トリソミー或いは3(影山飛鳥シリーズ09)

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トリソミー、或いは3 序章 「愛には色々な形があると思うんです。私は独占される愛を選びます」  彼女はそう言って上野原駅のホームから甲府行きの列車に乗り込んだ。彼女の手には確かに小さな愛がしがみついていた。そしてそれは彼女が追い掛ける愛ではなく、彼女を追い掛ける愛だった。 第1章  それは幼馴染の告別式の日だった。彼の名前は藤本修人。彼とは小学校、中学校、そして高校までの12年間クラスまで一緒だった。それが大学になって別々になった。その途端、彼に彼女が出来た。僕がしつこく会わせろと言ったので、何かの折にやっとその子を紹介してくれた。可愛い子だった。大学を卒業したら結婚すると彼は言っていた。それで僕はその時は絶対に呼べよと彼に言った。ところが彼とは就職を機に急に疎遠になった。だからその彼女とその後どうなったかは知らなかった。 「お葬式は身内だけでと生前主人から言われていたのですが、影山さんは特別ですから。ですからこうしてお伝えしました」 「僕は特別ですか」 僕はそう言いながら自分が他人と深く交わらない性分だったから、あまり社交的ではなかった彼とは昔から馬が合い、それが特別な関係だということなのかもしれないと思った。告別式で会った彼の奥さんは僕の知らない人だった。その奥さんから僕が彼の死を知らされたのは彼が亡くなった翌日だった。奥さんの話だと彼は以前から入院をしていて、あと数か月の命だと告げられていたらしい。しかし変わり果てた姿を人に見られたくなかったのだろう。入院中は自分のことを誰にも知らせてくれるなと奥さんには堅く口止めしていたらしい。そして自分が死んだら葬儀は身内だけでするようにと指示を出していたのだそうだ。但し、僕は例外だったらしい。葬儀の会場には彼の古い友人は僕がただ一人だった。 「主人は影山さんのことはよく話をしていました。お二人でバンドをやられていたのですか?」 「いいえ、バンドではなくて二人だけでギターを抱えて歌っていたんです」 「それはいつ頃ですか?」 「大学生の頃です」 「そうだったのですね。二人が写っている写真を見て主人が音楽をやっていたのを初めて知りました」 「彼は音楽の話はしなかったのですか?」 「はい」  彼の使っていたギターはマーチンという高級ブランドのものだった。叔父さんから譲ってもらったと彼は自慢をしていた。あのギター、今はどこにあるのだろうか。 「ですから私は主人がギターを弾いているところを一度も見たことがないんです」  奥さんのその話は意外だった。するとあのギターは既に彼の手元にはないということだろうか。 「あ、それは」  故人との最期のお別れになって、思い出の品が棺に次々と納められていく中、奥さんが手にしたものは数枚の写真だった。それは掛け替えのない僕と修人との思い出だった。それは修人がギターを抱えて笑っている写真だった。その横には僕も写っていた。その時の僕は満面の笑みを浮かべていて、やはりギターを抱えていた。それは中学の文化祭で二人が初めてギターを弾きながら人前で歌った時のものだった。その写真が今、彼の奥さんの手で彼の足元に静かに納められた。僕と彼との大事な思い出は彼とともに灰になってしまうのだと思った。 やがて霊柩車が彼の棺を乗せて火葬場に出発した。僕はその車が見えなくなるまでそこで彼を見送った。 第2章 「先生、お客様が見えました」  僕は助手の鈴木に声を掛けられて、1年前の幼馴染の告別式から突然引き戻された。僕は東京の目黒で探偵事務所を開いていた。そこは緑が丘という駅から歩いて数分のところにある自宅だった。自宅と言っても少し変わった様相で、まるで探偵小説にでも出て来るような古びた洋館だった。事務所のホームページにはその洋館が大きく映し出されていた。それでその独特な雰囲気に惹かれた人からの依頼が月に数件あった。 「姉が行方不明になりました。その姉を捜して欲しいんです」  依頼者は20代半ばの女性だった。 「お姉さんが行方不明になったのはいつからですか?」 「それがはっきりしないのです」 「はっきりしない?」 「はい。姉とは一緒に住んでいなかったものですから」 「と言いますと?」 「私は山梨の甲府に住んでいるのですが、姉は東京の渋谷に住んでいました」 「それはどうしてですか?」 「姉は高校を卒業してすぐに一人暮らしをしたいと東京の会社に就職しました。私は学生時代も就職先もずっと地元なので」 「なるほど」 「それで姉とはずっと音信不通でした」 「ずっとと言いますと?」 「10年以上です」 「そんなに長い間ですか?」 「はい。姉と両親がうまく行っていなかったので」 「それがどうして行方不明だということになったのですか?」 「父が余命宣告をされました。あと半年だと医者に言われたんです。それで父がどうしても姉に会いたいと言い出して。父はあんなに姉に嫌われていたのに、やっぱり娘は可愛いのでしょうか」 「それであなたがお姉さんに連絡を取ることになったのですね」 「はい。ところが最初に就職したところは既に辞めていました。住んでいるところもずっと前に引き払っていました。それで困ってしまって。それでこちらの探偵事務所に伺ったのですが」 「よくここがわかりましたね」 「はい。ネットで検索しました。探偵事務所、渋谷と入れたら一番上にこちらがヒットしました。それでホームページを見たら、そこに載っていた事務所の写真に何か惹かれてしまって」 「そう言ってここに来られる方が多いです」 「そうだと思います」 行方不明になっている女性は和田加奈さんといった。年齢は30で8歳下の妹が1人いた。その妹が今回の依頼者である。加奈さんは山梨県甲府市で生まれて、そこで高校まで過ごし、それから東京の化粧品会社に就職した。しかし数年でそこを退職した後、行方がわからなくなっていた。 「最初の就職先でお友達だった人はご存知ですか?」 「いいえ、その時点から姉からの連絡は途絶えていましたので」 「その勤務先には行かれましたか?」 「いいえ、電話で姉が在籍しているか確認をしただけです。そうしたらもうずっと前に辞めていると言われました」 「正確にはどれくらい前に辞めたと言っていましたか?」 「六、七年くらい前だそうです」 「すると今年お姉さんは30歳ということですから、二十三、四でそこを辞めたことになりますね。それだけの期間をお勤めになられたのだからきっとお友達もいると思うのですが、どうですか、その会社に行ってみませんか。そしてお姉さんとお友達だったという方を探してみませんか?」 「わかりました」 「では早速今から行ってみましょう。場所はわかりますか?」 「はい。駒込駅から歩いて5分くらいのところだそうです」  僕はそういうことで加奈さんが勤めていたという化粧品会社に妹の美奈さんを連れだって行ってみることにした。そこは割と有名な化粧品会社だった。早速受付で事情を説明すると案内されたのは加奈さんが配属されていた総務課だった。そこで加奈さんと同期だったという大沢泉美さんが応対をしてくれた。 「すみません。こんな狭い場所しかなくて」  大沢さんが案内してくれたのは総務課が配置されていたフロアにあった小さな会議室だった。 「先日姉の件で電話に出て頂いたのは大沢さんだったのですね。あの時はありがとうございました」 「いいえ。私、和田さんとは同期だったし、配属先も同じ総務課だったので特に仲が良かったんです。ですから和田さんが会社を辞めるって言い出した時は本気で止めたんですよ」 「姉はどうしてここを辞めてしまったのですか?」 「詳しいことはわかりません。でも和田さんがやりたいことがここだと出来ないということを言っていました」 「姉のやりたいことですか?」 「ええ。妹さんはお姉さんのやりたかったこととか聞いていませんでしたか?」 「いいえ」  美奈さんは困ったという顔をした。 「でも私、なんとなくそのことで心当たりがあるんですよ」 「それはどんなことですか?」 「いつだったかしら。和田さんと会社の帰りに渋谷で買い物をしたことがあったんです。その時に突然男の人に声を掛けられたんですよ。あれ、君、加奈ちゃんだよねって。その時、和田さんは困った顔をしていました。きっと私が横にいたからだと思うんです。だって、明らかにその人と和田さんはお知り合いでしたから。それでその人に和田さんは目配せをして、申し訳ないという顔をして足早にその人を振り切ってしまったんです」 「その時、和田さんは何か言っていましたか?」 「いいえ。私が今の人は誰かと聞いたのですが、彼女は昔の知り合いだとしか言いませんでした。でもそれは嘘です。昔ではなくてあの時点で現在進行形の知り合いに間違いなかったのだと思います。だって、その人は久しぶりという感じではなくて、本当に気軽に声を掛けて来たんですもの。そして和田さんもまるで昨日も会ったようなそんな感じでしたから」 「その人とはどんな関係だったのだろう。その人はいくつくらいの人でしたか?」 「40代半ばくらいでした」 「美奈さん、その人に心当たりはありますか?」 「いいえ」 「大沢さん、その男の人はどんな感じの人でしたか?」 「スーツを着ていました。普通のサラリーマンという感じの人でした」 「するとお仕事関係で知り合った人でしょうか。例えば取引先の人とか」 「そうではないと思います。私たちの仕事は内勤でしたから、そのような顔見知りが出来ることはありませんので」 「そうなんですね」 「はい。ですから冗談半分に合コンででも知り合ったのかと尋ねたのですが、笑って一蹴されました。合コンで知り合うには歳が離れ過ぎていますしね」 「確かにそうですね」 「でもその時なんですが、走り去る和田さんに遠くからその人が声を掛けたんです」 「それは何と?」 「加奈ちゃん、また聞きに行くねって」 「聞きに行く?」 「はい。何を聞きに行くと言ったのでしょうか?」 「それはわかりません。前に何がわからなくて和田さんに聞きに来たのか、今となってはどうにも。すみません」  そこで大沢さんは僕と美奈さんに頭を下げた。僕は大沢さんから聞ける話はそこまでだと思い、僕と美奈さんはその会社を後にした。僕は何か口を開けば残念でしたという言葉以外思い浮かばない気がして駅までの道のりをずっと黙っていた。それが何となく懐かしい思いに駆られてつい言葉を発してしまった。 「駒込なんて久しぶりに来ました」 「そうなんですね」 「ええ。緑が丘の事務所からはそれほど遠くはないのですがここに来るのは大学生の時以来なんです」 「大学がこちらだったのですか?」 「そうではないんですが」 「では遊びにいらしていたんですか?」 「ライブハウスでギターを弾いていたんです」 「影山さんが?」 「ええ」 「今からはとても想像がつきません」 「そう言われます」 「それはギターを弾きながら歌を歌っていたのですか?」 「ユニットを組んでやっていました」 「するとお二人で?」 「ええ。歌っていたのは相棒の方で僕はギターが専門でした」 「そうなんですね」 「実はそれがその先の角を右に入ったところにあるライブハウスだったんです」 「え、本当ですか?」 「はい」 「今もそこはあるんですか?」 「どうでしょう」 「どうかしら」 「じゃあ、行ってみますか?」 「はい」   第3章 「あ、あった」  その角を右に曲がると驚いたことにそのライブハウスはまだそこにあった。入口に続く地下への階段はかなり錆びていた。壁に貼られていた出演者のポップはいつ貼られたものなのかボロボロになっていた。 「ここのお店ですか?」 「ええ」 「このイピアというお店に影山さんが出演していたのですか?」 「はい。ここです」  僕たちはそれからその階段を下りて地下へと向かった。地下にある入口は変わらず狭かった。そこでワンドリンク付きの入場料を支払って中に入ると席は自由だった。僕たちは適当な席を確保すると続いてアルコールやソフトドリンクが並んでいるカウンターに向かった。僕はこういう席ではいつもコーラにしていた。冷たい飲み物の方が持ち運びやすいからだった。美奈さんはアイスティーを注文した。 「独特な雰囲気のあるお店ですね」 「ずいぶん昔からあるお店のようです」 「どんな音楽をやるお店なのですか?」 「僕たちは弾き語りでしたが、今はどうなのでしょうか」  金曜日の夕方のせいか、僕たちが席に戻った頃から次第に席が埋まりだした。 「結構お客さんが来るんですね」 「そうですね。今日は有名な人でも出演するのかもしれませんね」  僕は年甲斐もなく心が躍っていた。それはこれからどんな演奏が始まるのかという期待もあったが、やっぱり久しぶりに訪れた場所への懐古の思いがそうさせていたのかもしれない。 やがて一瞬ステージが暗くなったかと思うとドラムとベースが軽快な4ビートを刻み始めた。 「ジャズが始まりましたね」  僕は美奈さんにそう言ったが演奏の音が大きくてその声は届かなかったようだった。そのバンドは3曲ほど演奏をするとステージを下りた。 「今のがジャズですよね?」 「ええ」 「初めて生で聴きました」 「そうですか」 「CDで聴くのとはだいぶ違いますね。実際の演奏はやっぱりすごい」 美奈さんが言うように彼らの演奏は確かに良かった。しかしギター以外はである。ギターは6弦全部をただかき鳴らしているだけだった。デリケートさの欠片もなかった。また、ピアノの伴奏とも微妙に被っていた。低音が半音でぶつかっている箇所もあって、ギターは5、6弦は弾かない方が良かったように思った。 「もしかして、影山さんですか?」  その時だった。二人の会話にその店の関係者と思われる人が突然入って来た。 「はい」 「そのような格好なので最初は違うかと思ったのですが、やっぱり以前ここに出演していた影山さんですよね?」 「そうですが、どちら様ですか?」 「あ、失礼しました。僕は当時ここの音響を手伝っていた坂本といいます。今はここの経営者兼店長をしていますが」 「坂本さんですか?」  そう言われたものの僕はその人に記憶がなかった。 「覚えていませんか?」 「はい。すみません」 「僕ははっきり覚えていますよ。確かお友達と二人で月に1、2度出演していましたよね。あの時のあなたの演奏、今でも覚えています。素晴らしかった」 「ありがとうございます。でもよく覚えていて頂けましたね?」 「当時の演奏はビデオに全て録画されているんです。僕はそれを何度も観ています。それでさっき入口から入って来られた時にもしかしたらあの伝説の影山さんじゃないかって思ったんです」 「影山さんは伝説なんですか?」  坂本さんの伝説という言葉に美奈さんが反応した。 「この影山さんのギターはそれはすごいんですよ」 「私、聴いてみたいなあ」  僕は二人の会話に苦笑いをした。 「そう言われると僕も久しぶりに影山さんのギターを聴いてみたくなりました。今でもギターを弾かれているんですか?」 「いいえ、最近は全く弾いていません」 「もったいない」 「そう言われましても」 「ではどうですか。久しぶりに弾いてみませんか?」 「え、急にそう言われましても」 「何か不都合がありますか?」 「そういうことではないのですが、一人でギターを弾くことは以前もしていませんでしたし、それにギターも今日は持って来てないので」 「それでしたら今のバンドにセッションで加わって頂いたらどうでしょうか。それにギターは僕のフルアコをお貸ししますので」 「でも今のバンドにはギターの方がいらしたし僕が入るのはまずくありませんか?」 「彼らの演奏を聴いていた時の影山さんの顔、さっき見ていましたが自分に弾かせろという表情をしていましたよ。ギターには楽屋でおとなしくしてもらいますから」  僕は心の内を見透かされた気がして恥ずかしくなった。それでどうしてそんなことをしてしまったのか結局坂本さんの依頼を受けてしまったのだった。 「Bフラットの循環コードでソロを回す感じでいいですか?」  僕はギターだけが外されたさっきのバンドのメンバーを前にそう話しをすると彼らはうんとだけ頷いた。彼らは店長から僕のことについて何かを聞かされていたのだろうか。彼らはみんな緊張した面持ちをしていた。 「ソロをとる順番は最初にベース、次に僕、最後にピアノでいいですか?」 「チックの『浪漫の騎士』のパターンですね」 「ええ」  僕は彼らがその曲を知っているのに驚いた。もしかしたらギター以外は意外にレベルが高いのかと思った。 「店長さんに言われて以前影山さんが演奏したビデオを観たことがあるんです。ですから最後に影山さんのソロでお願いしたいのですが」 「僕のビデオを観たんですか?」 「はい」 「参ったなあ」 「ですから影山さんの後に弾くなんてとっても出来ません」  さっきピアノを弾いていた彼がそう言った。それで僕はわかったと言った。僕はスーツの上着を脱いで店長から渡されたディアンジェリコのニューヨーカータイプのフルアコを抱えてステージに立った。ワイシャツのボタンがギターの裏側に当たった。もしかしたら傷がつくかもしれないと思った。こんな高級なギターに傷などつけたらどうしようかと思ったが既にドラムが軽快なリズムを叩き始めていたのでどうしようもなかった。ドラムが四小節ほど規則正しいリズムを刻むとそこにベースが加わった。リズム隊が奏でるフォービートは先ほどのものとは明らかに質が違っていた。僕の心は激しく波打った。そこにピアノが被さり簡単なモチーフを四回ほど繰り返した後、ベースが細かいフレーズでソロを始めた。 (上手い)  それは先ほどの彼のものとは明らかにレベルが違った。まるで水を得た魚のように指が指板の上を駆け回っていた。やがてベースがパーカッシヴなソロに変わるとドラムとの掛け合いが暫く続き、そこで突然ピアノのソロが始まった。それは最初シングルトーンの軽快なフレーズで始まり、それがオクターヴのメロディに変わると、より激しく、よりメロディアスなものに盛り上がって行った。そして最後にピアノが長い余韻を残してその演奏を終えるとリズム隊が一瞬ブレイクして、僕にソロを始めるように促した。  僕はソロの導入音を必ずコードのルート音から始めることにしていた。それで僕はAの音を半音だけチョーキングしてソロを弾き始めた。しかしそれは正確に半音をベンディングしたわけではなかった。それは4分の1音だけ弦を引き上げて、よりブルージーな音程を意識したものだった。身体はいつしか熱くなっていた。それはステージに降り注ぐライトのためか、バックの演奏があまりにアグレッシブだったせいか、或いは観客の突き刺すような視線がそうさせたのか、僕は無我夢中でギターをかき鳴らし、そして泣かせた。それは自由奔放に、時には激しく、特にはメロディアスに緩急を織り交ぜながら指板の上を左手の指を駆け巡らせた。そしてピアノがしたように最後に一つの音を長く引き伸ばして鳴らせると、そこで客席に頭を下げて自分のソロ演奏の終わりを告げた。会場は拍手の嵐だった。ドラムのシンバルで曲の演奏が終わるとメンバーが駆け寄って来て僕は握手を求められた。彼らと握手をしながら会場を見るとその中に拍手をしている坂本さんも美奈さんもいた。 「やっぱり影山さんすごい。プロのミュージシャンみたい」  席に戻ると美奈さんはそう言って声を掛けてくれた。 「影山さんは昔のままの腕ですね」  坂本さんが僕に握手を求めながらそう言った。 「そういえば影山さんは今は何をされているのですか?」 「本業ということですか?」 「はい」 「探偵です」 「探偵?」 「はい」 「意外ですね。僕はてっきりプロのギタリストになっていると思っていましたが」 「ギターはもう卒業しました」 「もったいない」 「そんなことはありませんよ。あれは学生時代の良き思い出ですから」 「思い出ですか?」 「はい。過ぎ去った懐かしい思い出です」 「懐かしい思い出と言えば、影山さん、一緒に出演されていた藤本さんは今はどうされていますか?」 「藤本ですか?」 「ええ。実はその藤本さんなんですが、数年前に別の人とユニットを組んでここに出演していたんですよ」 「え、藤本が?」 「はい。確か6、7年くらい前でしょうか。女性のヴォーカルと二人でね」 「そうなんですか?」 「はい」 「それは知りませんでした」 「あの二人、きっと恋人関係だったんだと思うんです。とても仲が良かったから。影山さんは藤本さんとは今も連絡を取り合っているんですか?」 「藤本は亡くなりました」 「え?」 「1年前に。病気で」 「そうだったんですか?」 「はい」 「そうですか。じゃあ、あの時の恋人さんもさぞかし悲しんだでしょうね?」  僕はそれについては何も返事をしなかった。 「もしかしたらもう別れてしまったのかな」  僕はそれにも答えなかった。 「すみません影山さん、私はそろそろお暇しようかと」 「あ、すみません、すっかりこちらの話に夢中になってしまっていました」 「いいえ。影山さんはまだゆっくりして行ってください。私は帰りのバスが心配で」 「あ、そうですね。でしたら僕もこのへんで」  僕はそう言って再び坂本さんに向き合った。 「坂本さん、今日はありがとうございました。久しぶりにこんな大きなステージでギターを弾かせてもらって胸が躍りました」 「いいえ、こちらこそ伝説の影山さんのギターを聴かせて頂いて満足の至りです。お近くにお越しの際には是非また寄ってください」 「はい」  僕は次は無いとは思いながらもそう言った。 「それからそちらのお嬢さんも是非このお店を贔屓にしてくださいね」 「はい」  僕の横でまんざらでもないという顔をして美奈さんはそう答えた。 「でもここからは自宅が遠いので、次にいつ来れるかは・・・・・・」 「ご自宅はどこですか?」 「山梨の方です」 「それは確かに遠いですね。でもそんな方がどうして今日はここへ?」 「姉を捜しているんです」 「ああ、それで探偵さんとこうして」 「はい」 「でも、そのお姉さんがこのお店に来られていたんですか?」 「それは僕がちょっと懐かしくてたまたまここに寄っただけなんです」 「ああ、そうでしたか」 「はい。姉の勤務先がこの近くだったので」 「それは偶然でしたね。まあお近くでなくともまた近くに来られた時には寄ってみてください」 「はい。ありがとうございます」 「ええと、お名前はなんと言いましたか?」 「私ですか?」 「はい」 「私は和田美奈といいます」 「和田さん?」 「はい」  その時に坂本さんが少しおかしな表情をした。 「どうかしましたか?」 「え、別にたいしたことじゃないんですが」  坂本さんはそう言ったものの、何かが胸につかえているような素振りを見せた。 「そういえばさっきの話なんですが、藤本さんとユニットを組んでた女性、確か和田さんと言いましたよ」 「和田ですか?」 「はい。ええと、和田、和田加奈さん」 「え!」  僕と美奈さんが突然大きな声を出したので坂本さんが驚いた顔をした。 「まさか、その人が?」 「その人はいくつくらいの人でしたか?」 「6、7年前の話ですが20歳を少し超えたくらいの人でしたよ」  坂本さんの口からその話を聞くと美奈さんはバッグから慌てて彼女のお姉さんの写真を取り出した。 「この人じゃありませんか?」 「あ、そうそう、この人です。じゃあやっぱり・・・・・・」 「はい。私の行方不明の姉です」
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