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私が体験したお話(祖父編)
せっかく震えるというお題を頂いたので、私が体験したお話を書いてみます。
怖くないと思われる方も、少しはゾッとして、震える方もいらっしゃるかもしれません。
文章はまるで同じではありませんが、以前書いたお話もあるかと思います。
まずは、私の父方の祖父のお話から。
私が小さい頃からよく見る夢の中に出てくる祖父は、私が3歳になる前に亡くなったので記憶には残っていないのです。
私が小さい頃によく上っていた家の近所の里山が舞台になります。
お稲荷さんが山の中腹にあるので、そこまでの急で一段がすごく高い階段を上がり、お稲荷さんにご挨拶した後に、里山の細い道を歩くのは私と姉にとってはただの楽しい遊びでした。
山の中には夏には色々な野の花が咲き、秋にはアケビがなったりするのでそういうものを見るのが楽しみでした。
夢の中では私は一人でその山道を歩きます。隣の山に向かう狭い尾根の所に写真でしか見た事の無い父方の祖父が白い着物を着て手を振っています。
『おぉ~~ぃぃ、お~ぃぃ‥』
距離が離れている筈なのに、祖父の顔はとても近くではっきり見えるのです。呼んでいるのかと思いますが、私はそれ以上進むことができません。
大抵は、自分の中で嫌なことがあった時の夜に見る夢でした。
中学生くらいからは見なくなりました。
孤独なことが多かった子供時代に迎えに来てくれていたのか、慰めに来てくれていたのか、自分の中で孤独を消化できる年齢には見なくなったので祖父の真意は分かりません。
あの声に呼ばれてついて行っていたなら今、ここにはいないのかもしれませんね。
それでは次に、母方の祖父のお話をしましょう。
私は何度も描いているように強豪校で卓球をしていました。休日などあるはずもない日々だったのに、何故か高校1年生の時、偶然にも私の誕生日に体育館の証明を変える工事が入ったか何かで練習が急に休みになりました。
その頃、あまり体調が良くなくなっていた母方の実家に、祖父に会いに行こうと、いつもはそんなことを言いださない母が珍しく私を誘いました。
小学校までは毎週土日に遊びに行っていたのに、中学校からは全くと言っていいほど遊びに行かなくなっており、お正月もボールの打ち初めや、卓球部のOB会を母のやっている小料理屋で毎年1日に行っていたので遊びに行っていませんでした。
久しぶりに遊びに行ったことで、あまり調子が良くなかったはずの祖父は大喜びをして、控えていたお酒まで飲みだしました。
夕方までいて、実家の洋品店が忙しくなる前に帰宅しました。
その晩、母の実家から、祖父が倒れて、救急搬送され、病院に行っている。危ないかもしれないという連絡が入りました。
母はその頃免許を持っていませんでしたので、タクシーで病院へ向かいました。私は父が帰ってくるかもしれなかったので家に残されました。
子供部屋のある二階で、母からの連絡を待っていた時でした。
『ドンッ!ドンッ!』
二階の窓をノックする音が聞こえたのです。
これまで何年もその部屋に住んでいましたが、窓がそんな風になるなんて言う事はありませんでした。風などではなく明らかにノックのように窓が鳴ったのです。
二階は15cm程の狭い足場がついている側と、全くの壁になっている側の2方向に窓がありました。
ノックされたのは、足場のない方の窓でした。
『あっ、お祖父ちゃんが来た。』
私はとっさにそう思い、障子を開け、外を確かめましたが、夜の闇が広がるばかりで何も見えませんでした。
その直後、電話が鳴り、
「お祖父ちゃん駄目だったわ。」
と、母から、祖父が亡くなったことを聞かされました。
『やっぱり、あれはお祖父ちゃんだったんだ。』
私は確信しました。
何故、亡くなると聞く前にあのノックがお祖父ちゃんだと思ったのかはわかりません。
でも、きっと、祖父が私の事を訪ねてくれたのだと、今でも思っています。
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