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第1話 廸(みち)との出会い
僕が若狭廸と出会ったのは、関連会社での会議で同席したのが最初だった。それまでの僕は恋愛には全く無頓着で一人の女性を愛することなど考えたこともなかった。
まだ20代でもあったし、恋愛が面倒に思えて、結婚もまだまだ早いと思っていた。同期の連中も皆独身の気ままな生活を謳歌していた。
彼女は大卒で入社して3~4年くらいだったと思う。仕事になれてきて、面白さが分かってきたといったところで、まだ初々しさがあって、僕にはまぶしく輝いて見えた。
髪は肩までのセミロングで、顔立ちも整っていて僕の好みだったこともあって、会議中は彼女を見ていることが多かった。
1年前に見合い結婚してしまった同級生の田代直美にどこか面影が似ていたせいかもしれない。あのころの僕は直美が結婚したことからまだ立ち直れていなかったように思う。
もちろん彼女が発言しているときはしっかり見ていたが、そうでないときも彼女をなんとなく見ていることが多かったのかもしれない。まあ、男は自分の好みの綺麗な若い女性には自然と目が行くものだ。
僕は吉田進、29歳、大手食品会社の入社7年目で仕事にも慣れて開発部の主任となっていた。
最初の会議は会社の顔合わせといった意味合いで、上司の松本部長と僕と入社3年目の後輩の山口君と3人で出席した。その会議では今後の大筋の進め方が決まった。次回からは具体的に仕事を進めることになり、その進め方は松本部長から僕に一任されていた。
これからは松本部長に相手会社との交渉の進捗状況を報告して、必要に応じて支持を仰げばよいことになった。上司の松本部長は僕が入社したときに付いた先輩で、意思疎通には問題がないくらいに信頼関係が醸成されている。
2回目の会議は初回の会議の翌週の同じ曜日同じ時間に開催された。相手会社からは山本リーダーと若狭廸が出席した。
彼女は年下ではあったが、意外と芯のしっかりしたところがあった。仕事にしっかり向き合っていて、仕事熱心で自分の意見を持っていた。議論しても理路整然としていて論破されることもあった。
交渉においてはその内容が一番よく分かったものの意見が通ることが多い。相手会社の方針は山本リーダーよりも彼女が主導していた。リーダーはそれを追認するといったところであった。
それで男同士ならお互い妥協できないところは、なあなあになったりするが、そういうこともなく、ビジネスライクでかえって仕事を進めやすかった。
それで廸とは毎回会議で同席することになり、2対2で会うことも、1対1で会うことも増えていった。2対2の打ち合わせの後では親睦のために軽く飲み会をすることもたびたびだった。そこでは廸と個人的な話をする機会も増えていった。
僕と一緒に出席していた山口君は廸とはほぼ同じ年齢で入社が同じくらいであったが、彼女の方が数段優れていたように思った。だから懇親会では僕と廸が会話することが多かった。そのため山口君は山本リーダーと話すことが多くなり、それはそれで彼のためにはよかったのかもしれないと思っている。
始めは僕が彼女に好意は持っていたが、恋愛感情を持っていなかったのは間違いない。それは関連会社の人と付き合うことはまずいと考えていたためでもある。誰かと誰かが付き合っているとすぐに社内で噂なったりする。
付き合ってうまく行けばよいが、別れたりすると、あとあと気まずいし、人事考査に影響したり、悪くすると配転になったり転勤になったりしかねない。特に社内恋愛には気をつけなければならないと思っていた。
ある時、飲み会の後で僕は廸と偶然帰る方向が同じで駅まで二人きりになった。そのときまでに3か月くらい経過していたと思う。また、すでに3回くらいは懇親会をしており、自己紹介などもしていたから、気心が知れるようになっていたと思う。
そのとき廸は少し酔っていたのかもしれない。いつもより口数が多いように思った。それで歩きながらとりとめもない話題で二人は盛り上がっていた。
「吉田さんって、彼女いるんですか?」
何がきっかけで聞かれたのか覚えていない。自己紹介はしていたから彼女は僕が独身であることは当然知っていたが、突然こういう聞き方をされるとは思わなかった。
こういう質問をするのは相手に関心がある時だとは分かる。彼女もそれを承知で聞いたのだと思った。でもその時どういう訳か、彼女には誠実にこれまでのことをありのままを答えた方が良いと思った。
「いない。ただ、1年前、高校時代からの女友達にお見合いすると告白された。そしてほどなく彼女は見合い結婚した。結婚の挨拶状を突然もらって、すごい喪失感を覚えた。ただの女の友人だと思っていたのにね」
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