わたしの宝物

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それからしばらくすると、笑美の泣き声が聞こえなくなったことに気がついて外に出た。どうやら泣き疲れた娘は、リビングのど真ん中で、すやすやと寝息を立てて眠っていた。 私はゆっくりと近づいて、笑美の体を抱き上げる。パジャマに着替えさせようと思ったけれど、今日はもう面倒だと思い、そのままの格好で寝かせることにした。 布団をかけてやり、リビングに戻ると、散らかったままの部屋が目に入る。ため息をつきながら窓際に近寄り、まずは洗濯物たたみから片付けることにした。 夫の会社はいわゆるブラックで、朝から夜までの長時間勤務は毎日のこと。私は1日のほとんどをこの家で過ごし、気づけば「今日は笑美としか話さなかった」なんて日がざらの日常を送っている。 結婚して、子どもを産めば幸せになれると思っていた。そう、思っていたのだけれど。 ぼんやりと考えごとをしながら笑美のズボンを畳んでいると、ゴロっとした手触りを感じ、ポケットの中に手をつっこんだ。そこにあったのは、まんまるい形をしたどんぐり。 だから言ったのに、と静かに、怒りのままそのどんぐりを床に投げつけようとした。そのとき、「森のくまさんの宝物」という絵本が目に入り、手が止まる。絵本の表紙に、どんぐりの絵が描かれていたからだ。 「これ……」 ずいぶん前に、何度も読んでとせがまれた笑美のお気に入りの絵本。主人公のくまさんが、元気のない仲間たちに自分の宝物であるどんぐりをプレゼントして喜ばせてあげるという話の本だ。 『ああ〜、せっかくあげようとおもったのに』 その言葉を聞いた瞬間、胸が締め付けられるような痛みを感じた。投げつけようとした手がだらりと下がる。手の中にあるどんぐりを見つめると、どうしようもなく涙が溢れて仕方なかった。 笑美がどんな思いで、どんぐりをくれようとしていたのかは分からない。ただ、それをきちんと笑顔で受け取って「ありがとう」と返してやれなかった自分が、どうしようもなくダメな母親に思えた。 笑美が寝ているところへ、ゆっくりと近づいていく。私の気持ちとは裏腹に、すやすやと気持ちよさそうに眠っている笑美を見て、私は「ごめんね」と呟いた。 私の宝物。 この子が生まれたとき、何よりも大事な存在ができて喜んだことを思い出す。 「……明日は、どんぐり一緒に拾いにいこうか」 頭をポンポンとやさしく撫でると、まるで返事をしたかのようにふにゃりと笑った笑美。枕元にどんぐりを置いた私はリビングに戻り、また部屋の片付けを再開した。明日起きたら朝一番に、「ごめんね」を伝えようと心に決めて。 【完】
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