更科と森之助 ~姫と勇者の悲恋物語~

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序章  時は戦国時代 1504年 初夏  信濃 楽巌寺城(らくがんじじょう)内 奥座敷牢にて 「父上、何故、森之助(もりのすけ)殿を罪人として武田方に身柄を渡さねばならぬですか?」 牢の中から更科(さらしな)が泣き叫びながら聞いた。 楽巌寺雅方(まさかた)雅方(通称:右馬之助(うまのすけ))は、17歳になったばかりの娘の泣き顔を見ながら、早くに亡くした妻に良く似てきたと、格子越しに、その美しい頬を、涙で濡れた頬を両手で抑えた。 この一人娘の更科の美しさは信州一と謳われ、あまたの縁談話があったが、この娘が愛した相手は、かつて敵国であった隣国、相木(あいき)領からの人質の身であった。 「すまぬ。何も出来ぬこの父を許してくれ」 「見捨てるのですか? 何もせずに、戦いもせずに。(さき)(いくさ)で、この城を、この村を守ってくれた勇者を。それが、この国の仕打ちなのですか?あのような、類いまれな武力を持つ者はこの信濃に二人とおるまいと父上も言っておられたでは無いですか?」 「この国を守る為だ。この村人を守る為だ」 「誰が、守ってくれるのですか? この国を、村人を守る為に、命を懸けて戦った者を見放すような国を、誰が、今後守ってくれると言うのですか?」 右馬之助は返す言葉がなかった。 「人こそが、深い絆で結ばれた人こそが、どんな砦よりも勝るのだと言われていたのは父上様では無いですか? その砦を崩して、この国を守れましょうか?」 右馬之助は信濃の戦国大名・村上義清(むらかみ よしきよ)の筆頭家臣として国を守らねばならなかった。娘婿一人を差し出す事で、大国同士の戦を避ける事が出来るのであれば、致し方が無い事であった。 「御屋形様(おやかたさま)の下知ですか?」 「そうだ」 「御屋形様の今のやり方では信濃はひとつに出来ぬ、と父上も言っておられたではないですか」 「……森之助の自らの意思でもある」 「森之助殿の意思?」 「この国を、村人を、更科、お主とそして生まれてくるその子を守る為だと」 「私とこの子を…」更科が大きくなってきたお腹を押さえた。 「今、武田と戦っても勝てぬ。自らの命ひとつで戦を避けられるのであればと」 今、こうして更科が座敷牢に入れられているのも、更科の気性の激しさを知っているが故、罪人として引き渡される夫・森之助を追わぬよう牢に閉じ込めているのである。 「先の海ノ口の戦いでは、武田に勝ったではないですか?」 「相木(あいき)市兵衛(いちべえ)殿がおったからだ。その市兵衛殿が武田に寝返った事で、信濃の勢力は大きく変わったのだ。今の我等村上の兵力では勝てぬ」 「その裏切った父親が今度は罪人として息子をよこせと? 何故にそこまで森之助殿を苦しめるのじゃ。いったい何を考えておるのじゃ。自らの手柄のみ考えておる輩ですか? 市兵衛殿は」 「いや、それは違う。市兵衛殿はこの佐久の、いやこの信濃の平和を一番に考えておられたお方だ」 「なれば、何故ゆえ?」 「それは、わからぬ。だが理由が必ずあるはず。市兵衛殿が森之助を必ず助けてくれよう」 「我が子を人質に出しておいて、敵方に寝返った者など、到底信じられませぬ」 「……」右馬之助 戦国時代、多くの跡目争いで、血を分けた実の親子、兄弟で殺しあっていた。家族でさえ、信じる事が出来ない時代であった。 「それに、森之助殿が、命ほしさに敵方に寝返るとお思いか? 我らを敵に回す事が出来るとお思いか? 父上は? 出来ぬと思うておるから、こうして、私を牢に閉じ込めておるのではありませぬか」 更科の泣き叫ぶ声が一晩中、城内に響いた。 そして、三日後、その更科の姿が城から消えた。                             序章 完
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