カルテ2『魑魅魍魎』 小林さん

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カルテ2『魑魅魍魎』 小林さん

『小林さん、小林司さん、診察室にお入りください』 慈恩さんの声が院内に響く。私は貸し出された看護服を着て、緊張しながら慈恩さんの後ろで待っていた。少し開けているスライド式のドアから入ってきたのは、虚ろな目をした女性。彼女の背中には、『魑魅魍魎』と表現するしかない、様々な動物の霊と、何人かの子供の霊、そして一人の男の霊が憑りついていた。私の悲鳴は喉に張り付いて小さな呻きになった。 「小林さん、どのようなことがつらいのでしょうか?」 「・・・あの、ここに来るまでに、もう十件は心療内科や精神科にかかったんですけど、薬を貰って飲んでも全然症状が改善されなくて」 「『統合失調症』と判断されているんですね」 「『双極性障害』ではないかとも言われました。そっちの薬は飲んでいません」 「一番つらいのは、幻覚、幻聴ですか? それとも身体の怠さですか? 眠れないことですか?」 「・・・幻覚と、幻聴です」 「どんなものが見えますか? どんなことが聞こえますか?」 「・・・見える、のは、男の人です。なんだか監視されているような気分になります。怖いし、そわそわして落ち着かないです。それで夜も眠れない。聞こえるのは、ラジオのノイズ、というか、テレビのチャンネルをガチャガチャかえた時のような、音声や音楽が複雑に入り混じったような、感じです」 ふ、と視線を感じて、私はドアの方を見た。 菖蒲さんが、何の感情もなく、小林さんを見ている。 すぐにどこかへ行ってしまった。 一時間程、慈恩さんと小林さんのやりとりが続いた。 「・・・お薬を出しておきますね。二週間、様子を見ましょう」 「ありがとうございます」 「処方箋を受け取ってお会計を済ませたら、隣の家にどうぞ」 「隣?」 「薬局も兼ねていますので。かかりつけの薬局があるのならそちらでも構いません。では、お大事に。真樹君、お見送りを」 「は、はい!」 突然『真樹君』だなんて言われて吃驚した。だって私は『ただ突っ立ってここで見ていろ』と慈恩さんに命令されていたのだから。診察室の外に出て、私は心臓を冷えた手で鷲掴みにされたような気持ちになった。 菖蒲さんが廊下の奥に居る。 確かにそこに存在しているはずなのに、温度も色彩もないような、生きていないような菖蒲さんが、私達を見つめていたのだ。私は合点がいった。私の初診の時もこうやって私を観察していたのだろう。『気配を消す』とはこういうことなのかもしれない。私は小林さんを待合室まで送ると、さり、さり、という音がすぐ隣で聞こえて思わず、 「ひゃ!?」 と間抜けな声を出してしまった。菖蒲さんと、いつの間にか克美さんまで私の隣に居た。 「急を要しますね。適正は無さそうですが・・・」 「だから真樹さんなんだよ」 二人にしか通じない会話をしている。 「小林さん、真樹さん、庭に出ましょう」 「えっ!? あの、貴方はどちら様で・・・?」 小林さんは菖蒲さんの右腕だったはずの場所を見て困惑を極めている。 「院長の菖蒲です」 「ええ、院長・・・?」 「克美さん、処方箋を雪弥さんに」 「はい」 克美さんは小林さんに出すはずの処方箋を持って、診療所を出ていく。 「さ、真樹さん。小林さんを庭に案内してください」 「は、はい。小林さん、こちらです」 小林さんは警戒していた。誰だって警戒するだろう。しかしそれでも、私と菖蒲さんに着いてきて、庭に出た。
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