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カルテ4『子供達』 一角の鯨
力が暴走している。こんなことを言ったら格好つけていると思われるだろうか。でも、本当に力が暴走していた。生きものだけでなく、無機物を触っても、私は過去を盗み観ることができるようになってしまった。どうやら『観よう』と思っていても集中していないと観られない時があり、逆に、ふ、と触れただけなのに観てしまうこともあった。気付いているのは菖蒲さんだけ。
碧君に借りた漫画を読んでいたら、集中し過ぎたのかもしれない。私は海の中に居た。海は、怖い。膨大な海水。光が潰える底なし沼。そこに私は、くらげのように、ただ漂っていた。
大きな鯨が泳いでいる。
直感で克美さんだとわかった。小さい頃、母に連れて行ってもらった水族館で見た鯨より、何倍も何倍も大きい。人魚達を守っていた海の王様。その傍を泳ぐ小さな鯨が一匹。直感で碧君だとわかった。碧君には、角が生えていた。
いっかく、くじら?
すぐに違うと、また直感でわかった。母親の菖蒲さんの遺伝子が碧君に角を与えたのだ。碧君の角が身体に当たっても克美さんは平気そうにしている。分厚い皮と脂肪のおかげだとわかった。
碧君は、凄く凄く楽しいと感じていた。父親を独占できて嬉しいのだ。克美さんが喉を鳴らすと碧君も喉を鳴らし、陸に近付いていく。私の視線は陸地で二人を待つ菖蒲さん達のものにかわっていった。
「ただいまーっ!」
一歳くらいの、人間の赤ちゃん。碧君だ。
「ただいま戻りました」
海水も滴るいい男、なんて考えてしまった。
「楽しかったかい?」
「うん!」
菖蒲さんの右目と右腕は、無い。雪弥さんが差す日傘の下で、菖蒲さんは聖母の微笑みをして濡れた碧君の髪をぽんぽんと撫でる。
「あのな! おさかないっぱいおってな! そんでな!」
そこからは聞き取れなかった。子供はなにを喋っているのか全くわからない。しかし母親の菖蒲さんには聞き取れているらしく、的確に返事をしては碧君を喜ばせていた。
「おとうちゃんかっこよかったねん!」
碧君はそう話を締めくくり、今とかわらない、人懐っこい笑みを浮かべた。
「おかあちゃん、だっこ」
「碧、妹ちゃんが吃驚するから、そーっとだよ」
「うん」
菖蒲さんのお腹の中に、桃さんがいるらしい。碧君は菖蒲さんに抱き着くと、安心して、そして運動して疲れて眠たくなってしまったのか、とろとろと眠りに落ちていった。慈恩さんが黙って抱き上げる。
「ありがとうございます」
克美さんの礼に慈恩さんは応えず、歩き始める。菖蒲さんも立ち上がり、そのあとに続いた。左足は引き摺っていなかった。
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