39人が本棚に入れています
本棚に追加
/45ページ
1.怪奇現象毒見係
「それで松原君、本当に辞めちゃう気なの?」
残念を余すことなく体現した顔でそう口にしたのは、三ヶ月ほどアルバイトをした警備会社の採用担当兼直属の上司の青山さんだった。春が終わりを告げ、いよいよ新緑の息吹を感じ始めた初夏のある日、「辞めるにしても一度は来てもらうよ」と、事務所に呼ばれた時のことである。
「はぁ……」
元々小さな事務所だが、いろんな物が雑然と置かれているせいでさらに狭い印象を与えていた。ちゃんとした応接間などはなく、二つだけ並ぶデスクの椅子に座り、向かい合わせて最後の意思確認を行っている。ちなみに俺の足元には、すでにクリーニング済みの制服の入った紙袋が置いてあった。
「電話では要領を得なかったけど、理由は一体何なの? 仕事がキツかったとか?」
「いえ、そういうわけでは……」
大した職歴もない二十八歳のニートである俺を雇ってくれただけでも有難いのだが、本当の理由は口が裂けても言えない。
「松原君は皆が断るような仕事をやってくれたから、物凄く有難かったんだけどねぇ……」
青山さんは、白髪交じりのこめかみをボールペンの蓋先で少し乱暴に掻いた。感謝三割、憤り七割といった感じだろうか。
この会社は業界内でもかなり小さな会社だ。事務所にある二つのデスクは、青山さんと今現在営業で出払っている社長のものだろう。入社当時もこの事務所を訪れたことはあるが、まだ一度も社長の姿を見たことは無かった。
この会社が抱える従業員数は二十名以上いるようだが、実際に警備の仕事をする者たちはいつも現場にいるため、普段この事務所にはほぼ立ち寄ることはない。このような進退に関わるような時だけだ。
青山さんの言う“皆が断るような仕事”とは、主に怪奇現象絡みの現場を指していた。深夜の警備になると、誰も居ないはずなのに物音が聞こえたり、物が勝手に動いたり、居るはずの無い人影や人物を見てしまうことがある。
このような現象が頻繁に起こる現場は、大手の警備会社が取引きしたがらないので、必然的にここのような小さい企業が多数抱えることになる。だが、あまりにもそういった現象が激しい現場は、いくらこの会社の従業員でも気味悪がって誰も担当したがらないので、そんな時は率先して俺がそのような現場を引き受けていたのだ。
何故なら自分には幸か不幸か、生まれながらにして普通の人には見えない存在が視える、通称“鬼の眼”と呼ばれる能力があるからだ。
この鬼の眼で現場を見れば、その怪異がどの程度危険なのかを判断出来るし、多少危険を伴う場合でも、いざとなれば俺には心強い味方がいるので、自分にとってもそのような案件は好都合だったのだ。
最初のコメントを投稿しよう!