3239人が本棚に入れています
本棚に追加
/43ページ
慌てて追いかけて、落ちていたものを拾った。
ダークグリーンのハンカチ。
大変だ。すぐに届けなきゃ。
彼の背中に向かって急ぐ。
だけど繁華街の中は人が多く、なかなか進めない。
どうしよう。今度クリニックで渡す?
でもそんなことをしたら、ストーカーがバレてしまう。
やっぱり今、偶然を装って渡さなきゃ。
────「お姉さん、お一人ですか?」
「え!?」
突然肩を叩かれ振り向くと、大きな看板を手にした若い男性がこちらに笑顔を向けている。
看板は煌びやかで、明らかに夜のお店だとわかった。
「お姉さん、キャバクラの仕事に興味あります?」
「はい!?」
「うち、時給良いよ。単発でもいいから入らない?」
なんてことだ。
生まれて初めて、夜のお店のスカウトを受けた。
「すみません、急いでますので」
「えー! 話だけでも聞いてよ。お姉さん、素質ある! びびっときた!」
「ちょっと、離してください」
なかなかにしつこい。
腕を掴まれた瞬間、だんだんと恐怖を感じ始める。
よく考えたら、こんな都会の繁華街に来たのも久しぶりで。
心細さに足が竦んだ。
良い大人なのに情けない。
このままじゃ、土屋さんのハンカチが。
「離して」
────「何してるんですか。彼女、怖がってますよ」
背後から響いた低い声に、心臓が止まりそうになる。
スカウトの男性の手が離れ、やっと解放された。
ゆっくりと振り仰ぐと、そこには。
「つ……」
……土屋さんだ。
こんな至近距離で、しかも目が合っている!
「あああああ……」
「大丈夫ですか?」
「はいいいいいい」
いつの間にかお店の男性は姿を消していた。
つまり、土屋さんと私の二人きり。(周囲はごった返しているけど)
「一人で歩いてちゃ危ないですよ」
「あ、ありがとうございました」
わざわざ戻って助けに来てくれたの?
なんて優しい人。
それに、助け方もスマートで、まるでヒーローみたい。
胸が苦しい。鼓動が速まって、うまく息ができない。
「本当に、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫です」
もしかして、今ハンカチを渡すチャンスじゃない?
勇気を出して、震える手でハンカチを差し出す。
「あの、これ……さっき、落とされてました」
土屋さんは目を丸くしてハンカチを見つめた。
……まさか、訝しがってる!?
ストーカーがバレてしまってる?
「もしかして、これを届ける為に追いかけてくれたんですか?」
「……ごめんなさい」
……終わった!
私の恋、終了!
気味悪がられて、もうクリニックにも来てくれないかも。
「いや……こちらこそ、お手間とらせてしまって」
「え……?」
「ありがとうございます」
柔らかい微笑みに、今度こそ一瞬心臓が止まった。
身体中の穴という穴から謎の光が放たれてしまう心境。
胸がリズミカルに弾み、苦しくて立っていられない。
ふらりとバランスを崩す私の肩を、咄嗟に支えてくれる土屋さん。
彼の手が触れて、身体がびくりと反応した。
「どこかで少し休みましょう。ハンカチのお礼もしたいですし」
「え!?」
「美味い店知ってます。和食とイタリアンどちらがお好きですか?」
「わ、わ、わ」
「和食ですね。行きましょう」
とんでもないことになってしまった。
彼に手を引かれ、気づいた時には路地裏の居酒屋に入店していた。
最初のコメントを投稿しよう!