二 嘘

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 俺は瞠目する。ゆめちゃんは防御反応を示した。それはごく当然な反応ではあるが、克死患者がとれる行動ではない。たったいま、克死状態から目覚めたということなのか。  驚いたのは、突き飛ばされ尻餅をついた増田も同じだ。彼は目を白黒させながら起き上がると、ベッドの上のゆめちゃんを怯えたような表情で見る。 「き、きみ。おかしくなってないの? お、おかしく……」  ゆめちゃんは黙ったまま体を小刻みに震わせ、首を横に振ると、ベッドの上に置かれていた入院着を引き寄せて裸体を隠すように纏う。 「ぼくは、なにもしてないよ。いたいことをするつもりじゃなかったんだ。だ、だから。ね? な、何も言わないでね、お、大橋(おおはし)さんをよんでくる、から」  増田は慌てて立ち上がると、カーテンの外に出ようとする。 「待って」  ゆめちゃんの声が彼を呼び止めた。彼女は、入院着の前を結んでしまうとゆっくりと体を起こし、増田へ向き直るようにベッドの上に座り直した。彼女の体は小刻みに震え、大きな瞳には涙が溜まっている。 「な、なに? ごめん、ごめんね。ぼくはわるいことしてないよ」  増田は自分のしたこと、そしてしようとしたことを繕おうとして言葉を紡ぐ。だが、ゆめちゃんは彼の言葉を取り合おうとはしなかった。 「お願い、誰にも言わないで。ここに、克死院にいたいの」 「ど、どうして?」 「家に帰ると……殺される。殺されたくない。もう、酷い目にあいたくないの。お願いだから、黙っていて」  ゆめちゃんはそこまで話しきると、キュッと唇を引き結んで、目の前の増田を真っ直ぐに見た。増田はしばらく挙動不審な様子で視線をさまよわせていたが、最終的には頷いた。 「わ、わかった、わかったよ。君のことは、ぼ、ぼくが守ってあげる、からね」  増田の言葉を聞いて、彼女の体から僅かに力が抜けていく。 「ありがとう」  ゆめちゃんの言葉をきっかけにしたように、あたりの靄が、ゆっくりと濃さを増していく。白い靄があたりを覆い尽くしていくあいだ、俺の視界には、それからの二人の姿が早回しのように見えていた。  ゆめちゃんは、増田の手助けを得ながら克死患者に混ざり克死院に入院し続けた。  一日中手足を拘束され、ベッドに横になり、ぼんやりと過ごす日々。時折、他のスタッフの目を掻い潜るようにして、増田がゆめちゃんを院内の別の場所へと連れ出す。そこで彼女は食事をとり、シャワーを浴び、院内の様子を知る。それはまるで、親の目を盗んで、拾ってきた猫を育てているかのような様子だった。  しかしある日、克死院の中の様子が一変する。  スタッフが慌ただしく廊下を駆け、恐怖表情を浮かべて口々になにかを叫んでいる。院内事故が起こった日に違いない。騒動の中、増田がタンクのようなものを抱え、ゆめちゃんの元へと駆けつけた。彼も気が動転しているのか、なにか意味不明なことを口走っている。まともな説明もできないまま、ゆめちゃんの手足を拘束していた枷を外す。  そのときには、もはやなにが起こっているのか判別するのが難しいほど、靄が濃さを増していた。それでもことの顛末を見届けるため、ありもしない瞼を閉じて瞬きをしようと試みる。  次に瞼を開いたとき。俺は、薄暗いリネン室で目が覚めた。
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