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「一体何をしているんだ!」
クリスティアンの登場に子供たちは青褪めた顔をする。子供たちの輪の中心を覗くと、そこには一人の小さな少年が蹲っていた。先ほど出会った、美しい女性セイラと同じ髪色の…。
「君、大丈夫かい?」
クリスティアンが蹲る少年に優しく声をかけると、その少年が顔を上げた。それはとても綺麗な少年で、セイラとよく似ていた。
セイラの血族だと直感的に理解したクリスティアンは、地面に膝をつき少年を立たせると体に付いた砂埃を丁寧に払ってやった。周りの子供たちは暗い顔でクリスティアンと少年から離れていく。
(…子供たちに虐められていたのか)
クリスティアンは胸が苦しくなった。二人が不憫で仕方なかったのだ。セイラも、この少年も救ってやりたいとクリスティアンは強く思った。
「…君、名前は?」
「ミシェルです…」
「そうか、ミシェル」
クリスティアンは立ち上がり、ミシェルと手を繋ぐと小さな少年に優しい笑顔を向けた。
「私と一緒に行こう」
そして、手を引いてセイラの元へ向かった。
ミシェルがチラリと自分を虐めていた子どもたちを振り返ると、子どもたちは一箇所に固まり怯えた表情でびくりと肩を揺らした。その子供たちの目は確かにミシェルに怯えている目だった。その様子を見て、ミシェルはクリスティアンに見えないようにニンマリと笑う。
(君たち、いい演技だったよ)
全てはミシェルの思い描いた通り。ならず者に情報を流して母を襲わせ、孤児院に逃げ込み、事情を知った公爵が母を気の毒に思う。そしてそこに息子が虐められている場面を見れば…ミシェルの集めた情報通りのクリスティアンなら自分たちを放っておけるはずが無い。
(母さん、手伝ってくれてありがとう)
初めは公爵家の使用人として働けるだけでも十分と考えていたが…セイラがクリスティアンを虜にしたことは嬉しい誤算だった。
ミシェルはこうして、セイラを上手く活用することでブラン公爵の懐に入り込み、後妻の連れ子として公爵家へと足を踏み入れることとなったのだ。
リーゼロッテに紹介される日の前日、ミシェルは楽しみで中々寝付くことが出来なかった。自分のことは覚えていないだろうが…また一からやり直せばいいことだ。
もうミシェルには綺麗な服も美味しい食べ物も立派な家もある。欲しいものは手に入れたのだ。あとは『あの子』だけ。
クリスティアンと共にブラン公爵邸へと足を踏み入れる。これから毎日、ここでリーゼロッテと共に生活するのだと思うと、嬉しさからミシェルは期待に胸を膨らませていた。
「お父様。私はこの女と子供を家族にだなんて…絶対に認めません!」
リーゼロッテから恨みのこもった目を向けられるまで、ミシェルは幸せいっぱいだったのだ。
「もうお母様をお忘れなのですか!」
「違うよ、リーゼロッテ。そうじゃないんだ…」
泣き叫ぶリーゼロッテを必死にあやそうとするクリスティアンを眺めながらミシェルは傷付いていた。
(なんで? 僕…君にここまで会いに来たのに…)
あの日、自分の目と心を奪った愛しい少女と同じ顔をして、リーゼロッテが自分に冷たい目を向けてくる。ミシェルはそれが耐えられなかった。
「あの…姉さ…」
「姉だなんて呼ばないで! 穢らわしい!」
伸ばした手をリーゼロッテに叩かれた。ミシェルは言葉を飲み込み、叩かれ赤くなった手を引っ込める。
「リーゼロッテ!」
父の叱咤の声にもリーゼロッテはふんと突っぱねる様子を見せていた。
(どうして僕を嫌うの…?)
ミシェルの、さっきまで輝いていた世界がぐにゃりと捻じ曲がり始めた。
(僕のこれまでの気持ちって、無駄だった…?)
止まらない自問。ミシェルの青い目から光が失われていく…。
(僕を受け入れてくれない君なんて…生きている価値あるのかな…?)
リーゼロッテ。可愛い、可愛いリーゼロッテ。ミシェルは暗く濁った目でリーゼロッテを見つめる。
(好き、好きだよリーゼロッテ…)
でもあの日、自分にパンを渡し微笑んでくれた彼女も本物だから。
(僕、君に好きになって貰えるよう頑張るよ)
だからミシェルはリーゼロッテにチャンスをあげることにした。
(でも…もしこのまま最後まで僕を受け入れてくれなかったら…僕はきっと耐えられない…だから)
そして今日、リーゼロッテの周りのもの全ても手に入れることに決めたのだ。
(その時は悲しいけど君を殺すね、僕の姉さん)
ミシェルは無垢な笑顔を浮かべて、愛おしいリーゼロッテの姿をその濁った青い目に映す。
この日からミシェルは、リーゼロッテの心を手に入れる為に苦悩する日々が始まった。
—幕間『裏・聖なる僕は苦悩する①』・終—
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