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序章『聖なる僕は苦悩する』
リーゼロッテ・ブランが12歳の頃、たまたまその本を屋敷の書庫で見つけた。
やたらと目に付く白い表紙の本で、どうやら小説のようだ。リーゼロッテがそれに触れると少し発光した気がしたが、気のせいかと思い直し手に取った。
(『聖なる僕は苦悩する』…?)
本のタイトルを心の中で読み上げて、そのシンプルながらに分厚くしっかりとした作りの表紙を開き、軽く内容に目を通していく。
その内容は、天使のように優しく美しい主人公ミシェル・ブランが慣れない恋心に苦悩するも愛するヒロインである皇女と結ばれるというハッピーエンドのロマンス物語だった。
うぶな青年の繊細な恋心を描く物語の展開が気になり中々に愉しめるのだが、リーゼロッテは不気味さを感じていた。
それは、その本には我が家と同じ名前の公爵家が登場し、同じ帝国、そして自分と同じ名前の少女が登場するのだ。主人公ミシェル・ブランの不仲な姉として登場するリーゼロッテ・ブランは悪役として描かれていた。
本のタイトルにあるミシェルの苦悩は何も恋愛だけでなく、大半がこの悪役リーゼロッテの行いによるものだ。
ミシェルの美しさに嫉妬するリーゼロッテは幼い頃からミシェルを虐め抜いてきた意地の悪い姉で、性根も腐っており美しいミシェルを男色の貴族に売り飛ばそうと画策したりもする。
ミシェルを庇う両親を疎ましく思ったリーゼロッテは、善悪の判断もつかないのか恐ろしいことに両親を殺害しミシェルに罪を着せようとするのだが、逆にリーゼロッテの罪が全て暴かれて彼女は死刑となる。
自分と同じ名前の女性が処刑される様は、何とも後味の悪い気分ではあるけれど、物語の面白い展開にリーゼロッテはつい完読してしまった。
エンディングでは、後妻の連れ子であるミシェルは本来ならブラン公爵位を継ぐことは出来ないのだが、ヒロインである皇女を筆頭に他の貴族の賛同もありミシェルは公爵となり皇女と幸せに暮らすというお話だった。
リーゼロッテは自分の配役が悪役であることに不満だったが、安心もしていた。何故なら彼女は一人っ子だからだ。
母親は三年前に他界しているが、父は今でも母を愛しているし女性の影も再婚する素振りすらない。所詮は空想の創作物で、作者名の記載が無いのを見るに屋敷の者が面白おかしくこの屋敷を舞台に書いた話なのだろう。その者を見つけて罰しなければ、とリーゼロッテが考えていると…。
「リーゼロッテ、ここにいたのか」
リーゼロッテの母親が生前支援していた孤児院の視察に出ていた父が帰宅していて、一人娘のリーゼロッテを探していたらしい。
「お父様、おかえりなさい!」
リーゼロッテは父が大好きだ。母の忘れ形見であるリーゼロッテを心から慈しみ愛してくれるから。
抱き付くリーゼロッテを父クリスティアン・ブランが優しく受け止めて、いつもと変わらない愛情深い微笑みを浮かべてリーゼロッテに言った。
「父さんな、再婚しようと思う」
「…………え?」
後日、父に後妻の女性とその連れ子の少年を紹介されたリーゼロッテは、父の心変わりように裏切られた気持ちになっていた。
これは母への裏切り行為だ。とても許せることではなく、父に対しリーゼロッテは腹立たしく感じていた。それにこの二人だって…。
リーゼロッテは父が屋敷に連れて来た二人を見る。二人とも親子だとすぐ分かるほど、よく似た顔立ちをしている。プラチナホワイトの神秘的に輝く白い髪、澄んだ空のような綺麗な青い瞳。二人とも、本当にただの平民だったのかと疑うほどの美貌だ。
ただでさえ二人が気に入らないのに、一歳年下の弟となる少年は中性的な顔立ちをしていて嫌でも自分より美しいと分かる。家族の一員として絶対に認めてあげないし、この子が嫌いだとリーゼロッテは強く思った。
「セイラです、この子は息子のミシェル。仲良くして貰えると嬉しいわ」
(…え…)
セイラの自己紹介にリーゼロッテは先程まで感じていた怒りを忘れるほど、頭が真っ白になった。あの本の主人公と同じ名前の『ミシェル』が今、自分の目の前にいる…。
「…ミシェルです。仲良くしてください」
差し出された少年の手。普通ならリーゼロッテは怒りに任せてその手を払い除けているだろう。しかし、リーゼロッテの脳裏に本の内容が思い浮かぶ。嫉妬、虐め、両親殺害…そして死刑。
「っ………」
リーゼロッテは恐ろしくなり不安な気持ちでミシェルの手を見つめた。この手を払ってはいけない…決して!
「……よ、よろしくね! 私はリーゼロッテよ」
リーゼロッテはあの本の結末のようにはならないと、強張る笑顔でミシェルの手を握った。
リーゼロッテを観察するようにじっと見つめていた青い瞳に光が灯り…ミシェルは嬉しそうに微笑む。
「うん! 姉さんと呼んでもいい?」
「もちろんよ! 私はミシェルのお姉さんだもの!」
リーゼロッテは弟ミシェルを虐めず、嫌がらせをせず、暴力を振るわずに…大切に扱おうと決めた。
—序章『聖なる僕は苦悩する』・終—
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