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こちらにはまだ民衆は来ていない。
そう思って油断していた。
「おい、そこの坊主、何を持っている? こちらに寄こせ、歯向かえば殺すぞ」
野太い声が、穂澄を呼び止める。
振り返ると錆びた鍬を持った大柄な男が、穂澄に近づいてきていた。
満開の桜の古木の幹に、穂澄はじりじりと追い詰められて背中が当たった。これ以上、退路はない。
大きな手が、穂澄の抱えている仏具・経巻に伸びてきて、無理やり取り上げる。八寸の桐箱だけしか残らなくても、これを奪われてはならない。穂澄は必死で桐箱を胸に抱きこんで、桜の古木の根元に身を丸めてうずくまった。
「強情な坊主だ。素直に寄こせ」
大柄な男が濁声で怒鳴ると、足元で丸まっている穂澄の、左肩に錆びた鍬を打ちおろした。
激痛が走り呼吸が止まる。
熱い血飛沫が桜の根元にかかり、血だまりを作り出す。
それでも穂澄は、桐箱を体でかばっていた。
穂澄の血が染みて地面に吸い込まれ、桜の根元が黒くなっていく。
大柄の男が今度こそ、穂澄を殺そうと鍬を振り上げたとき、猛烈な強風が吹きつけ花々を揺らしながら、花びらがあたりを覆うほど散った。
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