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第8章
「実は加奈、僕はもう長くないんだよ」
「やっぱり」
「やっぱりって?」
「なんとなくそんな気がしていたんです」
「そうなんだ。君にはそれがわかっていたんだ」
「嘘かと思うかもしれませんが」
「嘘だなんて思っていやしないよ」
「ご病気ですか?」
「うん」
「あとどれくらいなんですか?」
「はっきり聞くね」
「あ、ごめんなさい。私、なんか人の死に慣れっこになってしまったみたいで」
「人の死に慣れる? そんなことあるのかな」
「他の人は知りませんが、私はなんかそういうことが普通になってしまったんです」
「死が普通のこと?」
「はい。だって人は誰だって死ぬんです。死ぬことが普通なんです。もし死なない人がいたらその人の方が普通じゃないんですから」
「確かにそうだね」
「ですから生から死への移行は普通のことなんです」
「うん」
「でも藤本さんがそうではないとおっしゃるのならそれはそれで構いませんが」
「あと半年くらいかな。10か月と宣告されてから病院には行かなくなって、それから計算するとそれくらいだと思う」
「そうなんですね」
「それで残りの人生を歌を歌うことにしたんだよ」
「私と一緒に?」
「うん」
「どうして?」
「何かおかしい?」
「おかしくはありませんが、どうして私なんかと」
「どうしてだろうね。きっと加奈の歌に惚れたからだろうね」
「私の歌に?」
「うん」
「私の歌と藤本さんの命が同価値ということですか?」
「そうなるのかな」
「そんなのもったいなくないですか?」
「どうして?」
「だって私の歌なんかと藤本さんの命が・・・・・・」
「さっきの加奈の話を聞いてね、わかったんだ。加奈の歌が悲しい理由が」
「え?」
「それは過去を振り切ろうとする心が歌ってる歌だからさ」
「藤本さんはそう思ったんですね」
「うん。そして振り切ろうとしても振り切れない過去にとらわれている悲しさが満ちているってね」
「どうしてそう思ったんですか?」
「僕も同じだからさ。だから加奈の歌に同調して、そして惚れて、そして最期はその歌を聴きながら死にたいと思ったのだろうと思ったんだ」
「歌を聴きながら死ぬ。まさに鎮魂歌ですね」
「うん。でもなんか綺麗過ぎる?」
「いいえ、そういうこともありだと思います」
「もっと世俗的な答えを求めていた? 例えばこの世にやり残したことをしたいとか」
「それでも良かったと思います」
「確かに僕も医者に余命を宣告されて世間並みにそういうことをあれこれ考えたのは確かだよ」
「どういうことを考えたのですか?」
「自分がこの世に生きた足跡は何だったのかと」
「答えは出たのですか?」
「加奈、僕の子供を生んでくれないか?」
「え!」
「僕の子供を加奈に生んで欲しいんだ」
「え・・・・・・」
僕は加奈にそう言った瞬間、いったい何を言っているのかと思った。どうしてこんなことを言ってしまったのかと思った。そしてそれがどうして加奈なのだろうと思った。しかし加奈の答えは意外だった。
「うん」
「え!」
「うんって、それってイエスということ?」
「藤本さん、どうして驚いているんですか?」
「どうしてって、だってまさか本当に君がうんなんて言うとは思ってはいなかったから」
「じゃあどうしてそんなことを私に言ったんですか?」
「どうしてかな?」
「でも私、なんとなくわかります」
「わかるって?」
「私、藤本さんの気持ちがわかるような気がします。だからうんて言ったんです」
「加奈には僕のどんな気持ちがわかるって言うんだい?」
「そんな怖い目で見ないでください」
「あ、すまない。決してそんなつもりじゃないんだ」
「そんなつもりって?」
「睨みつけるようなそんなつもりじゃないっていう意味さ」
「藤本さん、今怒ってますか?」
「ううん。ただちょっと怖かったんだ」
「怖い?」
「うん。だって本当に僕の今の気持ちが加奈にわかるだなんて信じ難いじゃないか」
「じゃあ嘘だと思いますか?」
「嘘だなんて思ってないよ。でもなんか怖い感じがした」
「怖い?」
「うん。だって加奈にはどうしてそこまで僕のことがわかるんだろうって」
「そうなんですね」
「うん」
「でも私にも藤本さんの心の奥底の全てが見えたわけではないんですよ。そうではなくて何か私とシンクロするような気がしたんです」
「加奈とシンクロする?」
「ええ。私がお話しした私の過去と藤本さんの現在が繋がったような気がしたんです。それは無念の中で終わってしまった父の魂が藤本さんの魂によって再び時を刻み始めるような感覚に襲われたからです」
「どういうこと?」
「接ぎ木です」
「接ぎ木?」
「はい。父の止まってしまった魂が接ぎ木によって再生するんです。その接ぎ木とは藤本さんの魂です。藤本さんによって接ぎ木された父の魂は藤本さんの子供という新しい形になって再びこの世に生を受けるのです」
「なんかよくわからないけど、加奈の中では何か筋が通ったんだね」
「はい」
「人工授精って知ってるかな?」
「言葉だけは」
「実は僕は不妊症なんだよ。普通にしては子供が出来ないんだよ。それで人工授精ということなら子供が出来る可能性があるらしいんだ」
「じゃあ藤本さんとエッチは出来ないんですね」
「バカ」
僕はこのようなことで加奈と子供を作ることになった。当初はこれでいいのかという思いがあったが、一旦その流れに身を任せると意外なほど素直な気持ちになれた。
第9章
夫は私の中では終わった人。彼の思い出だけが生きているのに、私だけの中に彼が生きているのに、それを現実の世界に彼の魂を継いだ彼の子供が存在しているなんて私には絶対に許せなかった。
結局私は子供を諦めた。諦めざるを得なかった。それなのに私がどうしても手にすることが出来なかったものをあの女はどうして手中に収めることが許されたのだろうか。夫と何か特別な関係だったのだろうか。もしそうだとしても私にはどうでもいいことだった。それよりも問題はその女が夫の子を産んだということだった。夫にはこの世には何も残して欲しくなかった。私は自分とは関わりがない彼の持ち物を全て処分した。私は彼との思い出だけでこれから先の人生を歩んで行こうと思っていた。これから先、彼の軌跡がこの世に刻まれることはなかった。あるのは私と歩んできた道だけ。そしてその全てを私が掌握していた。それなのに、彼の一部がこの世に残されたということ。そしてそれが私の知らないところで着実に進んでいたことに私は驚きと悲しみとそして憎しみを隠せなかった。このまま放置しておくことは絶対に出来ない。そう思ったのである。
私は夫が押し入れの奥に古いギターを隠しているのを知っていた。それは最初何の袋かと思った。外から触ると中は堅い棒のような感触がした。それでその中身を出してみると、それはどうやら分解出来るギターのようだった。夫はそれを週に一度持ち出してどこかで弾いていたようだった。夫がそれ以外のことで私に隠れてしていることは何もなかった。だから女と会っていると言えばその時にしかありえないだろうと思ったのである。私は唯一のその手掛かりから夫の足跡を追った。果たして彼はどこへ通っていたのだろうかと。
夫がギターを弾くことは以前彼から見せられた古いアルバムから知っていた。そこには彼がギターを弾いている写真が数枚貼られていた。隣には彼が時々口を滑らせていた影山という旧友の姿があった。それでその影山さんに聞いてみようかとも考えた。しかしその影山さんとは連絡を取っていないようだったのでそれは諦めた。それよりも彼が出演していたライブハウスの方が気になった。昔なじみの店なら通いやすいだろうし、いきなり出演させて欲しいと言ってもそれが許される可能性が高いと思った。そして私の勘はやっぱり当たった。
「藤本さんですか。そうですね、もうずっとご無沙汰ですね」
「藤本さんは一人で歌っていたんですか?」
私は彼の妻だということを黙っていた。私の相手をしてくれたのはどうやらそのお店の店長だった。
「藤本さんとはどんな関係なんですか?」
「ファンです。最近見ないなと思ったものですから」
「あなたが藤本さんの追っかけですか?」
「まあそんなところです」
「藤本さん、女性と一緒にユニットを組んでいましたよね?」
「あ、そうでしたね」
「ファンなのに知らないんですか?」
私はしまったと思った。
「それに私はお客さんの顔はまず忘れないんですが、あなたの顔は覚えがないんです」
「え」
「あなたもしかして藤本さんのご家族ですか? いや、恋人かな。それとも奥さんだったりして」
「・・・・・・」
私は言葉に詰まった。
「まあ私はそんなことはどうでもいいんですが、藤本さんと一緒に歌っていた加奈ちゃんも消えてしまったんですよ」
「加奈ちゃん?」
「ええ。彼女のファンが意外に多くってね。それを藤本さんがどこかへ連れ去っちゃったみたいなんですよ。それで客の入りがめっぽう減りました。それでこっちも藤本さんの行方を捜してたんですが、ええとあなたのお名前は・・・・・・」
「斉木です」
私は咄嗟に旧姓を名乗った。
「斉木さん、ですから藤本さんの行方がわかったら私にも教えて欲しいんですよ」
「はい」
「それで何をお話ししたらいいでしょうか?」
「その藤本さんと一緒だった女の人はどんな方なのでしょうか?」
「名前は和田加奈さん。年の頃は20代半ばくらいでしょうか。仕事は都内の化粧品会社に勤めていると言っていたように思います」
「勤務先は詳しくわかりますか?」
「いいえ」
「それではお住まいは?」
「わかりません」
「ではその女性は藤本さんとはどのようにして知り合ったのかはご存じですか?」
「私が紹介したんです」
「あなたが?」
「はい。藤本さんがこの店に暫くぶりに来た時がありましてね。その時に加奈ちゃんと一緒にステージに立ちたいと言い出したんですよ。それで僕が彼に彼女を紹介したんです」
「藤本さんがそんなことを言ったんですか?」
「ええ」
「ではそれからの関係なんですね」
「はい」
「二人の関係はどんな感じだったのでしょうか?」
「飽くまでステージだけの付き合いだったようですが、僕は恋人関係じゃなかったかなと思いました」
「どうしてですか?」
「証拠はありません。なんとなくです。でも今日斉木さんにお会いして考えが変わりました。本命はあなただったのですね。あ、それとも二股だったとか。あ、これは失礼」
私はなんとしてでも和田加奈の居所を見つけ出したいと思った。
第10章 藤本修人の場合
加奈の子供が生まれる頃には僕は既にこの世にはいない。出来るならば一目その子の顔を見たいと思った。しかしそれは叶わぬことだった。
叶わぬことだと言えば、僕と妻の間には子供が遂に叶わなかった。だからこのことは僕が妻にしてあげられる最初で最後の贈り物だった。
贈り物と言えば、僕と彼女の記念日、例えば結婚記念日やそれから彼女の誕生日、それからクリスマスなどの贈り物を彼女は全て拒否した。
「どうして?」
「だってそれって二人の思い出にはならないもの」
「僕からの贈り物が嬉しくないの?」
「ううん。そういうことじゃなくて、そこに私が存在していないもの。だってそれはあなたが選んだものでしょう? 私が選んだものじゃない」
「じゃあ君が選んだらいいよ」
「それだと今度はあなたがそこに存在しないもの」
それで僕は彼女に何かを贈ったことが今まで一度もなかった。つまりでこれが最初で最後の贈り物になるのだ。でも、果たして彼女はこれを喜んでくれるだろうか。もしかしたら私が存在していないからいらないと言い出すかもしれない。そう思うと彼女から卵子を提供してもらって、子宮だけを加奈に借りれば良かったかもしれない。でもそれだと第三者の関与を予め彼女が知ってしまうことになる。そうなると勿論彼女はノーと言うだろう。では元々このプランはあり得ない話だったのだろうか。自分が不妊で、妻も不妊で、そして関係ない女性を巻き込んで人工授精などをして僕の子供を残すなどということが、考えてみると突飛な話だったのかもしれない。
僕の父方は男子が短命の家系だった。つまりこの世に存在しにくい家系、もっと言えば存在してはいけない家系だったのだ。だからこんな手の込んだことをしてまで自分の子孫を残してはならない存在だったのではないだろうか。
しかし実際に死を目の前にして僕の人生の意味、生まれて来た理由を考えさせられた時に、僕は自分の生きた証を求めてしまった。それはこの世に存在した軌跡だった。するとそこで閃いたことは、僕はこの世にいったい何を残したのかということだった。いいや、そんなことを考えるまでもなく僕は何も残してはいなかった。人との交流を避ける日々を送っていた僕にそんな足跡があるはずがなかった。でも、果たしてそのことが僕の本当の望みだったのだろうか。人と交わることをしない人生が僕の求めていたものだったのだろうか。その答えはノーだ。でなければ結婚などしていなかったろうし、加奈とユニットを組んで歌を歌いたいなどと思うはずがなかった。僕はそこまで結論が達すると、この期に及んでしたいということがそんなことだったということに自ら驚いたのだった。
一方、僕の余命を告げた時の妻にも驚かせられた。それまでは夫婦でありながらもきちんと僕との一線を保っていた彼女が急に僕との交点を強く求めて来たからだった。それは二人の子供だった。子はかすがいと言うけど、そんなものを彼女が求めるとは本当に意外だった。僕は僕が彼女の思い出の中にだけいれば良いものだと彼女が考えていると思っていた。しかしそれがどうやら違っていたのである。そして彼女の口からはっきりと二人の子供が欲しいという言葉が発せられたのである。そうなるとそれは僕が望むものと彼女が望むものとが一致したのだと思った。そして多少の齟齬があったとしても、そう考えてもいいのではないかと僕は自分に言い聞かせたのである。加奈には僕の妻にもこの件は了解をもらっていると話していた。しかし出産後のことを考えて妻からは一切挨拶じみたことはしないからと付け加えていた。
第11章 和田加奈の場合
藤本さんとの契約で、私の子供が生まれたら即時にその子を彼の奥さんに引き渡すことになっていた。余計な親子の情がわかないためである。しかしそれは飽くまで契約をする段階でのことだった。やがてお腹の中に何か新しい命の誕生を感じ、定期検診でその姿を目の当たりにすると、その契約時の気持ちが大きくぐらついていることに私は驚いたのだった。
もし、この子は渡せないと私が言ったらどうなるだろうか。私は日に日に大きくなっていくお腹を抱えながら同時にそんな思いも次第に大きくなっていくのを感じた。しかし、私が遂にその揺らぐ気持ちを藤本さんに伝えられず、彼はこの世を去ってしまったのだった。彼は受精卵が着床して以来、一切私には会わなくなった。そして私が仕事を辞めた後は私の生活費を毎月きちんと銀行口座に振り込んでくれていた。私の住むマンションはご近所関係が希薄なので私が妊娠をしていることなど誰も知らなかった。きっと出産するまで気づかれないと思った。
私は出産後の赤ちゃん用品の準備を一切しなかった。それはやはり自分が産んだ子供には、その事実だけでどうしても愛着が生まれると思ったからだった。私は極力子供のことは考えずに妊娠期間を過ごそうと努力したのだった。しかしせり出すお腹に始まり、それがやがて赤ちゃんがお腹を蹴る感覚に至ると、この子を手放すのは間違いではないのかという思いに駆られるようになったのだった。そして私はこの契約は反故に出来ないかと思うようになった。というのも契約の相手方だった藤本さんはもう亡くなっていたからだ。そうであればこの話は無効に出来ないかと考えたのだった。
でも、奥さんはどうしようかと思った。彼の奥さんはこの話を当然知っているわけだった。例え彼がこの世にいなくなったとしても彼の奥さんはこの契約を知っていて、そして私がこの子を産むのを首を長くして待っているのだった。私はそのことで気持ちがかなり不安定になった。こんなことではお腹の赤ちゃんには良くないと思いながらもそれでもどうしてもこのことを考えないわけにはいかなかった。眠れない。でも睡眠薬を飲むことは出来ない。私は息の詰まる日々を過ごした。
第12章 藤本の妻の場合
和田加奈という女を知ったのはこの女からの電話だった。それは自宅に掛かって来たものだった。
「藤本修人さんのお宅でしょうか?」
「はい。でも藤本は他界しました」
「それは存じ上げています」
「ではどんな御用ですか?」
「奥様ですね?」
「そうですが、あなた様は?」
「和田加奈といいます」
「和田さん?」
「はい」
「主人とはどのような関係でしたのかしら?」
「和田という名前に覚えはありませんか?」
「いいえ」
「そうですか。では私の名前は伏せていらしたのかもしれませんね」
「どういうことですか?」
「お子さんのことですが、このことについて是非会ってお話し出来ないかと思いまして」
「はあ?」
「ですから私が産んだ子供についてご相談したいことがあるんです」
「いったい何をおっしゃっているのかわかりませんが」
「はっきり申し上げて、お子さんは渡せません」
その電話はそれで切れた。私にはまったく意味不明な電話だった。そして和田加奈という名前、全く聞いたことがないものだった。私は早速彼が生前勤めていた会社の同僚にその名前を尋ねてみた。しかしその女を知る者は誰もいなかった。次に私は彼の持ち物を改めて見直してみた。しかしやはり和田加奈という名前は見つからなかった。しかし一点だけおかしなことがあった。それは使途不明のお金が彼の口座から抜かれていたことだった。私たちはお互いのことに深く干渉はしないという結婚時の約束があった。それで彼がいくら収入があったのかわからなかったし、毎月の生活費は彼が銀行口座から引き出して私に直接手渡しでくれていた。その口座からある時を境にそれまでの金額に加えて毎月20万円ものお金が引き出されていた。その使い道はなんだったのだろうか。私はあの電話の主に貢いだお金ではないのかとその時直感した。でも、最後にあの女が言い残した、子供を渡せないと言う言葉はどういう意味だったのか、それがやたらと気になって仕方がなかった。
第13章 影山飛鳥の場合
「私ね、スイカって小さい頃は好きだったんです」
それは加奈さんの行方を捜し回った時に、たまたま美奈さんと寄ったフルーツパーラーでの出来事だった。美奈さんは僕が注文したスイカのパフェを目の前にしてそう話を始めた。
「それが食べ過ぎてしまってお腹を壊したらしいんです。それからスイカが食べられなくなってしまって」
「それでは目の前でスイカを食べられるのもだめですか?」
「それは大丈夫です。気になさらないでください」
「僕は以前、スイカが苦手だったんです」
「影山さんもスイカがだめだったのですか?」
「ダメというか、面倒だったんです。あの種が」
「わかります。種をいちいち取り除くのが面倒ですよね」
「ところがそれは日本人だけの問題らしいんです。なんでも種を食べないのは日本だけだとか」
「そうなんですか?」
「ええ、でも種無しスイカというのがあったじゃないですか。あれを知ってからスイカが平気になりました」
「種無しスイカってどうやって作るんですか?」
「染色体の数を操作するんです。それで三倍体の種子を作ってそれを育てると種がないスイカが出来上がるんです」
「それって3だと割り切れないからですか?」
「どうしてそう思われましたか?」
「よくわかりませんが、新しい命はやっぱり男とか女とかカップルの愛情の結実であるべきだと思うんです。ですからそれって2つからなっているわけですよね。それが3だと割り切れずに1つ余ってしまうかなって思ったんです」
「3つのものが合わさって1つになることもあり得ませんか?」
「例えばどんなものですか?」
「そうですね。毛利元就の三本の矢とか」
「それは少し例えが違うような気もしますが」
僕はその時、愛情とは2つのものが1つになることであるとすれば、夫婦は良しとしても、夫婦と彼らの子供を加えた三人はどんな愛情で結ばれているのかと思った。そして加奈さんの場合は本当の両親と彼女が三人で仲良く暮らしていたわけであり、美奈さんの場合は叔父夫婦と彼女が仲良く暮らしていたのである。
「受精卵は1つの精子を受け入れた瞬間に他のものが入って来れないように自らを膜で覆ってしまうじゃないですか」
「え、あ、はい」
僕は美奈さんの突然の話題に少し戸惑った。
「だから女性はすぐに二人だけの関係に自らを閉ざしてしまうんじゃないかと思うんです。もう入って来ないでって。一方男性はそんなことないですよね。それはたぶん愛情を分けられるんだと思うんです。愛情を細切れにしてそれを三分割だって可能なんです」
「なるほど」
「もし今影山さんに助手がいなかったら、私すぐにでも影山さんの事務所に就職したいなって思ったんです」
「どういう意味ですか?」
「でも助手は鈴木さんですから、今頃私のことを良く思ってはいませんね」
美奈さんはそう言って笑った。しかしその笑いは口元だけのものだった。それで僕はどう答えていいかわからないまま窓の外を眺めていた。
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