ジョンソン・プランクの政権争い

3/7
前へ
/21ページ
次へ
しかし、これに反発したのがプランク家だ。 当時のプランク家の当主はアラン・プランクといったが、彼はクーデターを試みた。 当時、ビッグ・アイ連邦は海外で様々な紛争に関わっていたが、タウンズビル大学の学生たちはそれに反対していた。アランはそのような学生たちを焚き付けて、市役所に押し入らせて市役所を占拠した。警察や軍とは撃ち合いになり、警察側に殉職者が数名出ている。いわゆる「市役所立てこもり事件」だ。 学生たちは様々な事件を起こした。官庁や大企業を爆破したり、道路封鎖をしたりした。政権に不安を感じた人々も加わり、事件の規模は大きくなった。 プランク側も扇動のためにネガティブキャンペーンを立ち上げた。テレビの力は偉大で、より政権に不安を抱える人々が増え、政情は不安定になった。
/21ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加