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なんだか、おかしい
それから、街の食堂で昼食をとったり、大通りの出店でお土産を買ったりと充実したデートを楽しんだ私たちは、日が暮れる前に帰宅した。
私とマリエットは侍女にお茶を用意してもらって、街歩きの疲れを癒す。
「お姉様、楽しかったわね!」
「ええ、本当に。天使像を見られたのが一番よかったわ。マリエットと殿下も、一緒に鐘を鳴らしたんでしょう?」
「それはもちろん! だって、男女で一緒に鳴らして願い事をすれば永遠に結ばれるっていうジンクスがあるんだもの!」
にこやかに答えたマリエットの言葉に、私は飲んでいた紅茶を危うく全部噴き出しそうになった。
「ちょ……ゴホゴホッ……マリエット、何それ、ゲフンゲフン……本当にそんなジンクスが……?」
涙目になって咽せながら尋ねる私にハンカチを差し出しながら、マリエットが返事をする。
「あら、お姉様は知らなかったの?」
「し、知らなかったわね……」
そんなジンクスがあるのを知っていたら、ノア様と一緒に鳴らすなんてことはしなかった。
そんな恋愛要素のあるイベント、ノア様にとって想い人の姉という属性でしかない私がしゃしゃり出ていいものではない。
(きっとノア様もご存知なかったのね……)
知っていたら、きっと私ではなくマリエットと鳴らしたかっただろう。
わざとではないとは言え、結果的にノア様の恋路を邪魔してしまったのが申し訳ない。
「お姉様、どうしたの? 急に落ち込んじゃって」
「いえ、ちょっと反省をね……。ノア様に申し訳なかったなって……」
「反省? あんなに機嫌のよさそうなノア様、今まで見たことなかったし、申し訳ないことなんて何もないと思うけど」
マリエットがきょとんとした顔で首を傾げる。
妹はまさかノア様が自分を好きだなんて気づいてもいないのだろう。
普段から私のことばかり心配して、「お姉様もロマンス小説ばかり読んでないで、ちゃんと現実の恋をしないと」なんてお小言というか正論というかを言い聞かせてくるのだ。
今日のことだって、男の人に縁のなかった姉がノア様みたいな人気の男性とデートできてよかったな、とかそんな風に思っているかもしれない。
「ノア様にも早く春が来るといいわよね。ね、お姉様?」
「え、ええ……」
ノア様の片想いのことなど何も知らない様子で、マリエットはにこにこと楽しそうに笑う。
私はなぜだか少しだけ、胸の中にもやもやと霧がかかるような気持ちがした。
(いやだわ、私、どうしたのかしら。ここはノア様の不憫さを美味しく堪能するべきところなのに……)
どうしてか、いつものようにはしゃぐ気になれない。
(たくさん歩いて疲れたからかしら)
今日はゆっくりお風呂に入って、早めに休もう。
そうしたら、いつもの私に戻るはずだから……。
私は、ふぅと一つ溜め息をつくと、すっかり温くなってしまったお茶に口をつけた。
◇◇◇
「やっぱり私、おかしいわ……」
ある雨の日の昼下がり、私は愛読書のロマンス小説を読み返しながら呟いた。
「アンドレにもファビアンにも、ちゃんとときめく……」
私の推し当て馬である不憫な王太子のアンドレも、不憫な幼馴染のファビアンも、その想いの報われなさと切なさに胸がキュンとして堪らない。まさに不憫さこそが彼らの魅力。いつも通り、どの不憫描写もとても美味しい。間違いない。
それなのに……。
(どうしてノア様にはときめかなくなってしまったの!?)
そう、なぜか最近、私はノア様にあまりときめかなくなってしまっていた。
いや、今のはちょっと語弊があったかもしれない。正確には、ノア様の不憫な当て馬シチュエーションが発生しても、以前のようなときめきを感じなくなってしまったのだった。
お忍びデートをした後も、ダニエル殿下がマリエットに会うため、ちょくちょく我が家を訪れていたのだが、その際ノア様もほぼ毎回同伴されていた。
せっかくだからと私も招かれるので、では当て馬のご相伴にあずかろうと喜んでご一緒させてもらっていたのだけれど。
たとえば、殿下がノア様の目の前でマリエットの髪に口づけたとき。
たとえば、殿下がノア様に「お前とクロエ嬢、なかなか似合いの二人だな」なんて冗談を言ったとき。
以前の私だったら、きっと瞬きの一つもせずに、ノア様の切なく揺れる瞳や翳った微笑みをこの目に焼きつけていたことだろう。
でも、今はなぜか、そんな美味しいはずのシーンを前にすると興味津々どころか、むしろ目を逸らしたくなってしまうのだった。自分でも意味が分からない。
そして、ある日。
ついに決定的な出来事が起こってしまった。
「今度の夜会は僕もマリエットと参加するんだ」
いつもの四人でのお茶会で、ダニエル殿下がそんなことを言い出した。
「二人で同じ色を使った衣装を着ていこうと思って。ね、殿下?」
「そうだな、楽しみだな」
幸せそうに見つめ合うマリエットとダニエル殿下は、夜会が待ち遠しくて仕方ないといった様子だ。
そんな二人を見て、私は思わずノア様の顔を見てしまう。
何かを悩むようにわずかに眉を寄せるノア様。その姿に、私は胸が苦しくなるのを感じた。
ノア様のためにも、この話題を終わらせなければ。
そう決意した私が口を開こうとした瞬間、信じがたい言葉が聞こえてきた。
「ノア様も、気になる女性を夜会に誘ってみてはいかがですか?」
マリエットだ。可愛らしい表情で、とても残酷なことを口にしている。
私は慌てて止めに入った。
「マリエット……! そんなことを言ってはいけないわ」
よりにもよって、他でもないノア様の想い人であるあなたが……。
けれど、マリエットは心底不思議そうな顔をして尋ねた。
「どうして? お姉様もそれを望んでいたと思ったのだけど?」
マリエットの言葉は、私の心にとてつもない衝撃となって響いた。
(私が、望んでいた……?)
たしかに私は、ノア様のマリエットへの悲恋を楽しんでいた。
今みたいに、マリエットが悪意なくノア様を拒絶する様子を見て、その不憫さを尊いものだと喜んでいた。
小説とは違うのに。
ノア様は現実の人で、真剣に恋をして悩んでいるのに。
それが上手くいかないのを陰で面白がっていただなんて。
(──私、びっくりするほど最低な人間じゃない)
自分が情けなくて、許せなくて。そんな気持ちが雫となって、瞳からこぼれ落ちる。
「お、お姉様……!?」
みんなが驚いた顔を向ける中、私は席を立って逃げ出した。
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