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   歌舞伎町一丁目を横切るようにして職安通りに出ると、すぐに上海料理を出す中華料理屋『来福』があり、その隣に中華食材を扱う店があった。 「おや、かっちゃん」  福々しい体型をした中年の男が、にこやかに声をかけてきた。こう見えても加津佐より年下で、隣の中華料理屋の店主の息子である。 「(りゅう)さん、いつもの、ある? 」  すると劉と呼ばれた店主は、大げさに頭を抱えて唸って見せた。 「ごめんねぇ、かっちゃん。今、中国からの食材、本当に入ってこないの。最近日本のヤクザに中国のマフィアがドラッグを流したせいで、当局が税関を締め付けているのよ。次に入るのが来週半ばかな」 「そっか……」  そうなると今日は仕込みができないか……と思いながら他の食材を物色していると、劉が思い出したように手を叩いた。 「そういえば、かっちゃんのカレシ、見たよ」 「静馬さん? 」 「そうそう、しーちゃん」  誰でもちゃんづけで呼ぶこの店主は、この辺りを管轄とする生安課の課長である静馬のこともよく知っている。 「あんな綺麗な人、滅多にいないからねぇ。でも、難しい顔して歩いていたよ、誰かを尾行しているようだったなぁ。刑事さんって、危険なんでしょ? 」 「刑事は刑事でも、静馬さんは生活安全課だよ、危険なんて……」 「うちの食材が入ってこないのと、関係あるかもよ」 「え……」 「しーちゃんが追っているのは、多分ここいらで若い子達にクスリをばら撒いている半グレだよ。この前も男の子がすぐそこの路地で泡吹いて転がってた。この街に後から来たくせに、我々に迷惑をかける。ゴミだよ、全く」  吐き捨てるように言いながら、劉は眉根を寄せた。 「半年前にしーちゃんが新宿東署に来てから、随分この辺りの巡回も丁寧になったよ、神様だね。老酒が入ったら、真っ先に知らせるからね」 「うん……ありがとう」  お通し用に使えそうな乾物をいくつか贖い、加津佐は店を出た。  裏世界のことなら、加津佐にもわかる。  何せ、13の頃、事業に失敗してヤクザの金に手を出した両親に借金のカタに叩き売られたのだから。  あぶく銭を持て余した汚い金持ち連中相手の地下クラブで、生贄のように毎日晒し者にされた。  ある日は鞭で打たれ、ある日は吊るされ……人間の醜い欲望の捌け口として、文字通り、骨までしゃぶられたのだ。    加津佐は雑踏の中に立ち竦んだ。  あの闇は、こうして誰もが笑って太陽の下を歩いているこの界隈の、すぐ近くに潜んでいる。地面を剥がせばそこにある、ビルとビルの合間にある、こうしているすぐ後ろにも……。 「静馬さん……」  静馬もまた、人間の闇を知る男だ。あの美しい顔の下に、いくつもの悲しみの記憶を抱いていることを加津佐は知っている。  無事に帰ってきてほしい……加津佐は花園神社に立ち寄り、静馬の無事を祈って手を合わせたのだった。        
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