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カルテ2『魑魅魍魎』 辛い味噌汁
「小林さん、真樹さん、向かい合って立ってください」
菖蒲さんに言われた通り、私達は向かい合って立つ。
「真樹さん、全力で、どうぞ」
「ええっ!?」
「全力で、どうぞ」
菖蒲さんから、有無を言わさぬ圧を感じる。
「こ、小林さん、し、失礼しますッ!!」
「へ?」
私は右手を高く振り上げ、人生で初めて人に暴力を振るった。
パァン!!
物凄い破裂音。自分がこんなことをしているなんて信じられない。
流れ込んでくるのは、小林さんの記憶。
小林さんは、優し過ぎた。
車に轢かれた野良猫のお墓を自宅の裏に作ったのが始まりだった。動物達の霊が優しい小林さんに引き寄せられ、やがて小さな子供の霊まで引き寄せられた。小林さんに憑りついている男の霊は、優しい小林さんを精神的に虐めることで性的な欲求を満たしている、一種のストーカーのようなものだった。
「あうっ・・・? おへっ・・・?」
「ご、ごめんなざい、小林ざん・・・」
私は泣いてしまった。小林さんが優し過ぎたことと、人を叩いた自分に吃驚して、泣いてしまった。
「さ、小林さん、お帰りください。眠れないようならお薬をちゃんと飲んでくださいね。真樹さん、戻りますよ」
「は、はい・・・」
診療所に戻る途中、菖蒲さんがハンカチを渡してくれた。受け取ったあとに、雪弥さんに捻り殺されたらどうしよう、と思った。
「どうだった?」
慈恩さんが待合室で出迎える。
「慈恩さん、今までで一番かもしれません」
菖蒲さんが答える。
「ほう・・・」
ぷるるるるるるる。
「・・・はい、ソウマ診療所です」
慈恩さんが電話に出ると、菖蒲さんは診察所のドアを開け、家の方に戻っていった。
そういえば。
菖蒲さんは、慈恩さんが人間の時は『慈恩さん』と呼ぶが、猫の時は『慈恩』と呼ぶ。その違いはなんなんだろう。謎だ。
その日の夕食。
「おおー、真樹さん、うまくいったんや! おめでとうなあ!」
「あ、ありがとう・・・?」
碧君がニコニコしながら言う。
「魑魅魍魎を一薙ぎだったよ」
「すげえなあ! あ、父ちゃん、バイト先の店長が青唐くれる言うてたわ。また辛い味噌汁作ってほしい!」
「あたしも!」
「私も・・・」
「わかりました」
克美さんがにこりと笑う。
「辛い味噌汁?」
どんなものだろう。飲んだことがない。
「真樹さんは辛いものはお好きですか?」
「大好きです!」
「青唐の味噌汁、美味しいですよ。土鍋で炊いたご飯と、甘くて塩っ気のある沢庵の献立になります」
「わあ・・・!」
「真樹さんも楽しみにしてくださいね」
「はい!」
美味しいごはんはやる気の源だ。
「真樹さん」
菖蒲さんが私の名を呼ぶ。
「はいっ」
「『恐怖の味噌汁』の話を知っていますか?」
「あっ、『今日、麩の味噌汁』ってお話ですか?」
ぴた、と皆が固まった。
しまった。
やってしまった。
「あ、あのぉう・・・」
「・・・なかなかやりますね」
菖蒲さんは、いつもの真顔でそう言う。
「アホが」
「ヒェ・・・」
雪弥さんに睨まれて、私は情けない声を出すのであった。
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