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第14章
結局私は和田加奈の素性がよくわからないままそのライブハウスから立ち去ることになった。そうなると手掛かりは全くなかった。振り出しに戻ってしまったのである。
「あんた、和田加奈さんを捜してるんだって?」
ライブハウスの出口から地上へ至る階段をゆっくり上がっている時だった。誰かが後ろから追い掛けて来て、私にそう声を掛けた。
「はい」
「あんた、あの男の何だい?」
「え」
「あの男に振られたんかい? それで後を追い掛けてるんかい?」
「いえ、そういうわけじゃ・・・・・・」
「でも和田加奈さんを捜してるんだろ?」
「ええ」
「彼女、何て言ったかなあ。確か藤本とかいうギター弾きの相棒と消えちまったんだよな」
「そうなんですね」
「ああ、それで俺も彼女に振られちまったってわけさ」
「和田加奈さんにですか?」
「ああ、俺、彼女の大ファンでね。彼女がここに出る時には必ず観に来てたんだよ。それがいつの間にかあのギター弾きとつるんでステージに立つようになったと思ったら、今度は二人でトンずらしちゃってさ」
「そうなんですか」
「だからあんたもあの男にトンずらされちゃったお仲間かと思ったんだよ」
「そうですね。確かに彼は私を置いて行ってしまいましたから」
「やっぱりそうか。じゃあいいことを教えてやるよ。その和田加奈の居場所を教えてやるよ」
「ご存じなんですか?」
「ああ、いつぞや偶然町で彼女を見掛けたことがあってね。その時彼女の後を追い掛けちまったんだよ。でも後になって訴えられたらかなわんと思ってね。それでその記憶は封印したんだけどね。でもあんたは女だし、男を取られたっていう理由があるんだから特別に教えてやるよ」
「彼女、どこに住んでたんですか?」
「上野原というところだよ。山梨県の」
私はその男に和田加奈の詳細な居所を聞くとその足でその場所へ向かった。新宿駅から上野原駅までは一時間ちょっとの旅だった。電車が一駅一駅進んで行って、同時に目的の駅に次第に近づいて来ると、次第に私の心の中はその女に対する熱い思いで一杯になった。
でも同時にどうして恨みなんてその女に感じるのかと思った。私はその女をどうしたいのかと思った。今更夫を返せと言うのもおかしい。だって夫はとっくに他界しているのだから。では夫の過去を返せとでも言うのだろうか。しかし過去にこだわらない私がそんな馬鹿なことを思うはずがないと思った。
ではこの心の底から溢れ出て来る強い情念はいったい何だろうか。それはきっと私が成し得なかったことをその女が成し得たということではないかと思った。そしてそれは子供を通して彼との未来の共有を成し得るということではないかと思った。私がこだわった私だけの彼があの女によってもろくも崩れ去ってしまうことに私は大きな不安を覚えたのだろうと理解した。
しかし既にこの世にはいない夫と、その子供を共有することが出来るのだろうか。それはやはり過去の彼を現在に生きるその子供から身勝手に思い出すことではないだろうか。するとそれは否、である。最早夫とその子供とは時間を超えて何ら交わるものはないのだと思った。それがもし私が産んだ子ならそれは別だったろう。そう考えるとそれは最早理屈ではなかった。女の性が執念となって、その子供に執着しただけなのではないかと思ったのである。それは畢竟我執である。夫のことを忘れ去っても、夫との良き思い出が私だけの記憶の中に確かにあったとしても、自分に対する執着がその子を自分の手中に納めなくては気が収まらなくなってしまっていたのである。
第15章
「現場百回と言うがあのライブハウスに何度も詰めてようやく手掛かりを得ることが出来ました」
影山さんの電話の声はとても嬉しそうだった。
「じゃあ姉の居場所がわかったんですね!」
「ええ」
「どこだったんですか?」
「上野原です」
「上野原?」
私はその土地の名前を聞いてちょっと思い当たる場所があった。
「はい。美奈さん、何か心当たりでも?」
「姉の高校の時の親友がそこにいます。確か広い敷地にマンションを建ててそこで大家さんをやられているとか」
「きっとお姉さんはそこですね、そこに間違いないと思います」
「でもどうして姉は六本木から上野原に?」
「会社を辞めて、ライブハウスも辞めて、何かひっそりと身を隠す必要があったのでしょうか」
「じゃあそこで男の人と一緒とか?」
「どうでしょう。大家さんが知り合いならそこに誰かと住んでいることを内緒にしておいてもらうことも可能だったのでしょう。その方の住所はわかりますか?」
「はい。何度か姉に連れられて行ったことがあります。とても家庭的でいいお宅でした。今回の姉の失踪の件でもご連絡をしたのですが、その時は姉のことを思ってしらばくれていたんですね」
私は新宿駅で影山さんと待ち合わせて上野原へ向かった。
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