われる日が来たなら。  見てはいけない夢と知りながら、それでも叶えたくて……。  身を焦がすほどのこの想いを、純白の天使に託そう──。  脳内で謎のポエムが朗読される。  ノア様から質の高い栄養をいただいたおかげかもしれない。  そうして当て馬の余韻に浸っていると、今度はノア様が尋ねてきた。 「……ところで、クロエ嬢はどんなことを願われたのですか?」 「あ、私はマリエット──」  マリエットとダニエル殿下が幸せになりますように……と言おうとしたところで、ハッと気がついた。  これはちょっとノア様の心を抉ってしまいそうな気がする。  いくら不憫萌えとはいえ、積極的に傷つけたい訳ではないのだ。さっきの婉曲的な質問が私の中でのギリギリのラインだった。 「……マリエットの幸せを願いました」  なんとかダニエル殿下の名前は出さずに誤魔化すと、ノア様は柔らかく目を細めた。 「クロエ嬢は、本当に妹思いなんですね」 「い、いえ、そんな……。マリエットは私とは違って器量良しで愛らしくて、自慢の妹なんです。だから、私なんかが願わなくても、きっと幸せになるでしょうけど」  思いがけず褒められたことが照れくさくて、少し早口になりながら返事をすると、ノア様の綺麗なお顔がわずかに曇った。 「……あまり自分を卑下するようなことは言わないでください。クロエ嬢にはクロエ嬢の魅力があります」 「えっ、私の魅力……?」  予想外の言葉に固まる私に向かって、ノア様がうなずく。 「はい、さっきの願い事のように、自分のことより妹の幸せを真っ先に願えるのは素敵なことですよ」 「い、いえ、でも、それは姉として当然のことというか……それに私なんて本当に地味で、マリエットが大輪のバラなら私はその辺の野花、いえペンペン草というか……」  その上、陰でロマンス小説を読みながら不憫な当て馬に悶えて、今もノア様の理想の当て馬っぷりにときめいている恥ずかしい人間なんです──とまでは流石に言えなかったけれど、とにかく自分はこんなに完璧なノア様に褒められるような存在ではない。  申し訳ない気持ちで俯きながらお褒めの言葉を固辞していると、ノア様の穏やかな声が聞こえてきた。 「……クロエ嬢は、花開く前のバラの蕾のような慎ましい魅力があると、俺は思いますよ」 「えっ……?」  思わず顔を上げ、呆けた顔で見つめる私に、ノア様が優しく微笑む。 「──だから、もっと自信を持ってください」 「………………はい」  なんということだろう。高貴で煌びやかなノア様のオーラに当てられて、つい「はい」と答えてしまった。尊みがすごい。  それにしても、いくら想い人の姉とはいえ、こんなにも気遣ってフォローしてくれるなんて、当て馬として出来すぎているのではないだろうか? (……ちょっと、すごく、ドキドキしちゃった……)  まるでノア様が私に魅力を感じてくれているような錯覚を起こしてしまう。  私はなかなか鳴り止まない胸を、ノア様に気づかれないようそっと押さえた。
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