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カルテ4『子供達』 糸使い
今朝、桃さんは遅刻しそうになり、慌てて家を出た結果、お弁当を忘れてしまった。
「うーん、困りましたねえ。真樹さん、届けに行ってもらえますか?」
「はい!」
可愛いお弁当箱と包みだ。克美さんが持っていると凄く小さく見えるし、なんというか、違和感が凄い。私は桃さんの中学校の場所を教えてもらい、車で向かった。学校にしてはなんだか洒落ている。お金持ちが通う学校なのだろうか。守衛まで居る。守衛に話しかけて事情を伝えると、数分で慌てた様子の桃さんが駆け寄ってきた。
「あ、あれ、ママじゃないんだ・・・」
桃さんはちょっとだけしょんぼりした。
「ごめんね真樹さん。お弁当、届けてくれてありがとう!」
「いえいえ、どういたしまして。いつもは菖蒲さんが届けにくるの?」
「あ、うん・・・。電車と歩きでね。あとでパパに凄く怒られるんだよね。だから真樹さんで安心したよ。いや、安心しちゃいけないんだけどさあ・・・」
菖蒲さん、足を引き摺ってまでお弁当を届けにくるのか。
「ほら、慈恩おじさんは医者だから抜けられないでしょ? 克美おじさんとパパは、抜けられる時もあるけど、そうじゃないから・・・」
「あは、また顔に書いてた?」
「うん。『菖蒲さん、足を引き摺ってまでお弁当届けるんだな』ってね。ママ、表情筋は死んでるけど、お茶目で優しくて最高なんだけどなー。パパがね・・・」
桃さんはそう言って肩を竦めた。守衛が、コホン、と咳払いをする。
「あっ、もう戻るね! 真樹さん、本当にありがとう!」
「いえいえ、って、桃さん! なにか落とし、」
礼を言いながら戻ろうとした桃さんの制服のポケットからなにかが滑り落ち、それを拾った瞬間、私は耳を塞ぎたくなった。幼い子供が泣き叫ぶ声。
「ママぁああああ!!」
幼い桃さん。一歳くらいだろうか。
「あらあら、また『糸が出ちゃったの』」
桃さんの両手から、絹糸のようなものが溢れ出ている。
「ぎもぢわるいよぉ! どっでよぉ!」
「ごめんね、桃。じっとしててね」
菖蒲さんが左手の指で、桃さんの小さな指を一本一本包み、温めるように少し擦る。そうすると、糸は不思議と消えていった。母親の菖蒲さんの遺伝子が桃さんの身体に与えた神秘の糸だが、桃さんはそれが怖くて、気持ち悪くて、まだ受け入れられなかった。
「またか?」
「またです」
買い出しに行っていたらしい雪弥さんが戻ってきて、桃さんを見て顔を顰める。実の娘にしていい表情ではないので、私はちょっとムッとしてしまった。
「ママぁああああ!!」
「どうしたのどうしたの」
「パパ、ごわいいいい!!」
そりゃそうだ。
「桃、パパ、怖くないよ。桃のおやつを買いに行ってたんだよ」
「おやづ・・・?」
「おやつだよ。お椅子に座ってママと一緒に食べようね」
「うん!」
雪弥さんが静かに溜息を吐いた。実の娘にしていい態度ではないので、私はかなりイライラしてしまった。菖蒲さんを独占したいからって、こんなことをしていちゃ、そりゃ大きくなった今の桃さんに嫌われるわけだ。幼稚だぞ、雪弥。
「ねー、ママ、いもうとちゃん、いつうまれるの?」
「うーん、もうちょっと先かなあ」
「もも、おねえちゃんになるんだよね?」
「そうだよ。妹ちゃんに沢山優しくしてあげてね」
「えへ・・・。うん!」
「あっ、ヤバッ!! 携帯!!」
今の桃さんの声で、私は現実に戻った。守衛が再びコホンと咳をする。
「真樹さん、なんにも見てないよねっ? ねっ?」
桃さんは私が拾い上げた携帯をひったくるように受け取った。
「うん! なんにも見てない!」
恐らく、携帯は校則違反なのだろう。取り上げられたら保護者に連絡が行って、菖蒲さんが怒る、いや叱るかもしれない。それより雪弥さんが怒るかもしれないので、私は桃さんの味方をした。
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