もう会わない

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 ……どうしよう。  まさか彼が来るなんて。  家の中を見渡すと、いつもより散らかっていてとても見せられる状態じゃない。  玄関の姿見に映った自分は、ヨレヨレの寝間着で酷い有り様で。 『家庭的な女性がタイプです』  きっと幻滅される。  ……だけど、もう土屋さんの本命にはなれないんだし。  どうしても追い返すことができなくて、恐る恐る玄関のドアを開ける。  会って少し話をするだけなら、不貞にはならない。  そう思ったのに。 「愛美!」  顔を合わせた途端、勢いよく抱き寄せられる。  ふわりと彼の優しい匂いがして、涙腺を緩めた。 「なんでまた避けるの……俺何かした?」  震えた声に、胸をぎゅっと掴まれて。  抱き締められる力が強くなるほど、彼への気持ちも膨れ上がる。  ……だけど。  自身も彼の背中に腕を回そうとした瞬間、あの女性の笑顔が頭をよぎった。  こんなことしてはいけない。  きっと傷つける。 「……離してください」  ぎゅっと唇を噛んで、涙が出そうになるのを我慢する。  名残惜しさに胸が軋みながら、彼の腕を振りほどいた。 「愛美……」  どうしてそんな傷ついた顔をするの。  なんで抱き締めたりするの。  大切な人がいるのに。  言いようもないやるせなさが募って、溢れる思いを隠すように声を出した。 「私のこと、騙してたんですか?」  そんなこと、言うつもりじゃなかったのに。  一握りの希望をかけていた。  これは何かの誤解だよ。  愛してるのは君だけだよ。  そんなふうに、言ってくれるんじゃないかって。  だけど彼は。 「………………」  真っ青になってただ呆然と黙っているだけだった。 「なんで……」  なんで何も言ってくれないの?  ……やっぱり、騙していたってこと? 「…………ごめん」  最初から私は、ただの遊びだったんだ。 「帰ってください」  ショックで何も考えられない。 「愛美、」 「もう会いません」 「ちょっと待って、俺は」 「私結婚するんです」  これは最後の、精一杯の見栄だ。  私にだって明るい未来がある。  だから遊ばれたって大丈夫だって、そう強がりたかった。 「今度お見合いすることになって。そろそろ、将来のことも考えたいんです」  馬鹿みたい。  最初から最後まで、噓をついてばかりなんて。 「だから、遊びはもうおしまい」  最後の力を振り絞って微笑む。 「楽しい時間をありがとうございました」  どうか、お幸せに。 「………………わかった」  土屋さんは、脱力したように一点を見つめ小さく呟いた。  これでもう、本当におしまい。  玄関から出て行く彼の背中を目に焼きつけて、扉が閉まった瞬間に泣き崩れる。  私の初恋は、呆気なく終わってしまった。
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