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番外編・二人きりの初デート(前編)
「クロエ嬢、今日はいつもと少し雰囲気が違いますね。とても素敵です」
「ありがとうございます。ノア様も素敵ですよ」
今日はノア様との初デートの日。
晴れわたる青空。穏やかな陽気。頬を撫でる爽やかな風。
まさに絶好のデート日和だ。
前にもノア様と出かけたことはあったけれど、あの時はマリエットや殿下も一緒だったし、まだ付き合ってもいなかった。でも今日は、ノア様と二人きりで、恋人同士として出かける初めてのデートなのだ。
ここ一週間は、待ち遠しくて早く時間が過ぎてほしい気持ちと、やっぱり心の準備が間に合わないからもう一週間待ってほしいような気持ちとの間で葛藤しつつ、デートの準備に勤しんでいた。
ちなみに、デートと言えば悩むのが服装だ。私も数日あれこれ悩んだのだが、デートに相応しい格好なんて皆目見当もつかなくて全く決められなかったので、マリエットに頼んでコーディネートしてもらった。何度も試着させられるのが少し大変だったけれど、ドレスも髪型もとても可愛く仕上がったと思う。
(おかげでノア様にも褒めてもらえたし、持つべきものはセンスのいい妹ね)
一番の心配事を無事にクリアした私は、リラックスした気分で馬車の座席に腰掛けた。
「今日はまず観劇に行くのですよね?」
たしか最初に劇場でお芝居を観た後に食事をして、それから色々とお店を見て回る予定だったはずだ。
私の質問にノア様がうなずく。
「はい、そうです。隣国で人気を博した劇らしくて、それが王都でも観られると話題になっているようです」
「まあ、そうなんですね。それは楽しみです」
「喜んでもらえてよかったです。一番いい席を押さえてあるので、ゆっくり観られますよ」
「ありがとうございます。でも、チケットを取るのが大変だったのでは……?」
「クロエ嬢に楽しんでもらえるなら、そのくらい何でもありません」
そう言ってノア様が柔らかく微笑む。
ノア様が格好いいのは当たり前のことだけれど、今日はいつにもまして輝いている気がする。馬車の中だというのに眩しさで目がくらみそうだ。
何でもない移動時間のお喋りでさえこんなにときめいてしまうなんて、今日一日、私の心臓はもつのだろうか……?
(今からこれでは先が思いやられるわ。なるべく平常心を保たないと……)
せっかくの初デートなのに、ドキドキのせいでおかしな失敗をして、ノア様にがっかりされてしまったらと思うと恐ろしい。
私は過剰なドキドキを退散させるべく、この前ケーキを食べようとして落っことした悲しい記憶を思い出して高鳴る心を無事に鎮めた。
そんなこんなで何とか気持ちを落ち着けつつ、ノア様と他愛のない会話をしているうちに、目的地の劇場に到着した。
ノア様が言っていたとおり、とても人気があるようで、ホールはカップル風の人たちや女性客でいっぱいだった。
「人混みではぐれるといけないので手をつなぎましょう」
「あ、はい……」
ノア様が私の手を取って席までエスコートしてくれる。
その優しい触れ方や、私に歩幅を合わせてくれる気遣いがとても嬉しい。
ノア様の手のひらはほんのり温かくて、もしかしたらノア様も少しは照れてくださっているのかしらと思うと、ドキドキと胸が高鳴って……。
(はっ、また心臓が……! 危ないところだったわ。平常心、平常心……)
私はロマンス小説で推しだった当て馬が途中で死亡するという絶望の展開を思い出して、なんとか心拍数を正常値に戻した。
「クロエ嬢、こちらの席です」
ノア様が案内してくれたのは、ホールの二階部分に作られた二人用の特別席だった。ゆったりとした作りで舞台も見やすく、集中してお芝居を楽しめそうだ。
「こんなにいい席を取ってくださるなんて、本当にありがとうございます」
「いえ、喜んでもらえて何よりです」
私とノア様が腰掛けると、給仕の人がやって来て飲み物を用意してくれた。さすが特別席はサービスも特別だ。
「お客様、こちらが本日の劇のパンフレットでございます」
そう言って手渡された一枚の紙を見ると、そこには劇のあらすじと登場人物の説明が記載されていた。
ふむふむ、どうやら訳あって男装の騎士となっているヒロイン・ジェシーがひょんなことから皇帝に正体を見破られて気に入られ、政治的な陰謀に巻き込まれながらもお互いに愛を育んで結ばれる……的なストーリーらしい。
隣国で流行ったお芝居というだけあって、なかなか面白そうだ。
そのまま登場人物の紹介を読み始めた私は、ある人物の欄で思わず目を見開いた。
【マット・オーリス。皇室騎士団団長。部下であるジェシーの正体に気づきながらも黙認し、彼女を陰から支える。『陛下の目に留まる前に、お前を隠してしまえばよかった──』】
(ちょっ、こ、これは……!)
この人物背景とセリフは、もしかしなくても確実にジェシーに恋心を抱く当て馬的存在ではないだろうか。一体どんな不憫な片想いを見せてくれるのかと、劇への期待が俄然高まる。
「クロエ嬢、大丈夫ですか? 顔が赤いようですが……」
パンフレットを穴が開きそうなほど見つめる私の顔を覗き込みながら、ノア様が心配そうに尋ねる。
(危ない危ない……! 良質な不憫当て馬の予感に、つい興奮してしまったわ)
妄想しながら顔を火照らせる危険なオタクだと思われて、ノア様に引かれてしまったら大変だ。私はパンフレットから目を逸らし、にっこり笑って誤魔化した。
「いえ、なんでもありませんわ。室内が暖かいので、そのせいかもしれません」
「そうでしたか、それならいいのですが……」
ノア様は私の適当な誤魔化しを信じてくれて、給仕の人に冷たい飲み物まで頼んでくださった。
私は嘘をついたのが申し訳ないような、気遣ってもらえたのが嬉しいような複雑な気持ちになりながら、差し出されたアイスティーを神妙な面持ちでごくりと飲む。
そうこうしているうちに、開演のベルがホールに鳴り響いた。
「ああ、もう劇が始まるようですね」
「そうですね、楽しみです!」
ベルが鳴り止むと、舞台と客席を隔てていた幕が開き、物語の世界が広がる。
私は不憫当て馬・マット団長の登場を心待ちにしながら、目の前で繰り広げられる恋愛劇に没頭した。
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