歯並びに一目惚れ

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 新宿、村井商事ビル前。  ……勢いで、本当に来てしまった。  自分の行動力にゾッとして、同時に恋の威力を感じる。  それにしても出入りする人が多い。  18時、そろそろ終業する時間だと思う。  ……私だって、本当に彼に会えるなんて思ってない。  実際に会ったらどうしていいかわからないし。  ただ、会えるかもしれないという淡い期待を抱きながら行動すること自体が、私を高揚させる。  学生時代、好きな男子を待ち伏せする女子のことが羨ましくて仕方なかった。  今やっと、私もその喜びを味わえる。 「……あの人大丈夫?」 「なんか真っ赤になって震えてるけど」  私は今、恋をしている!  待ち伏せを開始して30分が経過。  土屋さんの姿はない。  空はすっかり暗くなり、日没の時間だ。  五月の爽やかな気候、暑さ寒さは感じないし、いつまでも土屋さんを待っていられそうだけど。  ……流石にこれ以上は常軌を逸してる。  彼のストーカーにはなりたくない。  恋する時間を味わえたことに満足して、踵を返したその時。 「土屋さん、どこ連れてってくれるんすか?」 「課長、太っ腹ー」  土屋さんというワードが響き、恐る恐る振り返る。  エントランスの前で、土屋さんが数人の男女に囲まれているのが見えた。  ……クリニック外でも会えた。  一目でも、その麗しい姿を。 「俺、焼き鳥がいいっす」 「私はもつ鍋ー」  社員さん達と飲みに行くのかな?  なんだか土屋さん、かなり慕われてるっぽい。  初めて見る彼の優しい笑顔に、胸が勢いよく弾む。  あの笑顔を、自分にも向けてもらえたら、どんなに幸せだろう。  そんなことを思って、うっとりとため息をついた。  次の瞬間。 「あっ……」  土屋さんがスーツのポケットからスマホを取り出した際に、何かがひらりと落ちた。  彼は気づかないのか、そのまま周りの人達と繁華街の方へ向かって歩いて行く。
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