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「はぁ……」という溜息が研究室の中へと響き渡る。
悩みや焦り、その他諸々のやり切れない思いを詰め込んだかのような、それはもう聞いている側の気分までもが凹んでしまいそうな溜息だった。
それは僕らのゼミの担当で、この研究室の主である日渡教授が吐き出したものだった。
僕は胸中にて嘆息しつつ、いかにも心配げな調子にて日渡教授へと問い掛けてみる。
溜息の原因なんて判り切っているけれども、一応は聞いてみなければならない立場だったりもするのだ。
「先生、一体どうしちゃったんですか?
そんなに大きい溜息なんて吐いちゃって?」と。
11月も半ばであって、年明けには提出しなきゃいけない卒業論文の作成はまさしく佳境に入っていて、そして教授には日夜を問わず色々とご指導を賜っているので、何かと気を使わなきゃいけない状況なのだ。
こういう時に四年生は辛いのだ。
僕の質問を耳にした日渡教授はヨロヨロと立ち上がり、大半が白くなった頭髪を無造作に掻きながら弱り切った調子にてこう口にする。
「いやね…、多田頼政のあの時の考えが未だに理解出来なくて…。
どうしてあの時、彼があんな行動を取ってしまったのか全く分からないんだよなぁ…」と。
それから改めて溜息を吐く。
あぁ、やっぱりそうかとうんざりした思いを胸に抱きながら、教授に調子を合わせるかのようにして僕も大袈裟に溜息を吐いてみせる。
それから、こう口にしてみる。
「『払戸川の戦い』の時の多田頼政の行動って、本当に訳が分からないですよね。
あの時、どうして彼が主君の飯田実隆の居る本陣へと攻め掛ったのか、戦国時代から数えてもう四百年来の謎ですもんね」と。
教授は気を良くしたかのように何度も大きく頷いてから、大仰な調子にてこう言葉を返す。
「全くだよ、里見くん!
戦国時代の末期からこの地方を支配していた戦国大名の飯田家の重臣であり、そして家臣団のまとめ役でもあった多田頼政。
若き主君たる飯田実隆の後見役でもあったはずの彼が、国境を流れる払戸川を挟んで隣国の戦国大名・勝浦正信と睨み合っている最中、いきなり手勢を率いて主君の本陣に攻め込んだものの、反撃を受けて呆気無く討ち死にしてしまったんだから、もう本当に訳が分からんよ。
敵将の勝浦正信と内通していたのなら納得できるものの、そんな証拠など未だ見当たらず、そもそも当の勝浦正信は陣を引き上げて自国に帰ろうとしていたくらいだからね!」
日渡教授は諳んじているかのように、一気にすらすらと口にする。
それはまるでもう何かの詠唱であるかのようにして。
僕でさえ何十回と無く聞かさせている下りな訳だから、日渡教授にしてみたら恐らくは数百回と無く語っているんだろうし、それだけ口にしていれば口下手な教授であろうとも、つっかえること無くすらすらと口に出来るんだろう。
そんな思いを抱きつつ、どうやって教授の機嫌を取ろうかと思えあぐねていた時だった。
「ダーン!」と大仰な音が響き、研究室のドアが壊れそうな勢いで開けられる。
乱暴にドアを開けた何者かは、研究室の中にツカツカと歩み入って来る。
一体誰だよ、空気読んでくれよと内心にて毒突きつつ、僕は頭を巡らして闖入者のほうを見遣った。
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