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頬が冷えると思うと同時に、無邪気な侍女の声がした。
「わぁ!ほらほら彩王様!外をご覧下さいな!見えますか?あの白いものが」
冷気が部屋を渡り、天蓋の側まで吹き込んでくる。顔を窓に向けると白く低い雲間からちらちらと何かが落ちているのが見えた。
「あぁ……雪だ……」
この国の長い歴史の中で、雪が降った記録が幾度あっただろうか。侍女は娘の様にはしゃぎながら空へ手を伸ばして、その白い不思議な粒を取ろうとした。
「私、雪を見るのは初めてです。お待ちくださいな、今捕まえてきますから」
「いや、それは無理だ。雪は手のひらで溶けるから」
「あら、そうなんですか?彩王様はお詳しいのですね」
些か残念そうに言って侍女が窓から離れる。彩王は安堵し、同時に忘れかけていた痛みがしくしくと心を苛む感覚を覚えた。老いた病身から来るものではない。遠い昔に置いてきた、懐かしい悔恨の痛みだ。
「私も見たのは初めてだよ。陽梅、聞いてくれるか」
「勿論ですよ、彩王様」
椅子に腰かけた侍女から視線を逸らして天井を見上げると、白く淡い光の向こう側に一人の女性の姿を思い描いた。思い出の中の女性はかつての姿のまま、こちらを見て微笑んでいる。
彩王も微笑み返しながら、痩せさらばえた手を天井へ向けた。
「彼女に会ったのはもう随分昔の話だ。彼女は私の最初で最後の妻となったが、そのきっかけは雪だった……」
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