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どれくらいそうしていたのか。
エオリアは子爵の肩に頭を預けて静かに泣いた。
子爵は棒立ちのまま、彼女の涙が止まるのを待っていた。
涙はとうに乾いている。
たぶん子爵もそれに気づいている。
夫が居なくなってから初めて泣いた。
これがどういう種類の涙なのか、冷静になって考えてみたら単純な答えだった。そしたら自然に涙も止まった。
「…わたしってね……小さな頃からかわいい、きれいと言われて来て…それだけで自分には価値があるのだと思っていたの。…だけど違ったのね…」
「………」
「わたしには、女性としての魅力がないんだわ…」
2年も続いた白い結婚。
自分が幼いからだと決め付けていたが、夫の恋人だったキャロルは15歳で夫と結ばれていたのだ。
恐らくその事実が、エオリアの心に大きな打撃を与えた。
屋敷の使用人たちが、陰で囁く声を聞いたことがある。後継ぎが出来ないのは、夫婦のどちらかに何か問題があるのではないかと。
夫が女性を愛せない体質ならそれでもいいと、その可能性に縋った時期もあったのだ。
だけど夫には子どもがいた。
エオリアは15歳の時、夫と結婚したのだ。
あの時、あの少年は…10歳!!
はっ!とエオリアは顔を上げ、子爵を見た。
「…あの人から見れば、わたしは子どものようなもの?そうよ!あの子と同じ子どもなのよ!あの人はわたしを自分の娘としか見ていなかっ…」
エオリアの言葉は途切れ子爵の唇で塞がれた。すぐに唇は離され見つめ合う。
「…あなたほど魅力的な女性を、僕は知らない…」
子爵の囁きと、再び始まった口づけは、エオリアを酔わせるほどに甘かった。
「ねーえ!!」
いつの間にか2階から降りて来ていたキャロルが、手を叩きながら叫んだ。
「見なかったことにしてあげるから、もう帰ってくれない?それと、これも持って行ってよ。あの人に返して欲しいの」
彼女は重そうな鞄を音を立てて机の上に乗せた。
「それは?」
子爵が問うと、キャロルはフンと鼻を鳴らす。
「お金よ。あの人すっごい大金持って来たんだから。稼いでるのねって、ありがたく頂いたけど、アタシ、ゴタゴタに巻き込まれたくないから返すわ」
「それはいつの話ですか?」
エオリアが問うと彼女は1ヵ月前だと答えた。
「いや、これは持って行けない。局長は居なくなって、僕たちは彼を探している」
「はあ?」
キャロルが信じられないといった顔で眉を顰める。
「突然いなくなったんだ。誰にも何も言わずにね」
子爵の言葉に、事態の深刻さがわかったのか、キャロルの喉が鳴る。
「ああ、なるほどそういうこと。それでアタシを疑ってここへ来たって訳ね。それじゃあ、ますますこのお金は受け取れないわよ。ねぇ、アタシたち、ここから逃げた方がいい?」
「無関係なら堂々としていればいい」
「アタシは息子とふたりで平穏に暮らせればそれでいいのよ。ただそれだけ」
キャロルは黒い鞄をスークレイ子爵に突き出した。しかし子爵は受け取らない。
「大丈夫だ。局長の居場所はもう突き止めてある」
「なんだ、驚かさないでよ」
「お金は置いて行くし、僕たちはここへは来なかった。それでいいだろ?」
「……わかったわ」
キャロルはチラリとエオリアの顔を見るなり「さようなら」と、ひと言だけ言って鞄を抱えて2階へ上がって行った。
「帰ろう」
子爵が優しくエオリアの背中を押して戸口へと促すが、彼女の足は固まったまま動かない。
「夫の居場所を突き止めたというのは…本当?」
「………」
「嘘なの?違うわね……本当に見つけたのね?」
「………」
「いつ?どうして教えてくださらなかったの?」
「………」
子爵がエオリアをきつく抱きしめた。
「…このまま攫ってしまおうか…」
彼は苦しげな声で小さく呟いた。
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