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芽生えた想い
「……お姉様、どうしたの? 私が何か嫌なことを言ってしまった?」
自室のベッドに逃げ込んだ私を、マリエットが心配して追いかけてきてくれた。
「ううん、マリエットは何も悪くないわ。ただちょっと自己嫌悪で打ちのめされてしまって……。それに私、最近おかしいの」
ブランケットを頭から被ったままそう答えると、マリエットはベッドの縁に腰掛けて、私の背中を優しく撫でた。
「殿下たちはもう帰られたから、悩みがあるなら話してみて?」
どこか包容力のある声音に誘われて、私はぽつりぽつりと話し出した。
ノア様がマリエットを好きだとか、そういう話はできないけれど。
ついノア様のことが気になって目で追ってしまうこと。
憂いのある表情が好きだったはずなのに、今はそれを見たくないと思ってしまうこと。
ノア様が悲しんでいると思うと、私まで胸が苦しくて辛くなってしまうこと。
マリエットに話しているうちに気がついた。
ああ、そうだ、私は……。
「ノア様に幸せになってほしいの……!」
報われない当て馬なんかじゃなくて、ノア様も幸せを掴んでほしい。
切ない表情ではなくて、穏やかな笑顔を浮かべていてほしい。
いつの間にか、そんな想いを抱くようになっていた。
マリエットが優しく私の肩に触れる。
「ねえ、お姉様。今度の夜会、一緒に参加しましょう」
「え、夜会……? どうして急に……」
「こういうときは、いつもと違ったシチュエーションが大切だわ」
「シチュエーション……? でも、私がついて行ってはマリエットと殿下の邪魔になるんじゃ……」
「大丈夫だから心配しないで」
意味深に微笑むマリエットが気になるが、たしかにこういうときは気分転換も必要かもしれない。
私はマリエットの誘いを受けて、夜会に参加することにしたのだった。
◇◇◇
そして一週間後。
私はマリエットとダニエル殿下とともに、とある迎賓館で開かれた夜会に参加した。
久しぶりの夜会で緊張したけれど、綺麗に着飾って華やかなホールにいるだけで、最近落ち込み気味だった気持ちが少し晴れるような気がした。
「今日のお姉様、本当に素敵よ」
「ありがとう、マリエット。参加してよかったわ」
「ふふ、それは何よりだわ。でも、まだまだこれからだからね」
そんな風に笑うとマリエットは、用があるからしばらく待っていてと言って、殿下と二人でホールの奥へと行ってしまった。挨拶回りでもするのかもしれない。
(今日は綺麗な月夜だから、バルコニーで月でも眺めていようかしら)
一人バルコニーに出ると、美しい満月が深い藍色の夜空を煌々と照らしていた。
(いい夜ね……)
うっとりと夜空を見上げていると、後ろからコツ……と足音が聞こえた。
「マリエット? 早かったわね」
てっきりマリエットが戻ってきたのかと思って振り返ると、そこにいたのは妹ではなく、正装姿のノア様だった。
「ノア様……?」
よそいきの華やかな装いをしたノア様はいつもよりさらに素敵だった。
美しい銀髪が月影を浴びてきらきらと輝いている。
もし月の精霊がいるとしたら、こんな姿なのかもしれない。
しばらく惚けてしまっていた私に、ノア様が微笑みかける。
「こんばんは、クロエ嬢」
「こ、こんばんは」
「その淡いイエローのドレス、とてもよく似合ってますね。……本当に綺麗です」
「ありがとうございます。ノア様も素敵ですよ。つい見惚れてしまいました」
「それはよかった。頑張って着飾ってきたかいがありました」
きっとマリエットの気を引きたくて、身だしなみに力を入れてきたのだろう。
そう考えると、なぜかちくりと胸が痛んだ。
「あ……そういえば、先日は急に席を立ってしまって失礼しました。気を悪くされていないといいのですが……」
なんとなく話を逸らしたかったのと、よく考えたら先日無礼を働いてから初めてお会いするのを思い出して、お詫びの言葉を口にする。
すると、ノア様はゆっくりと首を横に振った。
「気を悪くするだなんてとんでもない。……むしろ俺がクロエ嬢に嫌な思いをさせてしまったのではないかと心配していました」
「ノア様が、私に……?」
どうしてそんな風に思うのだろうか。
ノア様に嫌な思いをさせられたことなど一度もない。
むしろノア様の尊さを勝手に味わっていい思いをさせていただいてばかりだった。
(そしてそのことを反省中なのだけれど……)
また己の自分本位な所業を思い出して沈んだ気分になりはじめた私だったが、続くノア様の言葉に思わず耳を疑った。
「……俺があなたを夜会にお誘いしようとしたのが嫌で、泣いてしまったのではないかと」
「……え?」
(ノア様が、夜会に私を誘う? マリエットの間違いではなく? どうして……?)
意味が分からない。
マリエットには殿下というパートナーがいるから誘えないけれど、一緒の夜会に参加するために姉である私を誘おうとしたということ……?
いや。ノア様はそんな風に人を利用するようなことはしない。それは、ずっとノア様の様子を見ていてよく分かった。
きっとノア様はお優しいから、パートナーのいない私を可哀想に思って誘おうとしてくださったのだろう。私はそう結論づけた。
「いえ、ノア様のせいではありません。……というか、気を遣わせてしまいましたね。すみません」
余計な気遣いをさせてしまったのが申し訳なくて謝ると、ノア様は少しだけ傷ついたような顔をして反論した。
「気を遣ったのではありません、クロエ嬢。俺があなたを誘いたかったんです」
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