国立ありか・1

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国立ありか・1

 あの夏―――1995年のあの夏、僕たちは、十五歳ないし十六歳だった。ごくごく普通の、県立の共学の学校で、高校一年生とやらをやっていた。  1995年、というのは、大変な年だ。阪神淡路大震災や、地下鉄サリン事件のあった年。「ああ言えば上祐」という言葉が流行っていた。悲しい出来事や、未曾有の恐ろしい大事件のなかで、多感な僕たちは、思春期を生きていた。世の中のひとみんなが不安だったろうが、年頃の僕たちはいや、少なくとも僕は足元の掬われるような目に見えない恐怖に追われていたのだ。  『フォレスト・ガンプ』が3月に日本公開され話題となった。劇中に登場するセリフ、「人生はチョコレートの箱、開けてみるまでわからない」は誰もが知っているキャッチコピーだった。僕はこの映画を三回観に行った。本当に開けてみるまでわからないものだろうか。僕は自分自身の人生なんて、開けてみる前から「たかが知れている」と決め込んでいた。  入試のとき、僕は体調が悪かったせいでランクを落として入学していた。クラスで一番の成績だったから、無理やり学級委員長に抜擢された。僕はどちらかというと引っ込み思案で自信がなく、人前に立ったりひとを仕切ったりすることがなにより苦手で。だから、学級委員長だなんてとてもそんな器じゃないのに……。指名されたとき、いやでいやでたまらなかったのだがそんな気持ちは一瞬で吹き飛んだ。  可愛かったからだ。副学級委員長の国立ありかが、とても可愛かったからだ。  先生に呼ばれて 「はいっ」  と、快活な返事をして立ち上った彼女は、非常に愛嬌がある、子犬のようなあどけない顔立ちをしていた。パーツがどれも大きめにできていて、とても目立つ。大きな二重まぶたが、横にした三日月のように笑っていて、黒い瞳は濡れたみたいに光っている。肉厚の唇がキスを求めるように上向いて艶々していて、なんだかエロい、と僕は思った。童顔のグラビアアイドルの胸がでかい、みたいな健康的なエロさだ。 でも、一番彼女に惹かれたのは、顔立ちや表情や声のなかに、微塵も影がないところだった。日向に咲くひまわりのように、明るく無邪気で、疑いや苦しみや悲しみとはおよそ縁がないように見えた。そして、彼女を見ている僕のことすら、日向に誘ってくれるような、温かさと力強さを兼ね備えたまなざしをしている。
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