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国立ありか・2
教壇の上、僕の隣にやってくると、ありかのさらさらと揺れるショートヘアからは、ちょっと甘いシャンプーの香りがかすかにした。思わず、彼女の頭を抱いて、柔らかい髪をくしゃくしゃにして、そこに顔をうずめたいような衝動に駆られる。
「よろしくう! 長野くん」
ありかがハツラツとした笑顔で僕の肩を叩く。そのとき初めて、彼女が僕より背が高いことに気づいた。ありかはほかと比べても随分と背が高かった。160センチ後半だろう。170センチあるかも。身体の弱い僕は成長期とはいえ大人になるまでに追いつけるかどうか……。
でも……良かったんだ。そんなこと。
僕は、ありかに一目惚れしてしまった。ありかが僕の名前を呼んで笑顔を見せてくれる。それだけで幸せだと思った。ふたりでやらなければならない雑用も、苦になるどころか楽しみだった。
最初に個人的に言葉を交わしたのは、クラスに配るプリントを、放課後、輪転機で印刷しているときだった。印刷室には僕とありかがふたりきりだ。かたんことん、といって刷られてゆくプリントを見ながら、なにか言わなくては、と思っていると、ありかが先に口を開いた。
「長野くんはさ、なにするか決めた?」
唐突な質問がなにを意味するかわからず
「なにって……なにが?」
と、間抜けな答えを返す。
「決まってるじゃない。高校生活でなにするか、ってこと」
そう言われても、すぐには思いつかなかった。そもそも僕は、そんなに志高く高校生になったわけではないのだ。僕が黙っていると
「私はね、恋をする」
とありかは言った。仕上がった分のプリントを揃えながら
「歳の離れたお姉ちゃんがいるんだけど、この春結婚したの」
「ふ、ふうん」
「相手のひととは、高校で出会って、ずっと付き合ってたんだよ。素敵じゃない?」
「そ、それはすごいね」
僕の胸はこれ以上ないくらいに高鳴っていた。ありかが僕にとても個人的な話をしてくれる。しかも、それが恋の話だなんて! 運命的だと思った。僕らの結婚式で、「出会いは高校時代でした」なんて、言ってみたい! 言ってみたい!
恍惚としたまなざしでありかを見つめていると、顔をあげた彼女と目が合う。ありかは、ふふ、と笑った。そのとき思ったんだ。高校3年間の間に、いや、同じ学級委員の1年の間に、両想いになりたいと。
授業中も、僕はずっとありかを見ていた。授業のときだけ、ありかは眼鏡を掛ける。細い銀縁の眼鏡は、とても知的でおとなっぽい。真剣に黒板を見、ノートに目を下す。瞳に笑みはない。普段とのギャップが大きくて、思わず見惚れてしまう。こうやって盗み見るありかは、僕だけしか知らない秘密の顔のように思えた。
そんな僕の淡い片恋に水を差したのは、吉高薫の存在だった。
高校に入学して一ヶ月と経たないうちから、僕は口を利いたこともない吉高のことを疎ましく思うようになっていた。
そう。
吉高にとっての僕はどうあれ、僕にとっての吉高は最初から強烈なインパクトを放っていた。
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