トリソミー或いは3(影山飛鳥シリーズ09)

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第4章  僕は美奈さんと別れた後、藤本の奥さんに会いに行った。もし藤本にそのような女性がいたとしたら彼女がそのことを知らないわけがないと思ったからだ。 「藤本が渋谷のライブハウスで歌を歌っていたんですか?」  しかし彼女の答えは意外だった。それ以前の話だった。 「いいえ、歌ではなくてギターを弾いていたそうです。歌はユニットを組んでいたその女性が歌っていたそうです」 「その話、本当なんですか?」 「はい。そのライブハウスの店長に直接聞きました」 「確かに主人が?」 「はい。間違いないと思います」 「俄かに信じられない話ですが、もしそれが本当のことだとして、それでどういうことになるのでしょうか?」 「藤本と一緒に歌を歌っていた女性が行方不明になったのです。それでもしかしたら奥さんからその女性について何か情報がつかめるかと思いまして」 「そう言われましても・・・・・・」 「そうですよね。藤本がそんなバンドまがいのようなことをしていたことさえ知らなかったのですから」 「ごめんなさい。お役に立てなくて」 「いいえ。僕も突然お邪魔してこんなことをお伺いして済みませんでした。それでは失礼します」 「こちらこそ何もお構い出来なくて」  僕は加奈さんに関して何ら手掛かりを手にすることが出来ずにそこを後にした。しかし本当に奥さんはそのことを知らなかったのだろうか。そしてそれにも増してどうして藤本は妻に黙ってあのライブハウスに出入りをしていたのだろうか。藤本はそこで美奈さんのお姉さん、つまり和田加奈さんと知り合った。そして二人でユニットを組んであそこに出演をしていた。店長の坂本さんの話だと二人は恋人同士に見えたという。二人は本当にそういう仲だったのだろうか。そして加奈さんの失踪。それは藤本の死と何か関係があるのだろうか。 「どうでしたか?」  藤本の家から出るといったいどこに隠れていたのか、突然美奈さんが僕の前に駆け寄って来た。 「美奈さん、どうしてここに?」 「すみません。どうしてもじっとしていられなくて、それで事務所に電話をして鈴木さんからここのお宅の住所を伺ったのです」 「そうでしたか」 「それで何か姉の情報を得られましたか?」 「いいえ。奥さんは藤本があのライブハウスに出ていたことも知りませんでした。ですからお姉さんのことは全く・・・・・・」 「そうですか」 「残念ですが」 「それでは影山さん、これからどうされますか?」 「そうですね。お姉さんの引越先がわかればいいのですが」 「そうですね。でも最初に住んでいたところのお隣の方とか、不動産屋さんはご存じなかったし」 「考えはあります」  僕はそうは言ったものの、実は当てはなかった。しかし焦りはなかった。それは不思議な感覚だったがきっといつか何かのきっかけでわかることなのだという思いがあった。美奈さんは終電に間に合わないと言うことでその夜は近くのビジネスホテルに泊まることになった。僕はそのホテルの入口で美奈さんと別れた。 第5章  翌日、僕は朝の7時に美奈さんからの電話で起こされた。 「ごめんなさい。起こしてしまいましたか?」 「いいえ。それより美奈さん、何かありましたか?」 「実は、姉の住んでいたマンションがわかったんです」 「それはどこからの情報ですか?」 「昨日不動産屋さんから実家に連絡があったんです。家賃を滞納してどこかへ行ってしまったので荷物を引き取って欲しいって」 「そうだったんですか」 「はい。ですから影山さんにも同行して頂いて、そのマンションに行ってみたいのですが」 「わかりました。お供します」  加奈さんが住んでいたマンションは六本木にあった。それで美奈さんとは渋谷の駅で待ち合わせをして、そこからはタクシーで西麻布まで向かった。そのマンションは西麻布の交差点から歩いて数分のところのガーナ大使館の近くだった。マンションの前に着くとそこには管理人が待っていて僕たちを迎えた。 「和田です」 「するとお宅さんは和田さんの・・・・・・」 「妹です」 「妹さん?」 「はい。父が入院していまして、母はその父に付きっ切りなので妹の私が来ました」 「そうですか。こちらは?」 「私の、私の婚約者です」 (婚約者?)  僕は美奈さんの言葉に驚いた。 「すみません。探偵さんと言えば変に思われるし、友達と言えば同行を許してもらえないと思って」 「いいえ、美奈さんの判断は正しかったと思いますよ」  僕たちは加奈さんの部屋に案内された後、二人きりになった時にそんな話を笑いながらした。管理人は僕たちが部屋に入ると、帰る時に声を掛けてくれと言って戻って行った。加奈さんの部屋はそのマンションの三階にあった。部屋の中はきれいに片づけられていた。僕たちは先ず、加奈さんが一人暮らしかどうかを確認した。下駄箱、バスルーム、食器棚、それらに男の影がないかどうかを調べた。つまりは藤本の存在である。しかしそのどれもが白だった。 「ここに藤本が存在した形跡は見られませんね」 「はい。姉の一人暮らしは明白ですね」 「ではお姉さんのアルバムを探してみますか。そこに誰かが写っているかもしれません」 「はい」  加奈さんのマンションは玄関を入るとそこがダイニングキッチンになっていて、そこからトイレ、浴室がそれぞれ別個につながっていた。ダイニングキッチンには更に2つのドアがあり、そこから六畳の洋室と和室に行けた。加奈さんは洋室にベッドを置き、寝室として使っていたようだった。和室は物置代わりにしていて本棚や洋服ダンスがあった。 「影山さん、この本棚にアルバムがありました」  本棚には経営学のような書籍がたくさん並んでいた。いつか独立して会社でも起業しようと思っていたのだろうか。美奈さんはその中からカバーに入った黄色いアルバムを抜き取るとそれを僕のところに持って来た。そこには友達と思われる女性と一緒に写っている写真が少しだけ貼られていた。しかし藤本と一緒のものは勿論のこと、男性が写っているものは一枚もなかった。 「ここに写っている人に尋ねたら姉のことが何かわかるかしら?」 「でもこれはきっと職場の旅行か何かの写真だと思います。だってほら、ここに写っている人は先日あの会社に行った時にいた人ですから」 「そうなんですか?」 「はい。間違いありません」 「ではここに写ってる人には何も情報を聞けないですね」 「ええ」  加奈さんには常に孤独という雰囲気が付きまとっていた。親しい誰かという存在がまるで見えて来なかった。先日あの会社で会った同期の人とも知り合いという域を超えてはいなかったのだろうと感じた。しかしそのような中で唯一、あのライブハウスの店長が語った藤本の存在だけが彼女の東京での確かな足跡という気がした。 「あ」  それは美奈さんがそのアルバムを閉じて再び本棚に戻そうとした時だった。そのアルバムからひらりと何かが落ちた。それはアルバムに貼られていたのではなく、それに挟まっていた写真が一枚彼女の足元に落ちたのだった。 「影山さん、これって」  彼女が差し出したその写真はどこか暗い場所で撮られたものだった。 「これって?」 「これはあのライブハウスですね」 「あのイピアっていうところですか?」 「ええ、あそこで写されたものです。それにこれはあなたのお姉さんじゃないですか?」  僕はそこに写っていた長い髪の横顔の女性を指差した。 「確かに姉に似ています」 「そして隣でギターを抱えているのが、恐らく藤本です」 「この人が影山さんのお友達の藤本さんですか?」 「はい。まず間違いないと思います」 「するとやっぱりあの店長さんが言ったことは本当だったのですね?」 「ええ」 「すると二人は恋人同士だったのでしょうか?」 「それはこの写真からはわかりませんが、ただこのマンションの様子から言えばそれはノーだと思います」 「そうですね」 「ではそろそろ帰りますか」  僕たちは帰りがけに管理人に声を掛けた。そして近く運送屋に頼んで荷物を取りに来ることを告げた。滞納した家賃は美奈さんの母親に連絡をして至急振り込んでもらうことにした。そしてそれを管理人に話した。 「影山さん、この後は事務所に戻られますか?」 「はい」 「何かご用事がおありですか?」 「特にはありませんが」 「それでしたらコーヒーでもご一緒に如何ですか?」 「いいですね」 「影山さんは何派ですか?」 「え?」 「だって先日はコーラをお飲みになっていましたから」 「ああ、そうでしたね。でも普段はもっぱらコーヒーなんですよ」 「アルコールは飲まれますか?」 「いいえ。あっても年に1、2度でしょうか」 「私もアルコールはだめなんです。それにコーヒー派ですから一緒ですね」  それから僕たちは渋谷駅までバスで戻ると適当な喫茶店を探した。すると駅の近くにちょっとお洒落なお店を見つけたのでそこに入ることにした。僕はコロンビアを注文した。美奈さんはそのお店のオリジナルブレンドを頼んだ。その時だった。僕のスマートフォンが激しく振動した。 「あ、すみません、事務所から電話が入りました」  僕はその画面を確認するとそこには鈴木という名前が表示されていた。僕はスマートフォンを掴んでその店の外に出た。 「どうした?」 「先生、このことは美奈さんはご存じだったのでしょうか」 「何がわかったんだい?」 「和田さん姉妹は養子でした」 「え・・・・・・」 「先生の念には念を入れろという指示でお二人の戸籍を調べてもらったんです。そうしたらお二人の今のご両親は両親の弟夫婦でした」 その情報は懇意にしている警視庁の刑事からのものだった。もしかしたら既に身元の判明していない死亡者の中に加奈さんがいるのではないかとか、既にどこかで死亡していて死亡の届け出が出ていないかを確認してもらっていたのだった。それがこういう形で答えが返って来たことは意外だった。僕はこのことをどう美奈さんに伝えようかと思いながら喫茶店に戻った。しかし僕の心配をよそに、美奈さんの反応は意外なほどあっさりしていた。僕はもっと深刻な状況になるのではないかと思っていたが、どうやら彼女には以前から思い当たるふしがあったらしい。 「これは父が姉に宛てた手紙なんです」  僕の話がひと段落すると美奈さんは自分のバッグの中から封筒を取り出した。 「するとお父さんはお姉さんの住んでいたところを知っていたということですか?」 「これは姉が上京して最初に住んだところに送られたものです。ですから宛先不明で返送されて来たんです」  彼女はそう言ってその手紙の文面に目を落とした。彼女のその眼差しは真剣そのものだった。彼女の端正な顔立ちにその瞳はより美しさを際立たせていた。僕がそんな彼女に見入っているとやがて彼女が頭を上げて僕の方を見た。 「この手紙で父は姉に謝っています。何について謝っているのか私にはわかりませんが、赦して欲しいと書かれてあります。ただ、父がしたこと、父のした判断には誤りがなかったとも書かれています」 「お姉さんはご両親と仲が悪かったと言っていましたね?」 「はい。その理由は両親からは知らされていませんでした。でもこの手紙からは父の何かに対する判断にずっと姉が不審を抱いていたのだということが推察されます。二人はそのことをずっと引きずっていて、それで仲が悪くなって、そして高校を卒業すると同時に姉は東京に出て行ってしまったのだなとわかったんです。それを父が謝ったのですね。説明が足りなかったと。姉に何としてでも理解をしてもらうよう努力が足りなかったと。ただ、姉が不審に思った父の判断は適切だった。誤りはなかったと父は明言しています。だから、そのことを是非姉に説明したいから電話を欲しいと書かれてあります。或いは父が上京して姉に説明してもいいと書かれてあります」 「そうなんですね」 「ですが私たちが実は本当の親子ではなかったと知って納得しました。私は当時あまりに幼くて何もわかりませんでしたが、姉は八歳だったわけですし、本当の両親の記憶もしっかりあるわけですから」
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