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カルテ3『過去盗観』 潮
何故か、克美さんと目が合うと、潮の香りがするようになった。
「真樹さん、この書類を先生にお願いします」
「はい」
そうっと、指を伸ばして触れてみる。
ぶわあっ。
目の前に海が広がる。
「何者です」
槍を構えた全裸の克美さん。私は思わず手で顔を覆い、ちら、と指の隙間から覗いた。いつもの温和で柔らかい笑みを浮かべている克美さんではなく、鋭い。とても、怖い。
「偉い馬鹿共から依頼を受けた、ただの人間」
「嘘を。人ならざる者なのは見ればわかります」
昔から、この口調らしい。菖蒲さんの足元には猫の慈恩さんが座っている。
「なあ、口裏を合わせようぜ」
「取り引きに応じるとでも?」
「落ち着きなよ。二人掛かりでも貴方に敵わないことくらい見ればわかる。無駄死にはご免なんでね。復讐の手引きをしよう。そのかわり、見逃してほしい」
「もう一度。取引に応じるとでも?」
慈恩さんが『シャアーッ』と威嚇する。
「慈恩、やめなさい」
菖蒲さんにそう言われると、ゆっくりと、菖蒲さんを守るように前に出て、座る。
「人魚の肉を喰らっても不老不死になどなれないのに、人間にはそれがわからない。それどころか、美しい人魚達を弄ぶ愚か者まで。海の王よ、海の『ことわり』では陸では生きていけないんだ。だから私が手引きを。それが済んだら、生き残った人魚達と海に帰りなさい。海の底に居れば人間も追えはしないよ」
克美さんは菖蒲さんを真っ直ぐに見つめたまま、首を横に振った。
「貴様らが海を汚さなければこんなことにはならなかったッ」
「人魚の血の膜で海を汚したいのなら、そのままそこで槍を振りなさい。明日の朝まで、近くの村に居る。私達はほとぼりが冷めるまで身を隠すだけだ。時間は有り余る程あるのでね」
菖蒲さんが背を向ける。潮風に髪が靡く。
「待てッ」
克美さんの声に、菖蒲さんは振り返る。
「・・・私が不在になれば、人魚達を守る者が居なくなる」
「心配要りません」
しゅるり、と慈恩さんが人間の姿になった。
「貴方も」
菖蒲さんは空中に右手を翳し、なにかを掴み、振るような仕草をする。巨大な藍色の布が現れた。
「一点を穿つ槍ではなく、線を斬る刀にしなさい」
そう言って、布と、自分が持っている刀を克美さんに向かって放り投げる。克美さんが空中で刀を捉えると、菖蒲さんはにやりと笑った。
「・・・貴方、名前は?」
「知る必要は無い。お互いに。そうでしょう?」
「私が貴方を裏切れば、その男が人魚達を殺す」
「逆も然りだ」
「いいでしょう。精々、『押し潰されないように』」
二人は歩き出した。
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