カルテ5『克美さん』 土下座

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カルテ5『克美さん』 土下座

「あたし達、もう帰るから」 「えーっ? 帰っちゃうのぉ?」 男達がケラケラ笑う。 「不法侵入したんだから慰謝料払ってから帰って?」 「馬鹿は移るからお喋りしちゃ駄目ってママに言われてるの。痛い目に遭いたくないなら大人しく退きなさい」 桃さんがそう言うと、男達の目の色がかわった。 「ぷっ、ママだって! メスガキちゃん、あんま調子乗ると殺しちゃうよぉ?」 「デカいおっさん連れてるからっていい気になってンの? 俺、ボクシングやってんだよねー。鍛えててもマジの格闘技には勝てないから。シュッシュッ!」 男が『シュッシュッ』と言いながらシャドーボクシングを始める。確かに素人ではなさそうだが、発言と相まってその姿はかなり滑稽だ。 「ちょっと可愛いからって調子乗ってるゥん? 謝るなら今のうちだよォん?」 バットを持った男が、床をコンコンと叩いた。桃さんと克美さんはなにも言わない。私は呆れ半分怖いの半分でなにも言えない。 「あ? なんで黙ってんの? おいなんとか言えやァ!!」 男が桃さんの髪に手を伸ばそうとした。それを克美さんが素早く掴む。ゴギ、と嫌な音がした。あっさりと、克美さんは男の手首の骨を折ってしまった。手首が変な方向に向いて、指が蜘蛛の足のようになり、男は絶叫しのたうつ。 「なっ!? なにしてンだてめェ!!」 ボクシングの男が克美さんの懐に潜り込み、腹を殴る。 「かっ、克美さ・・・、」 克美さんはびくともしない。それどころか、男の顎を掴み上げ、ブン、と放り投げる。 「はが、はが・・・」 男が奇妙な声を上げた。起き上がった男の口はだらんと開いていて、顎がゆらゆらと揺れていた。 「て、テメエッ!!」 バットの男が容赦なく克美さんの頭をバットで殴る。私は絶句した。バットが折れた。克美さんはびくともしないどころか、普段からは想像もできないような冷たい瞳で男を見下ろしていた。手首を折られた男も、顎の骨を外された男も、殴りかかった本人である男でさえも、ぽかんとしている。 「お前達、私の娘に『メスガキ』、『殺す』と言ったな?」 みしみしみし、と音がした。なんの音か信じられなかった。克美さんのこめかみに、首筋に、腕の筋肉に、血管が盛り上がる音。桃さんが私の服を掴んで、そっと、後ろに下がらせる。 「クソ漏らしながら土下座するまで躾けてあげた方がよさそうですねえ・・・」 初めて、克美さんの口から汚い言葉を聞いた。 「おじさんっ! あたし達、先に出て待ってます!」 「はい」 「真樹さん、行くよっ」 「ははははいっ!」 小走りで克美さんの横を走り抜け、車を停めてある場所まで行く。私も桃さんもゼイゼイと荒い息を吐いた。 「ヤバい、ちょっと怒ってたね」 「ちょ、ちょっと!? アレで??」 「三割くらい・・・?」 「あの、桃さんが焼き魚で怒られた時は・・・?」 「一割かな?」 「じゅ、十、怒ったら、一体どんな・・・」 「真樹さん、ぜえーったいに、誰にも言っちゃ駄目だよ」 「う、うん・・・」 「慈恩おじさんから聞いた話なんだけど、昔、ママに惚れてしつこくしてきたストーカーが居たんだって。ママと克美おじさんがベビーカーに翠を乗せて散歩してた時を狙って、包丁持って『俺と付き合ってくれないなら子供を殺す』って言ったらしいの。他にも、何故かママに対して侮辱的なことを色々言ったんだって。そしたら克美おじさん、ストーカーのこと、ボコボコにして、近所の人がストーカーの声を聞いてたし、ママの目と腕のこともあるし、赤ちゃんの翠も居たしで、克美おじさんは警察から注意を受けるだけで済んだんだけど、そのあと・・・」 「そ、そのあと?」 「・・・そのあと、克美おじさん、二週間くらい、居なくなったの」 「えっ・・・!?」 「克美おじさんが戻ってきたのと同時に、ストーカーは行方不明になって、今も見つかってない。ストーカーの家族もどこかへ引っ越していっちゃった」 沈黙が流れる。 「碧にぃも翠も私も、『外でママの話をしちゃいけない』って言われてたんだけど、皆、こっそり友達に自慢してたの。『美人で優しくて面白いママだよ』って。でも、その話を聞いて、皆、自慢するのやめた」 桃さんはぎこちない笑みを作った。 「だからね、真樹さん。克美おじさんは絶対に怒らせちゃいけないし、ママのことは外で喋っちゃ駄目。わかった?」 「わ、わかりました・・・」 それから三十分。 「すみません、ちょっと怒っちゃいました」 と言って、克美さんは帰ってきた。少しだけ嫌なにおいがした。 血? 小便? 吐瀉物? ・・・クソのにおい? わからないけれど、わかったら怖いので、黙っておいた。 「さ、帰りましょう」
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